いやあ、夏も終わりですね。
今年はあまり夏らしくなかった。会社のせいで心境的にも。
オリンピックが終わると余計そう感じるよね。
8月末に書く日記ではないのかもしれないけど…。
そんな期待してたわけじゃなかったけど何気に真剣に観てしまいましたよ。
何が良かったかって?ケンブリッジ飛鳥選手がかっこよすぎて見惚れてしまったぜ。。。
礼儀正しいアスリート、そして日本っ気のない風貌に坊主、かっこよすぎ!!
ボルトの“一瞬の睨み”に「やべっ」。ケンブリッジ、12年越しの夢とその先。
Number Web 8月31日(水)7時1分配信
ボルトの“一瞬の睨み”に「やべっ」。ケンブリッジ、12年越しの夢とその先。
コンマ何秒の瞬間だが、ボルトは確実に日本のレーンに視線を向けた。それはケンブリッジにとってかけがえのない時だった。 photograph by JMPA
「きた、きた、キターーーーって思いました」
ボルトと並走した時のことをケンブリッジ飛鳥(ドーム)は目をキラキラさせながら、こう表現する。
ケンブリッジにとってウサイン・ボルトは特別な人だ。
ボルトが圧倒的な走りで北京五輪の100mを制した時は中学3年生だった。
「あのレースは本当に凄かったです」
中学の陸上部で走っていた少年は「ボルト選手みたいになりたい」と考え、成長するにつれ「いつか一緒に走ってみたい」と夢を見た。
ボルトと走ってみたい、その思いからジャマイカを訪れたのは2014年2月のことだ。知り合いのつてでジャマイカのレイサーズ・トラッククラブの練習に参加したが、残念ながらボルトは不在。しかしボルトの練習場所で、同じ風景をなぞりながら走ったことは大きな刺激になった。会えなかったことは残念だったが、いつか世界の舞台で一緒に走りたいという気持ちがますます強くなった。
軽度とはいえ、ボルトと同じ脊柱側弯症を抱えて。
昨年行われた北京世界陸上も代表入りを狙っていたが、6月の日本選手権では100m4位。標準記録に及ばなかったこと、5月にバハマで行われた世界リレーの代表を辞退した関係もあり、リレーメンバーからも外された。その後は怪我に苦しみ、9月の全日本学生選手権では両足太ももにテーピング姿の満身創痍でレースに臨み、100mは10秒78の最下位に沈んでいる。同じく怪我で北京世界陸上を逃した桐生が10秒19と好タイムを出してメディアのスポットライトを浴びる中、ケンブリッジは「もう怪我に疲れました」と涙を浮かべながら声を絞り出した。
才能があると期待されながら怪我が多かった。ダイナミックな走りに体がついていかなかった点、また軽度ではあるが脊柱側弯症であることも多少影響していたかもしれない。ボルトが脊柱側弯症のために怪我が多いことはよく知られているが、「ボルト選手よりも軽いですけど。僕もです」と認める。
しかしリオ五輪に出たいという一心で、昨オフは肉体改造に着手した。「これまでにない走り込みをした」と言うように、走練習ではこれまでにない質量を行ったほか、ウェイト練習や体幹運動に徹底的に取り組んだ。「あの練習をまたやるのかと思うと気が重いです」と話すが、心身ともに追い込んだ結果が今季の飛躍に繋がった。
真新しい「ダークホース」スパイクを着用した。
15歳の時に持った「いつか一緒に走りたい」という夢は、オリンピックという最高の舞台で実現した。
8月19日に行われた400mリレーの決勝。日本は山縣亮太(セイコー)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジと37秒68のアジア新記録を出した予選と同じメンバー。ジャマイカは予選と決勝でメンバーを入れ替え、アサファ・パウエルが1走に入り、ヨハン・ブレーク、ニケル・アシュミード、アンカーには怪物ウサイン・ボルトが入った。ジャマイカは4レーン、日本は右の5レーン。ケンブリッジはボルトと最終アンカー区間で競うことになった。
前の走者とのタイミングを見るために、一歩ずつ歩数を確認するケンブリッジの足元には真新しいスパイクが輝いていた。右足の外側は日の丸、内側には馬、左足の内側はジャマイカの国旗があしらわれたもので、馬は日本選手権100mで「ダークホース」として勝利を挙げたことからリオ五輪でも挑戦者として活躍してほしい、というアンダーアーマー製作者の期待が込められていた。
派手な事や目立つのが苦手なケンブリッジは「こんな派手なスパイクを履いているの僕だけですよ。恥ずかしいです」と言いつつも、勝負スパイクの紐を結んだ。
ボルトが並んだ瞬間「きた、きた、キターーーーっ」
1走の山縣が抜群のスタートでトップ集団で2走の飯塚へ。伸びのある走りを見せた飯塚は米国、ジャマイカに続いて3走の桐生へ。
「前の3人がいい位置で持ってきてくれると信じていた」というケンブリッジは、カーブを爆走してくる3走の桐生が所定の位置に来ると迷わずに飛び出した。日本、ジャマイカ、米国がほぼ横一線。バトンを受け取るとケンブリッジは前だけを見て走った。4レーンのボルトは、左手でバトンを受け取ると無意識に右手に持ち替え、すぐにケンブリッジに並ぶ。
「きた、きた、キターーーーっ」
チームメイトが好位置で持ってきてくれると信じていたので、ボルトと争うことは予想していた。だから焦りも硬くなることもなかった。「どこまでついていけるかと思って走った」と話すように、ボルトに果敢に挑戦した。
ボルトに睨まれたあの瞬間、実はピンチだった。
その思いが強すぎたのか、ケンブリッジはボルトの走りに吸い込まれ、少しずつボルトの走る左レーンに近づいていく。ボルトもわずかではあるが日本のレーン寄りを走っていたため、30mほどで互いのバトンがぶつかった。
「やべっ」と思ったというケンブリッジをジロリと睨むボルト。その瞬間は多くのカメラマンに激写され、世界中に発信された。
これ以上ぶつかったらまずい、そう思ったケンブリッジは走りが少し乱れてバランスを崩す。「危なかった。転ばなくて良かったです」と安堵したが、スピードダウンは免れず、米国とカナダとの差が縮まった。しかし後半の強さで強豪チームの猛追を振り切って2位でゴールした。
次は「ロンドン世界陸上100m決勝で戦いたい」
「今までの100mで一番短かった」
銀メダルをとった満足感と喜びはあったが、ボルトにあっさりと勝負を決められた悔しさもあった。
「最初の30mくらいは並んでいたと思う。最後は一気に行かれちゃいましたね。差を感じました」
苦笑いしながらレースをこう振り返る。
若い選手が自分に挑んでくることを楽しみながらも、ボルトは「俺に勝てる選手はいない」と豪語し続ける。「一緒に走りたい」という夢を叶えたケンブリッジの次なる目標は「ロンドン世界陸上100m決勝で戦いたい」に変わった。
リオで体感したボルトとの10秒をロンドンで再現するために、ケンブリッジの戦いは続く。
(「リオ五輪PRESS」及川彩子 = 文)