鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

8月19日も夕方の4時半、

2009-08-19 17:24:47 | 直言!
昼食を終えて12時半、新聞を読もうと思ったら30分ほどでウトウトと眠たい。また昼寝をしてしまった。起きると3時。しょうがない。新聞は後で読むことにしてパソコンを開くと仕事のメールが入っている。
22日の現場をインターネットの地図で検索していく。これも時間がかかる。そして22日の現場2ヶ所の資料を作成していると4時過ぎになった。
急いで明日連載の原稿を1度見直して訂正した。もう1度見直さないといけない。そして今日のブログは数行しか書いていなかった。5時には夕食の支度をしないといけない。お米も研がないといけない。
今日は久しぶりにポテトサラダを作ろうと思っている。
早く夕食の支度をしないといけないのにブログを書いている。

今朝の新聞は金大中元大統領の訃報に関する記事が多くのっている。
民主化運動にして現在の繁栄した韓国の国力を作った。その基礎の礎は朴正煕元大統領にある。お互いライバルとして競争してきた歴史が多く語られている。
1960年代から1970年代、米ソの冷戦構造で油断をするといつ韓国が共産国になるかわからない大陸的地形にあった。中国もソ連も共産国、そして38度線の軍事境界線の北側は朝鮮民主主義人民共和国、中国・ソ連が背景にあった。韓国は国を守るために独裁政治をしないと金大中元大統領の左派的思考はたちまちのうちに民衆を巻き込んで北朝鮮シンパになっていく。
このことを恐れた。そして韓国の国を守るために独裁国家にならざるをえなかった韓国の南北分断国家が横たわっていた。
そして日本では在日コリアン社会も南北分断国家が影響してその組織の対立は熾烈だった。そして朝鮮総連系の学生が韓国籍に切り替えて韓国の大学に留学していく。しかし表向きは韓国人だが裏は朝鮮総連の活動をしていた。
与えられた任務があったという。その任務の内容まで話してくれなかったが夏休みになると日本に帰ってその与えられた任務を報告しないといけなかった。
それが重なってくると苦痛になってきた。そして学校が休みになると日本に帰らなかった。しかし韓国政府には目をつけられていた。彼は捕まった。
水攻め、電気拷問などあらゆる拷問を受けて8年間、投獄した生活をしたという。故郷の京都、京都に戻って民団京都本部で仕事をするようになった。
筆者が京都を取材現場にまわるようになって彼と親しくなったころ彼は途切れ途切れに過去の自分のことを話してくれた。
ソウル大学の卒業証書ももらえないまま日本に帰国している。
韓国の知人、京都で勤務しているとき彼の過去のことがあまりにも悲惨、若い青年が南北分断国家の犠牲者である。こんなことを踏まえて本国政府との話し合いで卒業間じかに捕まったことから卒業証書が渡された。
それからしばらくして韓国で恋愛して結婚した奥さんの故郷、釜山に一家が移り今は韓国で暮らしている。日本語教師をしていると聞いている。
今はもう消息は何も聞かなくなったが彼の人生を垣間みたときに1人の青年の人生も台無しにするほど恐ろしい活動をされていた組織のことを日本人のほとんどはしらない。
こんなことを聞いている私は当時の韓国が独裁で国を動かさないといつ共産国にすり替わると言う恐怖にあったことを日本人はしらないだろう。アメリカ軍が配置されていてもその恐怖にさらされていた。
日本で拉致された金大中元大統領、日本のマスコミは拉致されたことで金大中藻都大統領の美化された話になっているが日本で亡命していた時の金大中元大統領の身辺もそれなりにのことがあっただろうと私は考えているが見たわけではないので詳細なことは分からない。
在日コリアンの人たちが話す内容から想像するしかない。
民主化運動しないと現代の韓国、言論の自由は生まれなかった。
それに対しては金大中元大統領の功績は大きい。
しかしノーベル平和賞はなんだったのかと思うほど、金大中元大統領は北朝鮮に訪問して扉を開けたつもりだったがそれはカン違いだった。
扉が開いていなかった。片方の扉をあけたのはただ核開発のための支援金の調達だった。10年の政権の間に韓国から莫大な支援金が送られたが何もできていなかった。むしろ核開発に加担したことになった。
このことを今日のテレビ、朝のニュースでも少し触れておられた。新聞記事にも書いてあった。北朝鮮の指導者の読みができなかったことにも問われている。
そんななま優しい北朝鮮の国策ではない。それに加担する日本の民族組織も私たちが考えているような安易なものではない。
そうしたことをよく考えて在日コリアンは両方を見られる視野を養わないといけない。客観的に物事を見る訓練が在日コリアンには絶対に必要である。
そしてここは日本、日本のこともよく知って日本で自立できる生活能力を培わないといけないと考えている。私の父親を言っていたことを子どもの私がまた言っている。親のDNAをいつのまにかひきついでいる私である。

韓国の歴代の大統領やまた関係者、困難な国力の中でこうした韓国の繁栄を築かれたことは各自に思いがあり先見の明があったということだろう。
金大中元大統領も歴史の中に残る人だろう。
さあ夕食の支度。



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