新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【思い出話、うらばなし】映画「陰陽師」のうれしい思い出(^_-)-☆

2019-02-05 11:13:27 | 東宝時代の思い出

まぁ、とにかく私の東宝人生の中でも、とても強烈な思い出があるのが、この映画「陰陽師」の第1作目であります!ポスターを作るのも大変、テレビスポットや予告編を作るのも大変、社内報で宣伝するのも大変、看板をつくるのも、いろいろな人と大変な議論を戦わせながら作った、まさに一大プロジェクト。大変思い出深い作品です。

2001年10月公開で、宣伝プロデューサーは、「踊る大捜査線」の第1作目のメガヒットで波にのるU君こと、上田太地さん(映画調整部を経て、現・東宝㈱映像事業部部長。「永遠の0」の製作でプロデューサーの最高の賞である、第33回藤本賞を受賞)

向かって右端、後列が、上田君(なんていっちゃいけないですね、上田さんです。いつもは「たいちくん、たいちくん」とみんなから親しまれていました。)

ここでは、「たいちくん」としてお話させていただきます(東宝は、じつはみんな、あだ名文化なのです(^_-)-☆ 市川さんはちなみに、「みなみちゃん」と呼ばれていましたし、中川さんは「けいちゃん」とよばれていました。)。

たいちくんは、また「陰陽師」の制作にあたって、私にいろいろ相談をしてくれました。

「ながたさん、また相談にのってくれませんか。ボク、こんど『陰陽師』をやることになったんですよ。主演は、野村萬斎さんです。面白くなりそうなんで、手を貸してください」

私はちょうど、「テアトロ」の劇評活動も軌道に乗り始め、野村萬斎さんに大変興味があったので、「わぁ、面白いキャストだね!うん、一緒にいろいろ考えよう!」と二つ返事で引き受けました。

たいちくんはいいました。「ながたさん、時代劇映画は『梟の城』で当たりましたけど、あれは司馬遼太郎さんの原作が有名だからということもあったと思うんです。これは、もちろん夢枕獏さんの原作もありますけれど、知名度という点では、陰陽師人気は若い女性が中心です。でも『陰陽師』は、とても面白いし、もっと僕はこの映画をオールターゲットにしたいんですよね。どうしたらいいでしょうか?」

いろいろ私もアイディアを出しました。たとえば、プロモーションビデオやテレビスポットのBGMです。「予告編のBGMを、洋画っぽくしてみたらどうかな?たとえば、『アマデウス』でもおなじみの、モーツァルトのレクイエムにして、洋画ファンにもアピールできるような、すごい大作感をだすといいのでは?」

たいちくんは、「モーツァルトって・・時代劇に、クラシックですか(@_@)」とビックリしていました。

私は「うん!『梟の城』でも、オルフの『カルミナ・ブラーナ』を使ってみたら、成功したのよ」

たいちくんは「ちょっと映像にあててみましょうか」といって、さっそく私が持ってきたCDに、プロモーションビデオの映像をあててみたのでした。

たいちくんは、あっとちいさく叫びました。「ながたさん、これ、めちゃくちゃはまりますね!時代劇にクラシック・・・うん、これはイケますね!」そういって、さっそく予告編の編集スタジオに駆け出していきました。

そしてできあがったのが、こちらの映像でした!

「陰陽師」映画 プロモーションビデオ アドレスはこちらから

https://youtu.be/bx2-HkS5rvA

ね?最後の真田広之さんの悪役ぶりが一層はえますでしょ(^_-)-☆

宣伝部では常時、テレビスポットや予告編の映像を流していて、みんながそれを見られるようになっていました。モーツァルトのレクイエムの音楽が流れ始めると、ほかの宣伝マンや、となりの製作ルームで、この映画のプロデューサーでもある、映画調整部の島谷能成(しまたに・よしなり)プロデューサー(現・東宝㈱代表取締役社長。映画調整部・映画企画部担当役員を経て現職でいらっしゃいます!)が顔をのぞかせ、みなニコニコと顔をほころばせました。

「たいちくん!

ええ予告編ができたやないの!(^_-)-☆」

と島谷さんは破顔一笑、ニコニコとされました。島谷さんは、京都大学出身、高倉健さんの信頼が大変厚い方で、とてもやさしい、情誼に厚い方でした。

私は宣伝部に異動になってからも、映画の企画書をコツコツ映画調整部に提出していたのですが、島谷さんや映画調整部のみなさんは、「ながたちゃんの映画の企画書は、いつもとてもユニークで面白いなぁ。なにか映画にしたいなぁ!」と言ってくださっていたのでした。

また、年末、まだ東宝で忘年パーティーをしていたころ、ラインナップ発表を毎年12月13日に行うのですが、そのパンフレットを作成するのが、私の最大の仕事でした。12月13日まで、絶対に社外秘であり、ミスの許されないしごとなので、とても神経を使っていたのですが、島谷さんや映画調整部の方々はいつも親切にはげましてくださったのでした。

島谷さんは、「ふぅん。この曲、『アマデウス』やね。時代劇にモーツァルトか!面白いね!」島谷さんは、最初の配属が東宝レコードだったので、音楽にも詳しい方だったのでした。

たいちくんは、すこし緊張しながら「はい、どうでしょう?製作委員会もノってくれてはるんですよ」と島谷さんにいいました。

すると、島谷さんは「いやぁ、ええのやないか。どんどん、このPVいろいろなところでかけていきまひょ!」とますます相好を崩されました。島谷さんは、いつもこうしてみんなに気を使ってくださって、いつも励ましてくださる優しい方で、感謝しています!

このポスタービジュアルも、作り上げるまでなかなか大変でした。まず、安倍晴明と源博雅、ふたりの主人公の強烈な個性を出したいということで、このビジュアルに決まったのですが、映画館の館主さんたちにしてみれば、役者さんの顔が半分になってしまうので、「大丈夫かな?」と心配されたようです。でも、野村萬斎さんという映画界ではほとんど知られていなかった存在を一躍鮮烈に記憶させるポスターとして、大変ご好評を博しました。

また当時は、まだ映画館に看板があったころでした。看板をめぐっても、このビジュアルをどう描くか、ずいぶん看板屋さんが苦労されていました。私は看板の担当者でもあったので、幾度も、東京・新宿の大久保にある大手の看板屋さんに足を運び、ビジュアルをチェックしたものでした。

新聞広告も、先述の女性のYさん(のちに彼女は東宝初の広告宣伝室長になりました)がはりきって、次々とすぐれたビジュアルを出していき、テレビスポット・新聞・雑誌・テレビのタイアップ、また安倍晴明神社とのタイアップなどが決まり、次第に「陰陽師」ブームが巻き起こったのでした。

野村萬斎さんという方も、この作品で私は初めて知りました。背筋がとにかくピーン!とまっすぐで、すばらしいお声で朗々とされ、大変なカリスマ的な魅力があり、わたしたちは一変に「映画スター誕生!」と色めき立ちました。

また相手役の伊藤英明さんも清新な魅力を発揮。「海猿」で映画界の大スターになられました。

真田広之さんは、特別出演ということで、大変な悪役を鮮烈な個性で演じ、こちらも大変話題になりました。特に、ラストの萬斎さんと真田さんの大立ち回りは大評判をとりました。

結果は作品の出来栄えもよく、大ヒットを記録。公開と同時にパート2の製作もすぐに決定し、キャスト・スタッフ陣は大変喜びました!

その後、野村萬斎さんは狂言界を代表するスターとして、現代演劇に旋風を巻き起こされ、また東宝では「シン・ゴジラ」の動きも担当され、現在公開中の映画「七つの会議」で、主演されるなど、演劇・映画・テレビと幅広く活躍され、ますます人気を誇っています!

こういう方とお仕事ができて、本当によかったと思いますし、たいちくん、島谷さんたちとの仕事もとても楽しくてうれしかったです!すばらしい思い出と仲間たちに感謝です!