新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【思い出話、うらばなし】東宝マンの輪はどこまでも?!映画「誘拐」がとりなす映画・演劇人の輪♪

2019-02-06 23:52:10 | 東宝時代の思い出

いまのところ、調子にのって、東宝時代の思い出をつづっておりますが、私の師匠でもあり、東宝の大先輩でもある、渡辺保先生にはすっかり叱られてしまいそうです(笑)

「ながたさん(と保先生は、いつも私をこう呼びます)、僕は東宝時代のことは、どこにもしゃべってないよ。君もあちこちで書いちゃダメだよ💦」と苦笑いされそうですが、思わぬ保先生と、東宝映画マンの輪、ということで、このエピソードをご紹介したいと思います!

こちらが渡辺保先生です。とってもやさしく、時にきびしく、時にユーモアたっぷりにご指導くださる、劇評においても人生においても、私に多大な影響をあたえてくださっ大師匠です!

東宝でも演劇部企画室長という要職にありました。劇評活動の傍ら、故・蜷川幸雄さんとの「近松心中物語」「それは恋」「NINAGAWAマクベス」などを大ヒットさせつつ、最後は実はあの、ミュージカルの金字塔「レ・ミゼラブル」をロンドンから輸入し、大成功に導き、東宝を退職され、以降は、演劇評論の第一人者として大活躍。いまは、日本芸術院会員であり、毎月の歌舞伎評論でも鋭い論陣を張っておられる、すばらしい先生です!

さて、渡辺保先生と、東宝の映画マンがどんなかかわりあいがあるかと申しますと・・?!

1997年は、邦画の当たり年でもありました。宮崎駿監督の「もののけ姫」があり、伊丹十三監督の「マルタイの女」(残念ながら遺作になりましたが、傑作でした!)、三谷幸喜監督の第1回監督作品「ラヂオの時間」があり、そして、大河原孝夫監督の「誘拐」があって、まさに質量ともにすぐれた作品がそろって、嬉しい一年でもありました。邦画も、前年の「Shall we ダンス?」(周防正行監督)の大ヒットと日本アカデミー賞総ナメという快挙を皮切りに、徐々に邦画が映画産業として、復活を遂げつつあるという手ごたえを感じており、東宝宣伝部は、みんなやる気満々になっていたのでした。

中でも、いちばん張り切っておられたのは、シナリオライターの登竜門・城戸賞を受賞した映画「誘拐」の宣伝を任された、宣伝プロデューサーの伊勢伸平さん(のちに「ハウルの動く城」「猫の恩返し」「愛を乞うひと」「大河の一滴」などの宣伝プロデューサーを務める。映像本部宣伝部長を経て、現・東宝東和㈱常務取締役です)でした。

伊勢さんは、私より入社は一年先輩でしたが、東京大学出身。大変な秀才で、宣伝トークは口八丁手八丁。話題は豊富だし、クラシックは玄人はだしの詳しさだし、体育会系で体力もあるし、というまさに「文武両道にすぐれた」先輩でした。そのエース宣伝マンぶりは、鈴木敏夫スタジオジブリ・プロデューサーの名著「ジブリの仲間たち」に詳しく書かれていて、ご本人もインタビューに登場されています。

 

ところが、とってもエリートにみえる伊勢さんでしたが、とんでもない”欠点”がありました・・・

実は大変に<競馬好き>だったのです

(爆笑)!!!

毎週金曜日の夕方になると、真剣に、印刷会社の営業さんのOさん(先述の「千と千尋の神隠し」の営業のおじさまです^^)やTさん(別の会社の方で彼はゴジラのポスターをすべて印刷していました)と「打ち合わせ」をしているので、私が「イセどん!(と、今考えれば畏れ多いことですが、わたしは彼のことをこうあだ名をつけて呼んでいました。”イセどん”も大喜びでした^^)ポスターはそろそろできあがりそうですかぁ?そろそろ決めてください!」と締め切りの催促にいくと、「うん?うーん、ながたっち、ちょっと待っててね!今ボク、いそがしいの!」と、すました顔で、OさんやTさんとずっと競馬の予想をして夢中になるくらい大好きな方でした(イセどん、ばらしてしまってごめんね💦)。

どのくらい好きというと、あまりに好きすぎて、故・森田芳光監督(彼も大変な競馬好きとして有名でした)のご指名がかかってしまうほど、”イセどん”は競馬好きでした(笑)まぁ、それでお仕事のお声がかかるくらいですから、人間なんでも趣味って大切ですね(笑)さすがに今はエライ方なので、もう競馬の予想はやめたと思うのですけど・・・?!

でも、その”イセどん”ががらりと仕事に対するスタンスを変えたのが、この映画「誘拐」でした。

なんといっても、この「誘拐」はシナリオ(森下直さんの傑作です!)が抜群に面白くて、すばらしい作品でした。テレビ部時代の先輩で、東宝映画の本間英行プロデューサーから、「ながた、これすごく面白いから意見きかせてよ」といわれたほど、シナリオを読み終わった時の感動と爽快感を覚えています!

前半は大変ハラハラするサスペンス、後半はワーッと泣かせる感動作ということで、まさに「傑作誕生!」「日本映画完全復活!」の予感に満ちた作品でした。

”イセどん”と私達は、まさにこういう日本映画を待っていたのでした!

キャストも豪華で、渡哲也さん、永瀬正敏さんという大スターをお迎えすることができ、東宝としても、盤石の態勢で臨むことになりました。

”イセどん”は益々張り切り、私に、宣伝プラン(予告編のプランから、ポスターのビジュアル、コピーまで)をいろいろ相談してくださり、私も大変うれしかったのを覚えています。

「3億円の身代金と身代金受け渡しのテレビ中継」

という前代未聞の設定をどうするか、ずいぶんプロデューサーや監督、イセどん、いや伊勢さんと話し合ったのを思い出します。

そして、このむずかしい撮影を誰にお願いするか、ということで、白羽の矢が立ったのが、東宝撮影所の大先輩にして、名カメラマン、そして、いまは映画監督としても八面六臂の大活躍をされる、木村大作さんだったのでした!

そして、無事に映画が完成し、私はその映画のすばらしい撮影にすっかり感動し、ワクワクとしていたのでした・・・が!!!

これで大変なことになったのは、宣伝部と映画調整部のある、東宝の旧本社の8階フロアです。なぜかって?私は、「木村大作さんってどんな人なんだろう(^_-)-☆ 高倉健さんの映画を撮ってる名カメラマンだよね。楽しみ楽しみ♪」と思っていたのです。キネマ旬報も愛読していた私にとって、「木村大作」という名前は、まさに憧れのお名前でした。

ところが、ある日、それが大変なことだとわかったのでした・・!!

「おーい、イセ!イセはいるかぁ!!!

高井ぃ!島谷ぃ!

だれかいないのかぁ!!!!」

8階中に響き渡る大きな声で、やってくる、ひとりのオジサンがいたのです!宣伝部の若いスタッフたちは仰天して、てっきり業界紙の記者さんがきたのかと思ったほどでした・・。

こういうときに、なぜか、「ながたっち・・ごめん、ちょっとその方の接客してくれる?」と頼まれてしまう私でした。イセどんも、(映画調整部のプロデューサーでもある)高井さんも、島谷さんも、誰もいなかったのです!わたしは恐る恐る、オジサンに挨拶をしました。

「あの、申し訳ございません、あいにく、だれもいないのですけれども・・みな打ち合わせにでておりまして」

すると、オジサンは、「なにーっ!? 誰もいないだと?! まったく、お前ら、先輩をなんだとおもってるんだ!?」と怒鳴り始めたので、私はビックリして、「申し訳ございません、失礼ですが、お客様はどなたでいらっしゃいますかぁ?」と聞きました。

すると、オジサンは、急に「あーっはっはっは!」と笑い出しました。

「おまえ、俺を知らないで、この会社に入ってきたのか?すごい根性だな。

木村だよ!木村大作だよ!」

先輩たちは、こそこそと小さくなって陰に隠れていました(まったくもぉ~!)。

わたしは「え゛ぇぇぇ~っ!?」とひっくり返りそうになりました。この、とっても暴れん坊そうな、とんでもないオジサンが、あの天下の木村大作さん?!うそでしょー!!!

木村さんは、カラカラと大声で笑いました。「そうか。俺も年をとったな。そりゃ君くらいの年じゃ、俺を知らないんだろうなぁ‼ まぁ、いいや、キミと話そうや」私は、顔が真っ青になりました。木村さんみたいな巨匠と話せる身分ではとてもなかったのです。宣伝プロデューサーは、そういうスタッフやスターさんのお相手をしてよかったのですが、一宣伝ウーマン、しかも宣材担当では、とてもお相手を許されるものではないからです。

ところが・・・・。木村さんは、「おい、『誘拐』の試写は見てくれたかい?」と気さくに声をかけてくださる、優しいオジサマでもあったのでした。

私はすっかりうれしくなって「ハイ!カメラワークが最高でした!特に銀座の身代金を引き渡す場面の迫力もすごいし、後半の湖での対決シーンも見ごたえがありました!!傑作ですね!」といったら、木村さんがすっかりゴキゲンになってしまって、「おお、そうか!キミ、なかなか見る目があるなぁ!」と破顔一笑!私はほっとしながら、「後半すばらしかったので、泣いてしまいました(^_-)-☆」といったら、木村さんは、メガネの奥の目をますます細めて、「よかった、よかった。男くさい話だからね、キミのような女の子がわかってくれて、俺もうれしいよ!」と豪快に笑い飛ばしました。

木村さんから「キミは、ずっと宣伝部にいたのかい?」と聞かれたので、「いえ、94年にテレビ部から異動になりまして。」といったら、木村さんが「おおっ!じゃ、キミは(東宝)撮影所出身か!」と、突然ニコニコしだしたので、私は益々うれしくなって「ハイ!撮影所や目黒スタジオでドラマを作ってました!」と答えたら、木村さんが「そうかそうか!いや、女の子で、俺のカメラワークに注目してくれるなんて珍しいからな。撮影所出身じゃたのもしいな!」と、かんらかんらと豪傑笑いをしました。私も、周囲の先輩たちもすっかり一安心♪

そこへ、イセどんが打ち合わせから帰ってきました。イセどんは、木村さんと私がおしゃべりをしている光景をみて、「あっちゃー!」と慌てていましたが、木村さんに会うなり、ニコニコと、「大作さん!試写回ってますけど、大好評ですよ!」とすかさずお話したので、木村さんが大変ゴキゲンになって、「そうらしいな!おい、イセ、これはガンガン試写を回して、宣伝するしかないぞ!大ヒットさせような!」と檄を飛ばされ、イセどんも大変うれしそうでした(^_-)-☆

あとは、イセどんの流れるようなスーパートークにおまかせして、私は自分の本来の業務についたのでした・・・(笑)

おかげさまで、映画「誘拐」は大変ご好評を博し、日本アカデミー賞の優秀賞を受賞したほか、日刊スポーツ映画大賞の主演男優賞(渡哲也さん)、キネマ旬報のベストテン7位にランクインという、大変輝かしい成果を収めたのでした。

イセどんもすっかりこれでスター宣伝プロデューサーの仲間入りを果たし、やがて、日本映画実写作品興行収入ナンバー1の映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」、そして、日本映画興行収入第3位の超大ヒット作、スタジオジブリ作品「ハウルの動く城」で、その剛腕にして、辣腕ぶりを発揮するまでなりました!

で、数年後。私は2003年から、東宝の総務部広報課(現在の広報・IR室)に異動になり、社内報の編集を命ぜられ、張り切っていました。とりあえず、東宝の、毎年の新入社員紹介欄を、昭和32年(1957年)からずっと見ていて、人的な流れを覚えようと、毎日ページをめくっておりました。

すると衝撃の事実が・・!!!!

1958年(昭和33年)の入社した人たちの顔写真と名前を見て、

私は「あ゛~っ!!!!!!」と叫びました。

なんと、渡辺保先生と、木村大作さんと、(私の就職の世話をしてくださった)林芳信さん(当時東宝の副社長でいらっしゃいました。故人)は、全員、同期生だったのでした!!!!!!!

ということは、林副社長は・・・渡辺先生は・・・木村大作さんは・・・全員、私の過去の「やんちゃ」ぶりを知っている?!

実は映画界のトップと、演劇界のトップは

全員、つながっている!!!???

・・・・・私は、「悪いことはできないものだ」とつくづく感じた次第でした・・(苦笑)。

その後、木村大作さんは映画監督業に進出。最近では、「散り椿」なども好評で、まさに王道、正統派の監督でありながら、バラエティにも進出され、大人気を博しておられます。お人柄の明るさ、豪放さに励まされ、慕う映画人も多いのもむべなるかなと思います(^_-)-☆

渡辺保先生は、私が大病に倒れた時も励ましてくださって、

「いいかい、ながたさん、僕を支えたのは劇評だよ。

劇評は絶対に手放しちゃだめだよ!」

と励ます一方で、

「僕だって、ちゃんといつも東宝の映画をみてるんだよ(笑)『海猿』だって見てるもの!だから、ちゃんとお給料をもらった会社の映画は見るんだよ!」

と、大変に義理堅いところをみせておられました(^_-)-☆

あらゆる意味で対照的なおふたりですが、とても人の面倒見がよく、芝居や映画への愛と情熱にあふれ、お優しいところはやはり、東宝で育ったゆえなのだろうなと思います。

おふたりの後輩として、とてもほこらしく思います!不肖の弟子ですし、後輩ですが、大先輩の名に恥じぬように頑張りたいですね!\(^o^)/

 

 


【東宝時代の思い出~超番外編~】「リング・らせん」、東京国際映画祭でお世話になった、”つぐっち”の思い出♪

2019-02-06 23:45:12 | とにかくVIPの思い出(^_-)-☆

なんだか、このブログ、パーヴォの応援ブログなのに、なぜか「私の古巣・映画会社の東宝と、それをめぐる、映画人と演劇人の、おかしなおかしな思い出話ブログ」と化しておりますが(笑)、うちの父と母が大爆笑しながら読んでくれていて、うれしい限りです!

いままで両親には、私の東宝時代のエピソードは、ほとんど話せなかったので、いまようやくいろいろな事情が話せまして、両親も「なんだか始めはとんでもない会社に娘が入ってしまった!とおもっていたけれど、どうやら、ほんとは楽しく日々すごしていたんだね(^_-)-☆」と安心してもらい、一人娘としては、両親を安堵させられてよかったなと思っております。

きょうはずっと家にいまして、両親相手に、このブログを読んでもらいました。父は、大変朗読好きなので、声にだして私のブログを母に読んで聞かせました。ゴキゲンになった父、「どうだ、パパの朗読はうまいだろ?でも、ともちゃん、お前のブログの文章は長すぎるよ!もうちょっと短くしないと、俺のアゴがくたびれちまうよ💦」と、すっかり苦笑い。

母はもうお腹をかかえてひぃひぃ笑いながら、私の話を聞いてくれていて、「チコちゃんの会社ってほんとにヘンな会社ね(笑)なんだか小学校みたい💦遊びに行ってるんだか、仕事に行ってるんだかわからない会社だったのね」と率直な感想をのべていました。

もちろん、ちゃんと仕事にいっていましたよ!!!(笑)

ところで、きょうは、ジャパニーズ・ホラー映画の金字塔「リング」「らせん」(同時上映でしたにまつわる、おかしなおかしな人間模様をご紹介します!

1998年1月に、映画「リング」「らせん」が公開されました。が、私は、これらの映画のポスター制作に本当に悩まされ、すっかりユーウツになっておりました。なかなかポスタービジュアルが決まらない上に、色校正まで出た・・・と思ったら、宣伝プロデューサーの先述のT先輩(「ポケモン」の宣伝プロデューサーですね^^)が、

「ながたっち、ごめーん!また”つぐっち”が『ポスタービジュアルが気に入らないからビジュアルを変えろ!』って言いだしちゃってさぁ~😢」

と半べそをかきながら、私に謝ってきて、また一から全部色校正を出し直すという、それはそれは大変な状態になっていたのでした。

サブでついていたのは、先述の「踊る大捜査線1」「陰陽師」、そして、「名探偵コナン」シリーズですっかり好調の上田太地くん。ところが、ベテランのふたりをして、いつもため息をついていて、「ながたっち~、どうしよう~💦」と泣きついてきたのでした。

※映画「リング」の一場面。これだけでも怖そうなのですが、ポスタービジュアルはもっと怖いので、ブログには載せません(笑)理由はあとで説明します!

「ねぇ、T先輩、たいちくん、”つぐっち”って誰なんですか?それになんでその人の一言でコロコロかわるんですか?」私がとうとう詰め寄ると、T先輩はため息をつきながら、こう答えました。

T先輩「角川書店の角川歴彦(つぐひこ)

社長だよ・・・💦」

私「えっ、マジっすか?あの角川春樹さんの弟さんですよね?」

T先輩「もうやんなっちゃうよ。角川書店の人がポスタービジュアルにGOサインを出すかと思ったら、そうじゃないんだ、あそこの会社。ぜーんぶ、”つぐっち”が目を通して、彼がOK出さないとダメらしいんだよ!」

私「え゛ぇぇぇ~っ!」

たいちくん「(さらに深いため息)・・でも、めちゃくちゃ大物だから仕方ないですよね・・」

T先輩「僕らもはじめはそう思って我慢してたんだ。でも、”つぐっち”の鶴の一声で、ポスタービジュアルがコロコロかわるだろ?でも、ながたっちが会議でやってくれた、こないだのレクチャーでは、【ポスターの色校正で、何度もビジュアルを変えると、版代がその分かかり、高額な印刷費になってしまう】ということだったよね?あーあ!ボクたち、宣伝予算のこと考えると胃が痛いよぉ~😢💦」

私「困りましたねぇ・・。ねぇ、”つぐっち”ってそんなに影響力あるんですか!?」

T先輩「あるある!すごいよ~!」

たいちくん「まぁ、角川書店の中興の祖ですからねぇ~😞」

T先輩「角川内では【社長のご託宣】といわれてるらしいよ💦」

たいちくん「まったく、どうしたもんでしょうね・・・『ゴジラ』の公開は近くなってますし・・・」

私「ポスタービジュアル、最悪、(映画調整部の)高井専務から言っていただいて、決めていただくほかないのではないかしらん・・」

たいちくん「たしかに、角川社長と高井専務は仲良しですからね。それもお願いするしかないかも・・・」

T先輩「でも、高井さんに頼むのは、最後の手段だなぁ・・。」

 

そうこう言って、3人でため息をついているうちに、ようやく”つぐっち”がポスタービジュアルにゴーサインをだしました!

私は意気揚々と、そのビジュアル案を見せていただいたのですが、あまりの怖さに「うぎゃぁ~っ!!!!」と叫んでしまいました。もう怖くて怖くて、このブログではご紹介できないくらい、怖いポスターでした。(ご興味のある方は、ご自分で検索してみてください。ほんとにマジで怖いですから!)

「もう、”つぐっち”って、こういう趣味の人なの?!何様なの、いったい!?」

と私は、すっかり、まだ見ぬ”つぐっち”に、プンプンヽ(`Д´)ノ!と、怒りまくり。印象はすっかりサイアクなものになっていたのでした。宣材倉庫に、「リング」と「らせん」のポスターやちらしを取りに行くのが、ほんとにユーウツになるほど、それはそれは怖いビジュアルだったのです!

ところが、このビジュアルで前売り券を発売してみたら、劇場で飛ぶように売れる売れる!

原作の知名度も人気も高かったこともありますが、やっぱりこのビジュアルの怖さなのかと・・。あらためて、”つぐっち”こと角川社長の眼力のするどさや、ねばりづよさに、内心感嘆していた私でした。

さて、数週間後。T先輩と、たいちくん、そして、パブリシティ担当のHさん(いまは宣伝プロデューサー。TOHOマーケティングに所属)が、とてもしょげかえって(?)会社に帰ってきました。私が「あら、みなさん、どうしたの?元気ないじゃないですか?」と聞くと、三人は、また私に泣きついてきたのでした。

「ながたっち・・きょうさ、『リング』と『らせん』の試写をみたんだよ。そしたらさ・・全然こわくないんだよぉ~💦」

T先輩が気落ちしたように言うと、Hさんは、「ほんとなんだよ、ながた。全然こわくなくてさぁ、これじゃ当たらないよ。俺ら心配でしかたないんだよ~」と口をとがらせます。たいちくんは、なにか言いたそうでしたが、ぐっとがまんしていました。T先輩がいいました。

「ねぇ、あした、ながたっち、『リング』と『らせん』の試写をみてくれない?女子高生試写会をやるからさ、一緒に見てみて、僕らに感想いってよ」

わたしは、「ほんとに怖くないんですか~?!私、怖い映画、絶対嫌いなの~!」といったのですが、T先輩もHさんも「うんうん。全然こわくないよ!」ときっぱり断言。たいちくんは、なぜか眉をしかめましたが、ずっとだまっています。私は、そういう意味ではお人よしなので、「わかりました。じゃ、明日の晩、試写みますね」といって、引き受けたのでした。

翌日。大勢の女子高生たちがやってきました。みんなかわいらしい制服姿に、当時はやり始めた、携帯(ガラケーですね)をもって、たのしげに試写室に入っていきます。私はいちばん最後に試写室に入って・・試写を見たのでした。

試写が始まりました。もう数分後、場内は大パニック!

「うぎゃぁぁぁ~!」

「えっ、マジで怖いじゃん!💦」

「やめてェ~!!!💦」

「おかあさーん!💦」

と悲鳴が次々あがる中、私は、体中ぶるぶるふるわせて、

「もう勘弁して。もう試写室出たい。帰りたい。こんな怖いの、みたくない、イヤイヤ!」と

泣き叫んでおりました。

試写会が大パニックのうちに終わり、みんなきゃぁきゃぁ騒ぎながら、試写室を出てきて、一斉に携帯で友達に電話をかけ始めました。

「もう~信じらんない!マジで怖かった!」

「マジやばで怖い!」と次々に、口コミで広まりました。

私はといえば・・・本来ならもっと冷静に感想をいわなくてはならないのですが、はっきりいって、まっすぐ立っていられないほど、頭がくらくらしていて、コワくて、泣きじゃくっておりました。

そこへ、T先輩とHさんが駆け寄ってきました!

「ながたっち!映画はどうだった?!」

私が

「もうT先輩、Hさん、こんな映画作っちゃだめですよ!誰がつくったんですか!?これ、怖すぎです!マジで怖くて、きょう家に帰れません!💦💦💦」

と泣き叫んだら、ふたりは突然、

「ばんざーい!\(^o^)/\(^o^)/」

と大はしゃぎするではありませんか!

私が「ふぇ?」とキョトンとしていたら、ふたりは「いやー、ながたっちが、あんなに怖がったぞ!『こんな映画作っちゃだめですよ!』だって!(笑)」と大爆笑しているではありませんか!

翌日私は、あまりに怖くて、とんでもない悪夢を見て、ひきつけを起こしてしまい、会社を午前半休する羽目になったくらい、『リング』『らせん』はとんでもなく怖かったのでした!

翌日出社してみると、中川さん、矢部さん、市川さん、伊勢さん、T先輩、Hさん、そしてたいちくん・・などなど、

宣伝部のみんながクスクス、クスクス

笑っているのです!

ひどーい!!!すごくみんなのこと、心配してあげて、試写をみたのに!!!

なぜか、私がひきつけを起こして会社を休んだことは、松岡会長(現・東宝㈱名誉会長)にまで話が伝わっていたらしく、松岡会長が「ながたさんがコワがって休むくらいやから、『リング』『らせん』は大当たりしますな!はッはッは!」と笑うほどだったのです(!!!)。

私は、一応けがの功名ということで、半日休んだことはお目こぼしになりましたが、なんだか釈然としませんでした。完成披露試写会のときも、なかばブンむくれながら、例によって控室係をしておりました。すると・・ちょこちょこと、小柄な背広姿のオジサンが私に近寄ってくるではありませんか!

「あなただね、『リング』『らせん』を見て、ひきつけを起こして休んだっていうひとは!」といったその人こそ、”つぐっち”こと、角川歴彦社長だったのです!!!!

 

※こちらが、その噂の”つぐっち”こと、角川歴彦(つぐひこ)さん。もうやんなっちゃうほど、偉すぎる、日本の代表的な実業家のおひとりです!”つぐっち”なんて言ってしまって、ゴメンナサイ<(_ _)>💦

株式会社KADOKAWA取締役会長カドカワ株式会社取締役会長、KADOKAWA Contents Academy株式会社取締役会長、株式会社ところざわサクラタウン代表取締役会長、一般財団法人角川文化振興財団理事長、一般社団法人アニメツーリズム協会理事長。学校法人角川ドワンゴ学園理事。東京メトロポリタンテレビジョン株式会社取締役。

株式会社メディアワークス代表取締役社長、株式会社角川書店代表取締役社長、株式会社角川グループホールディングス代表取締役会長、日本雑誌協会理事長、日本映像ソフト協会会長、コンテンツ海外流通促進機構代表幹事、東京国際映画祭チェアマン、内閣官房知的財産戦略本部本部員[1]などを歴任した。(ウィキペディアより)

私は、思わず、直立不動になって仰天!”つぐっち”は大変、ニコニコと優しく、穏やかにこういいました。

「あなた、『こんな怖い映画を作ったの誰ですか!?』といって、怒ったそうですね。高井さんからききましたよ(笑)」

私が口をあけて、ぽっかーんとしていると、”つぐっち”はさらにこう続けました。

「この映画を作ったの・・ボクなんですよ、ごめんなさいね。あなたみたいな人を怖がらせてしまって。でも、あなたのような女性ファンが怖がってくれて、劇場に来てくれると、ボクとしては嬉しいんだなぁ~(^_-)-☆」

そう、とってもユーモラスに、私にお話してくださったので、私はすっかり恐縮して、

「スミマセン、あの、へんなことを言ってしまって・・・💦」と慌てふためいていたら、

”つぐっち”は、顔をくしゃくしゃにして、「東宝さんには、がんばっていただいて、感謝しています。ボクのわがままもずいぶん聴いてくれたそうだし・・ありがとう!」とおっしゃってくださったので、私はすっかり大感激!

なんというこの低姿勢!こんなすごいVIPなのに!

その後、ご承知のように、『リング』『らせん』は超大ヒット!怖すぎるという評判が口コミで広がり、すぐに「角川冬のホラーシリーズ」ということで、正月第2弾の定番となり、ずっとシリーズ化されるほどのヒットを記録しました。

また、角川社長は、角川映画の社長、東京国際映画祭のチェアマンも歴任。映画界に革命を起こされました。のちに私が広報室で、東京国際映画祭を取材した際も、大変親切にしていただきました。

また、日本映画製作者連盟での、毎年の各映画会社社長記者会見では、私のことを覚えていてくださり、「ながたさん、『宝苑』(東宝の社内報ですね)で、国際映画祭やうちの映画のことを取り上げてくださってありがとう!」とお礼を言われ、ますます感激しました。

上記にあげた、大変華麗な経歴を歴任されて、映画・出版と大きくその巨人ぶりを示しておられますし、高井英幸社長(当時。現・東宝㈱相談役)との仲良しコンビで、映画界に大変な活力を生み出し、貢献した実績は、長く称えられることと思います。

ある種の天才肌の実業家だと思いますし、ワンマン、という人もいます。でも、実際は、とても気遣いの細やかな優しさを持ち合わせた方だと思います。

これからも、ますます日本のエンターテインメント、出版界のために、獅子奮迅のご活躍をみせていただきたいと存じます!\(^o^)/

 


【新・台所太平記】ひさびさの私の手料理に、両親もニコニコ♪

2019-02-06 16:39:20 | 新・台所太平記

きょうは、最初にブログを書いて、父が「うーん?どんなブログを書いたのか、

みたいなぁ・・(^_-)-☆」という顔をしていたので、私がスマホでみせてあげました。

(「東宝時代の思い出」のくだりですね。「もののけ姫」~「陰陽師」までのあたりをすべてです。)

一連のブログを読み終わって、父は大変ご機嫌になり、「ともちゃんも、なかなかがんばっていたのだなぁ!パパにはともちゃん、全然話してくれなかったから、わからなかったけど…いま、よくわかったよ(^_-)-☆」と笑顔をみせてくれて、うれしくなりました!

そこで父がいいました。

「うん、きょうはともちゃんに昼ご飯をつくってもらおう!パスタがいいな(^_-)-☆」

といって、パスタソースの山を見せてくれました。

母も

「チコちゃんのパスタ、たべたいわぁ~♡」

と、とっても嬉しそう!

私は、とってもうれしくなって、張り切って作りました。パスタはもちろん得意ですし、カルボナーラパスタを作っていい、といわれ、市販のソースがあったので、冷蔵庫の中のありもので、簡単ですが作ることにしました。

で、できあがったのがこちら♪

 

「チコちゃん風カルボナーラパスタ」

のできあがり~♡

 

というわけで、作り方をまずお披露目します。シンプルですけれどね(^_-)-☆

 

1 熱湯に塩をひとつまみ入れ、パスタを二束(7分でゆでられるタイプのものにしました)を茹でます。

2 カルボナーラのソース(市販のアヲハタのもので大丈夫です)を二人前2袋、玉ねぎ1個、タマゴ1個、とろけるチーズ2枚、しいたけ3枚(へたをとっておく)、牛乳、料理酒、塩コショウ(あらびき)、おしょうゆ少々、カイワレ適宜の量、コンビーフを、それぞれ用意します。

3玉ねぎはみじん切り、しいたけは短冊切り、とろけるチーズは2センチ角、にそれぞれ切っておき、ざるにあげておきます。

4 タマゴは、割って、軽く溶きます。牛乳は100mlぐらい用意しておきます。

5 フライパンにオリーブオイルを軽くしき、3をそこで炒めます。玉ねぎがしんなりしてきたら、4をそれぞれ入れます。2の牛乳、料理酒、おしょうゆをそれぞれ投入します。

6 5に、あらびきコショウをふって、市販のカルボナーラソースを入れて、煮立たせます。


こんな具合になりました(^_-)-☆おいしそうですね。


7 そこでコンビーフを投入します。いっぺんにいれるとなかなか混ざりにくいので、すこし包丁をいれて、6つ切りにして、混ぜやすくします。



8 そうこうしているうちに、7分経過。(キッチンタイマーで測ると便利です)茹でていたパスタをざるにあげ、よくお湯を切ります。べたつかないように、すこしオリーブオイルをふりかけて、よくまぜます。

 


9 カイワレをお好みの量に切っておきます。

10 8のパスタをお皿にもりつけます。そして、7で、できあがったパスタソースを、パスタの上にかけます。9のカイワレをお好みで盛り付けて、できあがり♪


父と母がひとつの皿を半分にして食べるというので、こんな感じに盛り付け。お皿がもうちょっと大きかったらよかったんですけれどね。とりあえず、パスタ皿に盛り付けて完成です。

 

そして、いただきました~


結果は両親に大好評!

なかなか味付けに、日ごろはうるさい父も、

「うん、まずまずだな(^_-)-☆」

といいながらペロリと平らげ、「昔はパパもパスタを作ったけど、なかなか今は面倒くさくてつくれないからなぁ」といいながら嬉しそうに、パクパク食べてくれました。

母は母で、大変喜んでくれて、

「チコちゃんのパスタは、

とってもおいしいわ

とすっかり完食。ゴキゲンになってくれました。

父と母とたのしくテレビをみながら、あーでもない、こーでもない、といえるのは、なんとしあわせなことでしょう(^_-)-☆

父はのんびりテレビをみていますし、母は、私と、先日私が買ってきた、リッカルド・ムーティさんの、ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」を聴きながら、ベッドですやすや休憩中です。

ゴキゲンな午後がすぎていき、私はとっても今、幸せです


【思い出話、うらばなし】ピカチュウの色に四苦八苦!?「劇場版 ポケットモンスター」の思い出です!

2019-02-06 16:38:34 | 東宝時代の思い出

東宝時代の思い出が続きます。

きょうの思い出は「劇場版 ポケットモンスター」の思い出です♡



いまや国民的な人気を誇る「ポケットモンスター」ですが、映画版は、1998年7月から公開となりました。はじめは誰も「ポケモンってなんだ?!といった具合に、ポケモンの何たるかもよくわかっていなくて、いろいろな意味で手探りだったことを思い出します。

宣伝プロデューサーは、いまは人事部次長さんになられたT先輩でした(^_-)-☆

優しくてゲーム好き、そしていたずら大好き(^_-)-☆というたのしいお人柄の方で、とても仲良くさせていただきました♪関西の劇場経験が長い方で、劇場宣伝は熟知された方でした。

東宝の宣伝部に来る人は、関西や中部、九州などで劇場や支社経験を積まれてから、宣伝部に来る方が多かったですね。映画は全国に展開をして宣伝するので、やはり東京だけの視点ではだめだということですね。

また、実はけっこう「いたずら好き」というのは宣伝マンはみな共通してもっていたとおもいます(笑)というのは、やっぱり映画の宣伝ってアタマをうんとやわらかくして、たのしく元気に映画の魅力をお伝えすることが大事なので、「遊び心」をとても大切にする、部全体の雰囲気がありました(^_-)-☆

第1作目は「ミュウツーの逆襲」と「ピカチュウのなつやすみ」でした。まず、ピカチュウという大変愛らしいキャラクターを全面に押し出そうということになりました。




ポケモンの映画は、最初から波乱含みでした。というのは、テレビ版をごらんになった小さいお子さんが、劇中のフラッシュで閃光を浴びて、てんかん症状みたいなものを起こしたので、問題になったのでした。

そこで、Tさんは劇場勤務の経験から、「真摯にこれらの問題をクリアすべく対応する」という方針をとりました。まずきちんと、「劇場版のポケモンは、こういう問題のおきないように対処します。しかし、一部光のつよい場面もあるので、ご覧になる時は、なるべくスクリーンから離れてご鑑賞ください」という告知を、全国の劇場に掲示させるという方法をとりました。大変地道な作業でしたが、お子様連れのお客様からはかえってご好評をいただきました。

次にTさんは、この膨大なキャラクターの数を誇る”ポケモン”のキャラクターをみんなに知ってもらおうと、小学館さんほか製作委員会と相談して、なんと、当時151種類あったすべてのポケモンのキャラクターを網羅した、交通広告用のB倍ポスターを作成することにしたのでした!

©2018 Pokémon. ©1995-2018 Nintendo/Creatures Inc. /GAME FREAK inc.

これは本当に大変な作業でした!

というのは、もう若い方はみなさんご承知と思いますが、ポケモンは、一つのキャラクターが3段階に進化していきますよね。「ピカチュウ→ライチュウ→〇〇チュウ」といった具合にです。その進化したキャラクターもすべて見せたい、というのがポケモンの製作委員会の意向だったので、それをすべてB倍ポスターに乗せるというのは、もうこれはへたな神経衰弱をやるより大変だったわけですね。

Tさんと私の闘いがはじまりました。何しろ、色校正が大変でした!公式本である「ポケモン図鑑」を片手に、首っ引きで各キャラクターの色をすべてその指示通りにしなくてはなりません。B倍ポスター自体を印刷することは珍しかったので、そういう意味でも苦労していました。

http://pokemon.symphonic-net.com/#ピカチュウ

やっと苦労のすえに出来上がったポスターを見ても、製作委員会のプロデューサーの方が、「ピカチュウの色が全然違うじゃないか!刷り直し!印刷会社を変更しろ!」と言って怒鳴り込んでくることもあったのでした(涙)!

でも、宣材担当としては、印刷会社の変更の要請は受け入れるわけにはいかないので、製作委員会のみなさんが集まっている編集スタジオに、校正紙を抱え、単身血相を変えて乗り込む場面もありました!(なんだか、任侠映画の高倉健さんになったような気分だったのを覚えています)

版の作り方から何から全部話し合って、ピカチュウの黄色を出し、ほかのすべてのキャラクターの色を指定通りだすために、ずいぶん私も印刷会社の工場に行って、何度も色校正を出し、細かく指示をだし、刷り出しも見に行きまして、ようやく出来上がっておほめのことばをいただきました。

そのとき、小学館プロダクション(現・小学館集英社プロダクション)のSさんというプロデューサーの方が、「東宝に、永田あり!」とおっしゃってくださって、それから東宝宣伝部内でも、私の立場がずいぶん尊重していただけるようになり、仕事がしやすくなったという思いはあります。

Tさんともこれで一気に親しくなり、ご夫婦ぐるみでたのしくお付き合いさせていただいて、感謝しています。Tさんは、私が病気で倒れた時も一番心配してくださり、はげましてくださって、

「ながたっち、あんまり根詰めすぎないで、めげないでね。僕たち、ちゃんとまってるよ!」

と応援してくださる、ほんとうに心の優しい方だったのでした。

厳しく印刷工程を管理するようになったきっかけを作った作品でしたし、いろいろな意味で、宣伝の面白さ、怖さ、大変さ、奥深さを思い知ったのが、この「ポケットモンスター」第1作目でした。

話は横道にそれますが、わたしは大学時代(立教大学法学部でした)、国際法研究会というところに所属していました。ひょんなことからゼミの教授にお声掛けいただいて入ったのですが、なんだか借りてきた猫状態でした。で、ゼミのOB会に参加しても、なんだかじつは居心地が悪かったのです。

というのも、みんな先輩同期後輩たちは、内閣府、国土交通省、日銀、海上保安庁、新聞社、某大手自動車産業、都庁、商社、巨大メーカー・・・つまり、そうそうたる、日本の中の、まさに中枢で大変ご立派なところへ就職しているわけです。そういう意味ではかなりエリート集団だったのかもしれないですね。普段はほのぼのとしたサークルでしたが、一応外交官試験を目指すサークルだったので…。いまはこのサークルはありません。

ところが私と来たら、何がたのしくて、子供向けの、ゴジラの着ぐるみを着たり、ドラえもんの入場者プレゼント用のおもちゃの中身を考えていたり、あげくに「ポケモン」の全部のキャラクターを覚えなくちゃならないんだろう・・😢とずいぶん、内心忸怩たるものはあったのは確かです。

ゼミの教授も

「荒木さん(私の旧姓です)、僕は君には外交官になってもらいたかったのになぁ・・・・なんで映画会社になんか入っちゃったの?」

というありさまで・・😢(Tさん、Sさん、東宝のみなさん、ごめんなさい)

ところが、数年後。立教大学の国際法研究会のOB会に行ってみると、みなさん小さいお子さんがいるではありませんか!で、みーんなポケモンのゲームをもっていたり、モンスターボールを持っていたりするわけです!

で、私が、近況の自己紹介で

「実はポケモンのポスターを作りました」

と話した途端に、子供たちや先輩、同期、後輩たちの顔がパーッと明るくなって、

それはすばらしいことをしたね!」

と異口同音に言ってくれたので、本当にうれしくて(涙)!

※これは3作目の「結晶塔の帝王(エンテイ)」のポスターです。これはB2ポスターなので、わかりづらいですが、B全ポスターは、贅沢にも、タイトルのところを、すべて銀の箔押しをするという、印刷技術でも、かなり高度な技を駆使して製作し、映画業界的にも大変話題をさらいました!

ゼミの教授も「荒木さんはまさに自分の夢を実現したわけだね(^_-)-☆映画を通じて、まさに『外交』をして、平和を実現したわけだ!」とお褒めの言葉を下さって感激しました!

おかげさまで、「ポケモンGO」が世界的に大ヒットして、すっかりポケモンは

「世界のポケモン」になりましたね!

というわけで、私はどこへ行っても、恥ずかしくなく、

「ポケモンのキャラクター151種類をすべて覚えて仕事していました!」

と胸を張って言えるようになりました(^_-)-☆

いろいろ引き立ててくださった、Tさんと、Sさんのおかげです(^_-)-☆

本当に感謝しています!

「ピカ!」とさけぶピカチュウの愛らしい姿をテレビでみかけるたびに、あのB倍ポスターを思いだす、私です(^_-)-☆