鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

新聞を読みながらうとうとと居眠りをしていた。

2008-04-23 15:35:36 | 直言!
ぼんやりした頭にも彼女の声が飛び込んできた。
久しぶりの元気のいい声である。
はつらつとした若い声が飛び込んできた。
赤ちゃんができたので昨日、お祝いを贈ったらお礼の電話だった。
こちらから電話してもいいのか迷っていたが彼女から電話が入ってよかった。
3年ほど前ははつらつとして階段をジーパン姿で急いで駆け上っていた姿を今も思い出す。頭のいい子で礼儀もできていて在日韓国人社会では絶対にほしい人材だったが日本人と結婚した。こればかりは今の時世ではとめられない。
金剛学園高校を卒業した彼女は教師たちの記憶に残るほど印象もあり行動的で成績優秀で韓国語もしっかり勉強して小学校時代は韓国語雄弁大会では最優秀賞を取ったほどである。
高校卒業の就職は校長の世話で韓国公館を推薦したが彼女は断った。
どうしても自分の国籍のあいまいさが言えなかった。学校関係者は全部知っていたのにうぶで純情な彼女は言えなかった。
そしてホテルの中にあった喫茶ラウンジで職を得た。
そして何があったのかしらないがこの職場をやめて在日韓国人の新聞の会社に来た。
初めての取材は奈良県の天理市だった。ここで初めて私も取材で現場に入っていて知り合った(けれど彼女は私は初めてでない。学校にも何度も取材にきておられたし弁論大会で最優秀賞を取ったときも私に取材しましたので覚えています)と言うが私には記憶にない。
こんな私に親近感を覚えたのか奈良市内に入って昼食ランチをしたときに自分の生い立ちを話してくれた。
初めてあったのにとまだ私は思っている。
なにもかも包み隠さず話してくれた彼女は私のできる範囲で守ってあげないといけないとこのとき私なりに思った。
それから気がつく彼女、気配りの出来る彼女に親子ほど年が違うが仲良しになった。
金剛学園移転問題で卒業生というだけで新聞記者にずいぶん心ないことにもぶつかった。1年間勤め上げて元の職場に戻った。そして栄養士の資格を取って結婚してからは病院の入院食を作っていたが妊娠をしたことも機会に三重県名張市に移り住んだ。

この3月、赤ちゃんができて母親になった。
母親になると気持ちがたくましくなったのか。
電話では前よりもっと話してくれるようになった。橿原まで私は小1時間、彼女も同じぐらいの時間でこられる。またいつか橿原でお会いしたい。
子どもがもう少し大きくなると車の免許をとるという。そしたら奈良までだったら行けるようになると話していた。車だったら今は道路も多く出来たので早くこられるだろう。

久しぶりに元気にいい若い彼女の声を聞いた。
そして昨日、テレビ番組のちんちんぷいぷいにでている在日韓国人のモデルに会って取材してきた話しをすると「私大好きです。大のフアンです」という。そして同じ番組にでている韓国広報大使を務めた八木早希さんも大好きです。2人の大ファンです」と話していた。私は昨日会ってとても印象のいい取材をしてきたと話すととても喜んでいた。また何かの形で一緒に昼ランチできたらいいねと2人で話していた。

こんなブログをかいていてもう外出の支度をしなければならない。
今日は子どもが通っていた小学校時代のPTAのOB会である。夕方からである。これから洗濯物も取り入れて外出の支度をしょう。
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