祖父の活花写真帖を繰っていると、なぜか気になる一枚がありました。
枯れ木の台の上に銅花瓶。花は木蓮の枝と菊?
はて、この花瓶!どこかで見たような!?
ありました、ありました。粗大ゴミ予備軍置き場の片隅(^^;
胴径(最大) 18.9㎝、口径 10.2㎝、高台径 10.1㎝、高 18.4㎝。
胴に、中国古代模様が刻まれています。
内部の底を見ると、この花瓶は一体型ではなく、底板は後から付けられたものであることがわかります。どうしてわざわざ後付けするのかわかりません。同様の底板後付けは、古銅筒型花瓶や古銅唐人三脚丸型水盤でもみられました。この時代の技法なのでしょうか。
口元の内側には、なぜか三本の圏線(装飾?)。
驚くのは、胴の内側に陶磁器の胴継ぎでみられるような凸線がグルっと廻っていることです。
これは一体何??
古代模様は、上下、二本の凸線に挟まれています。
胴内部の凸線は、古代模様下側の凸線に対応しています。
この花瓶は、上下、二つのパーツを継いで作られているのですね。
どうしてこんな面倒な作りをしたのか、これまたわかりません(^^;
いずれにしても、祖父の写真のおかげで、粗大ゴミになる運命の品物を、一つ、拾いあげることができました(^.^)
ひねり出した答えは、ぽぽさんへのリコメに書いた通りです。
では二つのボディはどうやって作ったか?
内側の肌からすると、やはり鋳型で作ったように思えるのです。それらを接合して、底板も嵌める。
そんなことなら、初めから繋がった胴を鋳造すればよいのではないか、と思いました。でも、型が複雑で量産向きでないのでしょう。ラッパ状のパーツなら簡単にできますから。
まあ、これらは私の推察にすぎません(^^;
中国風の模様は人気があって、取り入れたのですね。
どうしてこんなに複雑な作り方をしたのか、私も疑問です。
江戸時代には、もっぱら鋳型で花瓶をつくっていました。
しかし、薄い物は作れないので、どうしても重くなります。大きな物では扱いが大変。
そこで、職人技を駆使したのだと思います。
お孫さんに救われてよかったですね(^-^*)
これは銅鋳物なのでしょうか?
複雑な古代中国の青銅器の文様を模写しているんですね。
でも、文様には、どことなく優しさを感じますので、日本製でしょうか、、、?
これを作るには高い技術力が必要なようですし、手間もかかるようですから、高かったのでしょうね(^-^*)
随分凝った造りの壺?ですね!
銅金属ならではの緑青の色の変化が素敵に見えます。(^^)
粗大ゴミ予備群には惜しい品物です笑
そして証拠写真が古さを感じさせてくれますね!
因みにこの品は中国のものなんでしょうか?図柄や彫りが日本の雰囲気ではないですよね??
それとも中国風図柄の日本産なんでしょうか??