ピーター・マクミランの詩歌翻遊
2021/5/23 朝日新聞
今年3月、様々な人の助けを得て、嵯峨の小倉山に住むことになった。
嵯峨は古来和歌に詠まれ、西行、定家、芭蕉らにゆかりのある古典文学の聖地である。
日本の古典文学の翻訳家にとって、嵯峨にまさる場所はあるまい。
文学史上の先人たちと同じ月を見上げる感慨は、筆舌に尽くしがたい。
その芭蕉は元禄4年初夏の、下嵯峨の落柿舎に滞在した日々を『嵯峨日記』に綴っている。
この句はそのうち4月20日(新暦5月17日)に見えるものだから、ちょうど今頃の季節だ。
この日、芭蕉は訪ねてきた門人達と明け方まで語り明かした。五人で一つの蚊張に寝たが、あまりに窮屈で夜半にみな起き出してしまったのだ。
一方、4月22日(新暦5月19日)には「独住ほどおもしろきはなし」と書き、独り静かにすごすことを求める気持ちを記している。
つまり芭蕉は『嵯峨日記』に、門人達との語らいと、独り閑居することとの間を揺れ動く心情を描いている。
ほととぎす大竹藪をもる月夜
(『嵯峨日記』松尾芭蕉)
ほととぎすは、古典文学の世界では春の桜や秋の月に並ぶ、夏の風物詩である。
雅な歌人達は夏がくると毎夜耳を澄ませて、せめて一声でも聞きたいと焦がれたそうだ。
この句では一瞬のほととぎすの声に加え、一筋の月の光がともに大竹藪から漏れてくる。これは嵯峨の景色として当時もよく知られていた、「大竹藪」でなければ味わえない風景だ。
英訳では月の光とほととぎすの声がともに竹の合間から漏れていることを、より明確にしている。
新居で耳を澄ますと、竹の葉をさらさらと揺らす風の音、雨の音に鶯の鳴き声。近頃そこに加わったほととぎすの声の方を見やると、雲間の月の光が竹の葉からこぼれている。まさに芭蕉が詠んだ情景そのものだ。
芭蕉が「落柿舎記」にいうように、小倉山はまさに「心すむ」場所である。
私も、時にはほととぎすに耳を傾けるように独り静かに、そして時には同じ月を眺めて人々と心を通わせる日々を送りたい。(詩人、翻訳家)