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chuo1976

心のたねを言の葉として

野ばら             小川未明

2022-04-04 10:58:17 | 文学

 おおきなくにと、それよりはすこしちいさなくにとがとなっていました。当座とうざ、その二つのくにあいだには、なにごともこらず平和へいわでありました。
 ここはみやこからとおい、国境こっきょうであります。そこには両方りょうほうくにから、ただ一人ひとりずつの兵隊へいたい派遣はけんされて、国境こっきょうさだめた石碑せきひまもっていました。おおきなくに兵士へいし老人ろうじんでありました。そうして、ちいさなくに兵士へいし青年せいねんでありました。
 二人ふたりは、石碑せきひっているみぎひだりばんをしていました。いたってさびしいやまでありました。そして、まれにしかそのへんたびする人影ひとかげられなかったのです。
 はじめ、たがいにかおわないあいだは、二人ふたりてき味方みかたかというようなかんじがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人ふたりなかよしになってしまいました。二人ふたりは、ほかにはなしをする相手あいてもなく退屈たいくつであったからであります。そして、はるながく、うららかに、あたまうえかがやいているからでありました。
 ちょうど、国境こっきょうのところには、だれがえたということもなく、一株ひとかぶばらがしげっていました。そのはなには、朝早あさはやくからみつばちがんできてあつまっていました。そのこころよ羽音はおとが、まだ二人ふたりねむっているうちから、夢心地ゆめごこちみみこえました。
「どれ、もうきようか。あんなにみつばちがきている。」と、二人ふたりもうわせたようにきました。そしてそとると、はたして、太陽たいようのこずえのうえ元気げんきよくかがやいていました。
 二人ふたりは、岩間いわまからわき清水しみずくちをすすぎ、かおあらいにまいりますと、かおわせました。
「やあ、おはよう。いい天気てんきでございますな。」
「ほんとうにいい天気てんきです。天気てんきがいいと、気持きもちがせいせいします。」
 二人ふたりは、そこでこんなばなしをしました。たがいに、あたまげて、あたりの景色けしきをながめました。毎日まいにちている景色けしきでも、あたらしいかんじをたびこころあたえるものです。
 青年せいねん最初さいしょ将棋しょうぎあゆかたりませんでした。けれど老人ろうじんについて、それをおそわりましてから、このごろはのどかなひるごろには、二人ふたり毎日まいにちかいって将棋しょうぎしていました。
 はじめのうちは、老人ろうじんのほうがずっとつよくて、こまとしてしていましたが、しまいにはあたりまえにして、老人ろうじんかされることもありました。
 この青年せいねんも、老人ろうじんも、いたっていい人々ひとびとでありました。二人ふたりとも正直しょうじきで、しんせつでありました。二人ふたりはいっしょうけんめいで、将棋盤しょうぎばんうえあらそっても、こころけていました。
「やあ、これはおれけかいな。こうげつづけではくるしくてかなわない。ほんとうの戦争せんそうだったら、どんなだかしれん。」と、老人ろうじんはいって、おおきなくちけてわらいました。
 青年せいねんは、またちみがあるのでうれしそうなかおつきをして、いっしょうけんめいにかがやかしながら、相手あいておうさまをっていました。
 小鳥ことりはこずえのうえで、おもしろそうにうたっていました。しろいばらのはなからは、よいかおりをおくってきました。
 ふゆは、やはりそのくににもあったのです。さむくなると老人ろうじんは、みなみほうこいしがりました。
 そのほうには、せがれや、まごんでいました。
はやく、ひまをもらってかえりたいものだ。」と、老人ろうじんはいいました。
「あなたがおかえりになれば、らぬひとがかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしいひとならいいが、てき味方みかたというようなかんがえをもったひとだとこまります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、はるがきます。」と、青年せいねんはいいました。
 やがてふゆって、またはるとなりました。ちょうどそのころ、この二つのくには、なにかの利益りえき問題もんだいから、戦争せんそうはじめました。そうしますと、これまで毎日まいにちなかむつまじく、らしていた二人ふたりは、てき味方みかた間柄あいだがらになったのです。それがいかにも、不思議ふしぎなことにおもわれました。
「さあ、おまえさんとわたし今日きょうからかたきどうしになったのだ。わたしはこんなにいぼれていても少佐しょうさだから、わたしくびってゆけば、あなたは出世しゅっせができる。だからころしてください。」と、老人ろうじんはいいました。
 これをくと、青年せいねんは、あきれたかおをして、
「なにをいわれますか。どうしてわたしとあなたとがかたきどうしでしょう。わたしてきは、ほかになければなりません。戦争せんそうはずっときたほうひらかれています。わたしは、そこへいってたたかいます。」と、青年せいねんはいいのこして、ってしまいました。
 国境こっきょうには、ただ一人ひとり老人ろうじんだけがのこされました。青年せいねんのいなくなったから、老人ろうじんは、茫然ぼうぜんとしておくりました。ばらのはないて、みつばちは、がると、れるころまでむらがっています。いま戦争せんそうは、ずっととおくでしているので、たとえみみましても、そらをながめても、鉄砲てっぽうおとこえなければ、くろけむりかげすらられなかったのであります。老人ろうじんはそのから、青年せいねんうえあんじていました。はこうしてたちました。
 あるのこと、そこを旅人たびびととおりました。老人ろうじん戦争せんそうについて、どうなったかとたずねました。すると、旅人たびびとは、ちいさなくにけて、そのくに兵士へいしはみなごろしになって、戦争せんそうわったということをげました。
 老人ろうじんは、そんなら青年せいねんんだのではないかとおもいました。そんなことをにかけながら石碑せきひいしずえこしをかけて、うつむいていますと、いつからず、うとうとと居眠いねむりをしました。かなたから、おおぜいのひとのくるけはいがしました。ると、一れつ軍隊ぐんたいでありました。そしてうまってそれを指揮しきするのは、かの青年せいねんでありました。その軍隊ぐんたいはきわめて静粛せいしゅくこえひとつたてません。やがて老人ろうじんまえとおるときに、青年せいねん黙礼もくれいをして、ばらのはなをかいだのでありました。
 老人ろうじんは、なにかものをいおうとするとがさめました。それはまったくゆめであったのです。それから一月ひとつきばかりしますと、ばらがれてしまいました。そのとしあき老人ろうじんみなみほうひまをもらってかえりました。





底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
   1976(昭和51)年12月10日第1刷
   1982(昭和57)年9月10日第7刷
※表題は底本では、「ばら」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:匿名
2012年5月22日作成
2012年9月28日修正
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春の服買ふや余命を意識して

2022-04-04 06:51:59 | 俳句

春の服買ふや余命を意識して
                           相馬遷子

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札幌国際芸術祭

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