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別れ

2011年04月15日 17時23分06秒 | その他の事
今週、親しい人との別れが、ありました。

その人は、気丈で元気で、気迫いっぱいの人であったのに、病魔には、勝てませんでした。

一年前には、何の気配も、感じさせず、ほんの、6ヶ月前に、入院しているとの、知らせを受けました。

それからは、あっという間に、病状は悪化して、大きな手術を経ても、変わらず、ついに、逝ってしまわれました。



その人は、女性で、まだ、55歳の若さでした。ご主人と子供さん2人は、男の子で、共に大学生で、幸せなご家庭で、これからも、幸せを積み重ねてゆく途中でした。

振り返れば、家内の姉妹達と、幼い頃からの、姉妹同様に、育ってきた仲でありました。

気丈で、病は気からと、元気印でおられて、そんな病気や、厄やらは、蹴散らすほどの、気迫を持った人でした。

信心もし、大阪の寺へ、お参りも欠かさず、運気などにも、興味を持ち、勉強などして、私の運気も、今、大殺界だからとか、

○○など、買うのは、止めなさいとか、言ってくれたりしました。家内も何かと、頼りにしたり、子供たちの、入学、卒業、その他のお祝い等はかかさず気を使ってくれました。



それが、少し弱っているとのことで、逢いに行きました。 薬の具合で、頭髪など、薄くなっては、いましたが、少し弱弱しいながらも、受け答えもできるし、

帰り際に『また来ます』と言うと『絶対来てよ』と、はっきり言えたし、『頑張って、よくなるように』と言うと、両手で二ツのOKサインを出してくれました。

そして、帰った二日後に、亡くなったとの知らせに、『えぇッ』と、夫婦で、声をあげました。『何で、あんなに元気だったのに・・』



通夜、告別式、と、悲しい別れをしてきましたが、現役の保育士であったため、弔問客に、園児が、親御さんに連れられて、大勢、参列してくれていました。

焼香台を、背伸びして、覗きこんだり、○○先生は?と、親御さんに聞いていたり、普段は、可愛い仕草が、この日ばかりは、涙の元になりました。

その上、園長先生の弔辞に、園に必要な人を亡くしましたと、園児の大事な、好きな先生を亡くしましたと、すすり泣きながら、読まれて、また、涙。

三ヵ日間、何回、ウルウルしたんだろう。式場から火葬場までの、送迎のマイクロバスに差し込む日差しに、目が痛くなりました。眼球がふやけていたのかな~。

ウルウルと、ふやけた眼で、ご冥福を、お祈りして帰ってまいりました。

葬儀を済ませた、翌日も、何かしら気の抜けたような、脱力感で、家内と二人で、家の中で、ウロウロ、ノロノロ、だけしておりました。

自分勝手ながら、このような記事で、故人のご冥福をお祈りさせていただいて、自分に区切りをつけるつもりで、書きました。



また、明日から、皆さまに読んでもらえる記事を、書いてゆこうと、思っております。「愉快を求めて日記にならない気ままなブログ」を

どうか宜しく、お願い致します。
コメント (2)
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