「コリントの信徒への手紙一」13章 「愛」について
もう一つは、『もっとも大いなる愛へ』(上演台本)である。根本宗子さんの意味を抜いた会話に巧みさと魅力を感じた。
男 けど、
女 けど?
男 けどほら、君は不思議なところが多いから、「え、何で笑ったんだろう」って全く僕が理解できない可能性があるよ
女 不思議か?私
男 不思議だよ
女 君だって私からしたら不思議多しですよ?
女 そうそう、ケーキ頼む?
男 僕はいいや
女 私は頼もーっと
男 うん
女 ちょっとケーキを見てくる
意味めいたものの奥行きを失くして、敢えて残響の起こらないダイアローグのやりとりを重ねることによって、男と女二人の間の空気のみを観客に呼吸させるような独特の台詞運びがある。
しかし、終盤「愛」という言葉が出てきた途端に、その空気は台無しになる。ラストシーンは、聖書の「コリントの信徒への手紙一」13章の「愛」についての聖句が引用された後、「曲が始まる。女と妹の二人が一人になった存在のように踊り子が踊り出す。この芝居の鬱屈としていた部分が彼女の踊りで解き放たれていく」という赤字のト書きがあり、「stolen worID」(作詞 大森靖子・根本宗子)と歌詞が続いて、13章13節の「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」というテロップで締め括られる。
教派を問わずクリスチャンならば誰でも心に留めている聖句である。わたしも14歳の時にこの聖句と出遭い、心を占領された。耳なし芳一の(耳以外の)全身に写された般若心経よろしく、わたしはセーラー服から出た腕に油性マジックで「コリントの信徒への手紙一」第13章4節-13節を書き写していた。「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない」とつぶやくだけで、愛という言葉に呑み込まれて息が出来なくなりそうだった。
第65回岸田國士戯曲賞に寄せて 柳美里