遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

『納札 東西名物名所合せ』(5)

2021年01月26日 | 納札・紙物

『納札 名物名所合せ』の続きです。

 

【豊嶋屋白酒】

豊嶋屋(東京神田)は、江戸初期創業で、今に続く酒屋です。とろりとした白酒が有名です。白酒は、米麹と焼酎を仕込み、熟成させてすりつぶしたものです。江戸名所図会などにも描かれています。この納札の願主は大阪ですが、東京の銘酒にエールを送っているのでしょうか。

【勝曼坂角力人形】               
大阪天王寺、大江神社前の勝曼坂にある中村古翫堂でのみ売っていたという紙製の相撲人形。現在はありません。

 

【山王のおさる】
 東京、赤坂山王の日枝神社境内には、狛犬のかわりに猿が置かれています。猿はもともと山の守り神で、敬われる存在でした。「さる」が「勝る」「魔が去る」へとつながるので、勝運の神や魔除けの神に、また、猿(えん)が縁(えん)つうじる事から、商売繁盛や縁結びにご利益があると言われています。

【地車人形】

 不明(^^;

 

【べったら市】
宝田恵比寿神社(東京都中央区日本橋)の門前では、10月20日恵比寿講の時に、べったら市が催されます。江戸中期、お供えのための魚、野菜、神棚などが売られるようになったことが市の始まりで、大根のべったら漬がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれています。恵比寿講とべったら市は、毎年、非常に多くの人でにぎわいます。

【祇園御香煎】
 香煎とは、山椒、陳皮、大唐米、ウイキョウなどの漢方材料を粉末にし、焼き塩で味付けしてもので、湯に浮かべていただきます。江戸時代には、庶民から公家や茶人、宮家、文人墨客にまで広く愛されました。現在も、「祇園香煎」は京を代表する名物の一つです。

【粟田焼】
粟田焼は、江戸時代初期に京都・粟田口(現東山区)で誕生し、以降その近辺で焼かれてきた陶磁器を総称したものです。錦光山、岩倉、宝山など、有名な窯が多くあります。胎土は、少し黄味を帯びた軟陶が多いです。

 

【ざこば魚嶋】
江戸時代、大阪には雑喉場(ざこば)魚市場(大阪市西区)があり、西日本最大の生魚市場として活況を呈しました。雑喉場魚市場、堂島米市場、天満青物市場は大坂三大市場と呼ばれた。ざこば魚嶋の鯛は、浮世絵に描かれるなど、大阪名物として有名でした。しかし、昭和6年(1931)大阪市中央卸売市場に吸収され、現在は記念碑以外、痕跡はありません。

【魚河岸の朝市】
かつて、東京の日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、江戸で最も活気のある場所の一つでした。広重も、『絵本江戸土産』「日本橋の朝市」を描いています。この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災後、築地に移りました。日本橋魚河岸跡は中央区日本橋室町付近です。

 

江戸時代から続いた東西の巨大生魚市場が、大正末から昭和初にかけ、相次いで消えました。この『納札 東西名物名所合せ』は、納札に書かれた日付から、大正10年10月に作られたと思われます。この納札は、庶民の台所を担った鮮魚市場がなくなる直前の資料でもあるわけです。

 

 

コメント (6)
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