遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

コロナに負けるな No.15 三輪田米山の書『思無邪』

2020年04月03日 | コロナに負けるな

コロナに負けないぞシリーズ、第15回です。

今回も書です。

孤高の書人、三輪田米山の書『思無邪』です。

      本紙、39x95㎝

 

 

 

三輪田米山(文政4( 1821)年-明治41(1902)年)は、伊予国久米(現、松山市)の人です。幕末~明治期、神官をつとめながら、独力で研鑽を重ね、雄渾の書を完成させました。米山の前に米山なし、米山の後に米山なし、といわれるほど個性的な書を多く残しています。稀代の大酒のみで、1升、2升と呑みすすみ、酔い倒れる寸前に筆をとった書が最高のものと言われています。そのほとんどは、地元の人々に請われてしたためたものです。ですから、この地方の家々には、米山の書が大切に残されています。ちなみに、お礼は、飲んだ酒(^.^)

三輪田米山の書は、一部の人々の間では、極めて高く評価されていましたが、2008年、NHK日曜美術館で紹介され、一般に広く知られるようになりました。

私は米山について興味をもってきました。後のブログで、また、いくつかの作品を紹介したいと思います。

 

さて、書軸『思無邪』です。

『思無邪』は、島津斉彬の座右の銘としても知られ、斉彬をはじめ多くの人が書を残しています。

米山も、この語が気に入っていたらしく、いくつか揮毫しています(書体はすべて異なる)。本作品もその一つです。

『思無邪』は、孔子の論語・為政篇にある一文、「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰、思無邪」の一部です。

「子曰わく、詩三百、一言以て之を蔽(さだ)む、曰わく、思い邪(よこしま)なし」

『思無邪』の文字通りの読みは、「しむじゃ」ですが、普通は、「おもい(思)よこしま(邪)なし(無)」と読みます。

偽りや飾るところがない、純粋な心をあらわしている言葉です。

コロナウイルスの脅威が、日に日に酷くなってきている中で、政治家の無能無策は目を覆うばかり。何より問題なのは、彼らの言葉が私たちに届かないのです。

彼らが『思有邪』の人間だと、誰でも知っているからでしょう。

コロナ禍は、人間のこころの有り様をあぶり出しているのです。

コロナウィルスは、経済や社会などを軽く飛び越えて、人間の内面に向かっているような気がします。

困難な状況をのりきることができるかどうか。私たちの『思無邪』が試されているのではないでしょうか。

 

コメント (6)
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