医療と薬の日記

医療ニュース、薬など

東京女子医大 過量投与の責任を自覚せよ

2016-07-26 20:25:50 | 日記
一昨年、東京女子医科大学病院において、抗てんかん薬の過量投与による死亡事故が起きていたと毎日新聞等のメディアが報じています。

東京女子医大病院 薬16倍投与、女性死亡 ミス否定 14年
東京女子医大病院 遺族「リスク説明ない」…過量投薬
東京女子医大病院 副作用重ねて周知 学会や厚労省関連団体


非常に痛ましい事故であり、ご遺族の心境を想像すると残念でなりません。
また、医療者の一人として、この事故が未然に防止されることなく、実際に発生してしまったことについて、忸怩たる思いがあります。

報道では、処方箋の調剤を担当した院外薬局から「量がかなり多い」として疑義照会があったとされています。残念ながら、薬局からの働きかけにより処方内容が見直されることはありませんでした。
この事例を調査した「日本医療安全調査機構」は処方内容について、「最良の選択肢とは言い難く、あえて選択するなら必要性やリスクを本人や家族に十分に説明して同意を得るのが望ましい」と指摘しています。

現時点では、「患者の希望に沿って確実な効果を期待した。リスクについて説明している」とする病院側と、「副作用の説明はなかった。あれば処方は受けなかった」とする遺族側の主張は食い違っていると報じられています。

この事故は未然に防ぐことができたはずだと、私は考えています。
そしてそれが実現していない理由は、医療制度設計を担当する厚生労働省や日本医師会、日本薬剤師会による不作為、そしてそれを十分に追及できていない日本のジャーナリズム、現状を容認し続ける日本の社会にあると思っています。


私自身の薬剤師としての経験に照らせば、受け取った処方箋の内容について、疑念を抱くケースは実際に存在します。薬剤師法は、

24条 疑義照会義務
処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。

と規定しており、薬剤師はその疑義について、処方箋を発行した医師に照会を実施します。
もし、照会によっても疑義が解消されない場合には、薬剤師は処方せんを調剤することができません。患者側に必要な注意喚起を行ったうえ、他医受診などの対応について説明すべき、とされています。


果たして、日本の薬剤師は、こうした本来の職責を十分に果たせる環境にあるでしょうか。

実際問題、疑義照会に対して医師が処方を変更しない場合、「そのままで」という回答が最も多く、その理由を自発的に説明する医師は少ないと私は感じます。
そして、自発的に説明しない医師に対して処方の理由を問う際、不機嫌にならない医師もそう多くはないと感じています。薬剤師業界の情報・書籍を眺めれば、「医師に聞き入れられやすい、疑義照会の方法」といった記事が溢れています。医師の機嫌を損ねると患者利益は実現されないというのが、医療業界のコンセンサスなのでしょうか。

ごく稀に、医師の処方内容・治療方針に納得することができず、他の医師に相談するよう患者に勧めることがあります。処方した医師からクレームが入り、その病院からの患者が激減したこともあります。
医師の皆さん、そして患者の皆さんは、私の行動を歓迎するでしょうか。
私と同様の言動を選択する薬剤師は、医学・薬学的に正しいとされる判断に留意しさえすれば、勤務する薬局に居づらくなったり、転勤させられるといった心配、医師が激高して処方箋発行を停止する恐れなく、業務を続けることができるでしょうか。
地域の患者さんは、「病院に近い薬局が良い薬局だ。院内処方であればなお望ましい。医師が処方したのだから薬剤師の能力など関係ない」とせず、責務を忠実に果たそうとする薬剤師・薬局を選択してくれるでしょうか。


医薬分業制度、すなわち処方箋を発行する病院と調剤を実施する薬局とを立場的・経営的に分離する仕組みが存在するのは、医師と薬剤師が各々の専門性を「患者に対して」発揮するという目的のためです。
制度自体は欧米など先進国の事例を取り入れたものですが、「日本型の医薬分業」とも呼ばれる幾つかの特徴があり、その代表が「医師による任意分業」です。これは薬剤師による介入が必要かどうかを医師が判断するという、職能間のヒエラルキーを是認する価値観を反映しており、保険医療における薬剤師の業務全般に通底しています。

こうした日本特有の分業制度が発するのは「医師が必要と考える範囲において、患者のために専門性を発揮せよ」というメッセージです。誠実で良心的な医師に働きかけ、処方内容の改善を図ることはできても、そうではない医師に対する抑止力にはなりません。


日本医師会が主張し、医療制度の前提となっている「清廉で高邁な医師」しか存在しないのであれば、日本の医薬分業制度に何ら問題はありません。しかし現実はそうではないと皆が知っています。
西村高宏氏は論文「日本における『医師の職業倫理』の現状とその課題」において、諸外国と比較して日本の「医師の職業倫理」徹底化には問題があり、その理由の一つとして、日本には任意加入の職能利益集団しかないことを指摘しています。
諸外国の医師会は、日本のように繰り返し医薬分業を攻撃し、制度を後退させようとはしていません。その事実は、日本の医療制度に関する議論がつまるところ「金と権力」の争奪戦であり、患者利益を最優先にしていないことを証明しています。医療倫理は脇に置かれたままです。

そして日本薬剤師会も、医薬分業制度の問題点について声高に主張することはありません。医師会・薬剤師会の政治的なパワーバランスを考慮すれば、「それが得策ではなく、現状の分業政策を進めることが妥当だ」と考えるからでしょう。しかし、当事者である薬剤師自らが制度の問題点について説明しなければ、国民に伝わることはなく、患者自らが警戒することすらできません。
あるいは、「時機が来れば、言うべきことは言う」とするのかもしれません。過去数十年間そのようなタイミングはなく、今後数十年パワーバランスが逆転する見込みもありません。つまりは自らの薬剤師人生において「自分からは言わない」という選択をしたのです。医薬品・薬物治療を司る専門職集団として誠実な姿勢であるとは思えません。

また、こうした医療業界の姿勢に対し厚生労働省も、追認することはあっても力関係に見合わない制度を導入することはないと指摘されています。政治家からの働きかけがある他、医系官僚・薬系官僚などといった派閥が存在し、退官後は業界に天下りする関係上、互いのメンツをつぶすことができないとされます。
ジャーナズムもまた、医療事故を報じることはあっても、引き続きその根底に存在する業界の暗部について、強く批判することは稀です。国民は疑念を抱えつつ、医療制度の複雑さのために、それを受け入れる以外の選択肢を持ちません。


なぜ、薬剤師が職業倫理に従って処方内容について医師に指摘し、患者に対して注意喚起を行うという単純な行為に、これ程の困難を伴うのでしょうか。現状の制度・医療文化に問題がないとするなら、患者はどのように身を守ればよいのでしょうか。 憤りを感じます。

巨泉さん「鎮痛剤の誤投与」について

2016-07-21 13:58:53 | 日記
今月12日に亡くなられた大橋巨泉さんの奥様、寿々子さんがコメントを発表されました。その中に

先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。
もし、一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。


という記述があったことから、ネット上では様々な憶測が飛び交っており、中には医療関係者によるものと思しき、寿々子さんに対する批判的な意見がみられます。
この「誤投与」とされる件については、週刊現代7月9日号に掲載されたコラム「今週の遺言 大橋巨泉」において、ご本人が言及されています。


3月20日を過ぎる頃から体力の落ち込みが激しく、27日に入院して検査を実施。幸いがんは見つからず、栄養補給のためCVポート(埋め込み型点滴補助器具)を留置し、退院して在宅療養に移行。「背中が痛い」との訴えにより、鎮痛剤が薬局から大量に届いた。
主治医は毎日来るが何もせず、この頃から記憶が曖昧に。日に日に弱っていく巨泉さんを見てご家族が不安になり、がんセンターの医師、奥様の親友の医師にそれぞれ相談、薬剤の使用方法に問題がありそうとの指摘を受ける。
退院後5日目で主治医より「今日が危ない!」と言われ、余りに急激な変化に疑問を感じ再入院を決断、移動中に意識が消失する。
その薬剤は体内に蓄積されるため、がんセンターでは体力に合わせて使っていた。センターからの資料を読めば理解できるはずが、何故だか大量に渡された。
奥様によれば、緊急入院後も普通に返事をしていたらしいがご本人は記憶になく、認識が戻り始めたのは4月末頃。


概ねこのような内容であり、こうした経緯によって、大きく体力を落としたとのことです。

薬剤師の立場からすると、確かに、非常に気を遣う病状です。
体力の落ち込みがあり、なおかつ栄養摂取にかかる経路が変わるタイミングでもありますので、体重や水分量、薬剤の代謝に関わる腎機能(急激に機能が低下する恐れのある時期でもあります)、薬効の評価・投与量の設定など、慎重な対応が必要です。

コラムでは、「記憶が曖昧に」「普通に返事をしていたらしいが記憶になく」とあり、過剰投与によるせん妄(周囲を認識する意識の清明度が低下し、記憶力低下、見当識障害等がおこる)の可能性を窺わせます。
患者さんとの長い付き合いがあれば、会話のちょっとした違和感から判断できるケースもあるものの、変化が明らかではない事例も少なくありません。主治医の「毎日来るが何もせず」は、巨泉さんの様子を注意深く観察していたのかもしれません。

通常、在宅医療における、こうした病状の評価や対応は医師の独断で進められているのではなく、看護師や薬剤師もベッドサイドに赴き、各医療職が情報を共有しながら治療を進めています。
当時の治療に直接関与していない二人の医師が、共に「薬剤の使用方法に問題があるかもしれない」と評価したにも関わらず、担当した薬剤師がこれに気付いていない(担当医や患者に対し問題を指摘していない)というのは、うまく医療チームが機能せず、情報共有に問題があったのかもしれないと感じます。
あるいは、そもそも薬剤師は治療に参加していなかったのかもしれません。薬剤師が在宅で薬学的管理指導業務を行うためには、制度上、医師の指示が必要であり、医師がその要否を判断しますが、薬剤師からの介入を嫌う医師も一部には存在します。


ネットの反応の中には、寿々子さんのコメント中の「鎮痛剤の誤投与」「モルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与」といった言葉のみを捉え、「寿々子さんの誤解だ」「終末期治療だから仕方ない」等と反発する意見がみられます。しかしながら、上記のコラムの記述内容を読めば必ずしもそうではないことが分かるはずです。

例え匿名であったとしても、医療関係者による安易な言説、ご家族に対する心無い発言は不適切です。