日経新聞に『処方薬を大衆薬に転用しやすく 店頭販売を拡大』という記事があった。
処方薬(医療用医薬品)を大衆薬(一般用医薬品)に転用することを「スイッチOTC化」というが、この要望を従来の製薬企業からのみではなく、消費者や健康保険組合からも受け付ける仕組みとすることで、転用を促進しようということらしい。
米国や欧州では、医薬品費に占める大衆薬の比率が軒並み20%を超えているが、日本では約10%と低い。転用が進むことで、製薬企業にとっては売り上げ増加が見込め、健康保険組合にとっては医療費抑制、消費者にとっても利便性が向上する、といった内容だった。
実際に多くの先進国では日本と比較してスイッチ化が進んでおり、公的医療費の抑制に効果を挙げている。日本でも、この動きは今後加速するとみられていて、病院での支払いの自己負担率を上げるといった受診抑制策と共に、公的医療費を抑制する方策の一つとなっている。
この件について、個人的には『日本の医療にとってあまりよいことはない』と思っている。
スイッチOTC化には、上で挙げたように各々の立場で異なった利害が生じる。どういった価値観を重視するかで制度の形も変わってくる。
製薬企業にとっての利益を考慮すれば、消費者がより積極的に医薬品を購入することが望ましいということになる。医療用医薬品と大衆薬、どちらの利益率が良いかは薬によって違うだろうが、例えば特許の切れた抗アレルギー薬などはジェネリックメーカーにシェアを奪われることが多いため、OTC化が望まれるかもしれない。健康保険組合にとっては、被保険者である国民が医療機関にかかることなく大衆薬で済ませる方が有難い。消費者にとっては、効果が良くて安全な薬を病院での待ち時間なしに購入できるなら歓迎ということになるだろう。
もちろん、どの立場の人も「転用するかどうかは、医薬品の安全性が前提」と言うだろう。だが残念ながら日本においては、それは上手くいかないのだ。
■ 大衆薬の「安全性」とは何だろう
医薬品を服用する上での安全性のポイントは2つ挙げられる。一つは「副作用」、もう一つは「選択の難しさ」だ。
副作用の観点から、相対的に安全な医薬品を選定することは不可能ではない。副作用症例を拾い上げて、使用頻度を考慮すればよい(注1)。だがもう一方の選択の難しさについては、日本で考慮されているとはいい難い。金銭を支払って購入するもの(商品)は自由に選択したい、検査せず薬を選ぶことはできない、薬剤師は医師ではなく薬を選ぶ能力はない、といった価値観が根強いのではないかと思われる。
実例を挙げてみる。
昨年の7月初旬、私の薬局に20歳代位の男性が頭痛薬を買いに来た。どんな症状か尋ねたところ、抵抗感はあったようだが、渋々答えてくれた。友人と久しぶりにサッカーをしていたところ、その友人が頭痛を訴えたため横にして休ませ、自分は薬を買いに来たとのことだった。
追加で幾つかの質問をし、熱中症を疑った。もし熱中症であれば、そもそもこの男性が購入しようとした頭痛薬には発汗を抑制する副作用を持つ成分が入っており逆効果になってしまうし、熱中症に伴う脱水症状は頭痛薬による急性腎不全の大きなリスク因子となる。
相談の結果、最寄りの内科診療所を受診することになった。診断はやはり軽度の熱中症とのことで、点滴によって回復し、薬は結局不要であった。
■ 薬剤師による介入の必要性
こういった要素は「薬剤師による介入の必要性」として、多くの国において、医薬品を分類する上で重視されている(購入の際には「ファーストジャッジメント」と呼ばれる薬剤師の機能として)。
医薬品の分類にあたり、「利便性や入手の必要性」、「副作用の危険性」、「薬剤師による介入の必要性」といった要素はどれも重要なものだが、その社会がどういった価値観を重視するかによって、その線引きは変わってくる。いわゆる先進国の中では、欧州やオーストラリアの分類が中庸とされ、北欧諸国は利便性・経済活動より安全性重視、アメリカは自己責任を重視し規制を極力設けない、といった特徴がある。
安全性が高く、薬剤師による介入の必要性も高くない場合には、薬剤師がいないスーパー等でも販売できる「自由販売医薬品」に分類される。もう少し注意が必要な医薬品だと「薬局販売医薬品」として、薬剤師が常駐する薬局において販売される(アシスタントによる販売も可)。さらに薬剤師のみが販売する「要薬剤師医薬品」、処方せんが必要な「要処方せん医薬品」、と段階的に分類されるのが一般的だ(国により名称などは異なる)。
これに合わせ医薬品の陳列方法にも段階的な規制がある。購入者が自由に手に取れる場所でのセルフ販売、カウンターの後ろ、購入者の目に付かない場所、といったものだ。製薬企業による消費者への宣伝方法も、分類に従って制限あるいは禁止されることになる。
日本での分類は、薬剤師による販売が必要な「要指導医薬品」と「第一類医薬品」、登録販売者による販売もできる「第二類医薬品」と「第三類医薬品」、自由に販売可能な「医薬部外品」となっている。要指導医薬品と第一類医薬品を販売しない薬局では、薬剤師の配置は必要ない。
■ 日本における大衆薬の危険性
ここまで読んで、もう理解したという人も多いかもしれない。日本は「制度は中庸、実態はアメリカ型」を志向している(「本音と建前」を使い分ける国だ)。大衆薬をOTC医薬品と呼ぶのは、そもそも「Over The Counter」、つまり大衆薬を購入する際の標準的な購入方法(カウンター越しに薬剤師と相談し薬を選択する)に由来している。日本において、これに近いものは要指導医薬品と第一類医薬品ということになるが、その数は全体の1%に満たず、消費者への宣伝も制限されない。実態は購入者が指名する医薬品について薬剤師が書面で説明を補足するという形であり、購入者からの相談に応じて薬剤師が薦めるものではない。厳密にいえば、日本にOTC医薬品というものはないということになる。
「薬剤師から買う必要がない大衆薬は安全だ」という意見を耳にすることがあるが、これは誤解だ。第三類医薬品と医薬部外品には確かに安全性が高いものが分類されているのだが、第一類と第二類は、そもそも副作用の危険性で区別されている訳ではない。
実際に厚労省による説明においても、副作用に関する記述はどちらも「その副作用等により、日常生活に支障をきたす程度の健康被害が生じるおそれがある医薬品(注2)」と、全く同じ内容となっている。薬剤師から購入しなければならない面倒さを嫌う消費者と、制限のない自由な販売を求める企業側、規制緩和による活発な経済活動を求める国の利害が一致した、ある種の詭弁といえるかもしれない。
同様の誤解に「大衆薬で治まる症状であれば大丈夫。治らなければ病院に行けばよい」というものもある。
ちゃんとした労働基準法がありながら、サービス残業やブラック企業がまかり通る日本において、医薬品の販売制度はマトモだと考えるのは、ちょっと楽観的過ぎるかもしれない。欧州での価値観から日本の様子を見れば「こんな制度は不誠実だ」ということになるだろうが、近年の日本の価値観でいえば、「自己責任」、「情弱(情報弱者)」といった表現で片付けられるのだろうか。
結局のところ、利便性や経済活動のために、どの程度であれば「正しさやモラル」を放棄できるかという、社会的合意ということなのだろう。これにより、ドラッグストアは全国至る所に出店しているし、品揃えは豊富で営業時間も長い。大衆薬の値引き販売が禁止されている国もある中、日本の値引き合戦は魅力的だ。薬剤師からあれこれ質問されることもなく、思いのまま大衆薬を選べることも魅力だろう。
その反面、アメリカでは、一般的な、たった一種類の大衆薬によって毎年数百人の死亡例が報告されている。日本では副作用被害の集計が十分ではないため比較は困難だが、アメリカの制度を志向している現状を考えると、少なくとも同じ方向へ進んでいることは確かだろう。
■ 安全な大衆薬にするための解決策
もしも現状の大衆薬制度を変更することなく(実際問題、不可能だ)、「大衆薬の安全性」を重視するのであれば、私は「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」の利用拡大を挙げたい。
「医療用医薬品」は病院などで処方される医薬品のことだが、この医療用医薬品はさらに「処方箋医薬品」と「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」に分類されている。
「処方箋医薬品」には、高血圧治療薬や糖尿病治療薬など、病院で実施される検査値などによる判断が不可欠なものが多く分類され、誤った使用による不利益、副作用も大きい。厚生労働省も、処方箋医薬品については、大規模災害などの場合を除き、処方箋なしでの販売を固く禁じている。
一方の「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」は、処方箋医薬品よりは幾分副作用等の危険性や検査値による判断の必要性が低い、大衆薬に近い分類だ。実際に、これまでスイッチOTC化された、あるいは今回の記事でスイッチ化の候補とされている成分は概ねここに分類されている。
処方箋医薬品を患者に直接販売することは固く禁じられている一方、「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」の販売については、「処方箋に基づく薬剤の交付が原則である」としつつ、多くの条件を付けたうえ、限定的に認められている。その条件は、使用者本人への販売、販売数量の限定、適切な受診勧奨、陳列・一般向けの広告の禁止、十分な服薬指導の実施といったものだ。
これは実質的に、欧州でいうところのOTC医薬品に近い。実際に、この分類を使って制度を運用する国もあり、日本でこの分類を設定したのは、将来的な運用可能性を模索したものといわれている(あるいは、保険償還から外すことで公的医療費を節約する方策として)。
■ ただし、それは不可能だ
だが、そのような選択肢があったとしても、実現可能性は極めて低い。
製薬企業からすれば、この制度を進めたところで医薬品の使用量が増える見込みもなく、利益率も低い。CMによって売り上げをコントロールすることもできない。健康保険組合にとっては反対する理由はないが、日本医師会は嫌がるだろう。
何より、国民が納得するかという問題がある。上で挙げたような、豊富な選択肢から自由に選ぶことができない。薬剤師に相談しなければならないという煩わしさ、そもそも相手の薬剤師が信用できるのかという疑問、(実現するとすれば)値引きが禁止される可能性も高い。
「どのような制度にすべきか、医薬品の安全性が前提」とは、どの立場の人も口を揃えて言う。
だがどの立場の人も、
「ただし、利益の最大化という優先事項は譲れない」
「ただし、自分たちの利益が減らない限り」
「ただし、便利で心地よい購買行動を制限しない限り」
という価値観を手放すことはできない。
こういった諸々の事情を考慮すると、この方向へと進むことは考えづらく、徐々にスイッチOTCを進め、同時に病院を受診しづらい状況とすることで、公的医療費の削減を図ることになるだろう。
ただ本稿で説明したように日本でのスイッチOTC化には、他の先進国とは異なる、独特の危険性がある。多くの方はこういった危険性について実感することは少ないかもしれないが、薬剤師として仕事をしていると、このような失敗(医療者が行えば裁判もの、あるいは誤った選択による健康被害、適切な治療機会の喪失など)は日常的にみられるものだ。
この点について、ご注意頂ければと願う。日本はもはや、弱者のための国ではない(注3) 。
注1)言ってしまえば簡単なようだが、実際には難しい面がある。報告するのは服用した本人か、薬を渡した(販売した)立場か、副作用の治療にあたった医療者か。特に日本ではこの機能は弱いと指摘されることがある。過去にスイッチ化された医薬品では、スイッチ前に年間数十例報告されていた副作用が、OTCでは副作用が殆ど報告されない安全な(?)薬になった例も。「副作用は暗数としてのみ存在する」という名言がある。
注2)「日常生活に重大な支障をきたす健康被害、死亡例、選択の誤りによって健康寿命が損なわれるおそれはない」とは書いていない。
注3)本稿の場合、弱者とは「不幸にも副作用被害に遭ってしまった人」を指せばよいのだろうか。大衆薬の選択を誤った人、医師への受診のタイミングを誤る人、適切な受療行動を取れなかったことで得られるはずの健康寿命を失ってしまった人も弱者とするならば、強者であり続ける人をほとんど見ない。思慮深い医師、ある程度優秀な薬剤師くらいか。
この点について、精神科医でもあるブロガーのシロクマ氏が度々指摘している
http://blogos.com/article/108998/?p=2
処方薬(医療用医薬品)を大衆薬(一般用医薬品)に転用することを「スイッチOTC化」というが、この要望を従来の製薬企業からのみではなく、消費者や健康保険組合からも受け付ける仕組みとすることで、転用を促進しようということらしい。
米国や欧州では、医薬品費に占める大衆薬の比率が軒並み20%を超えているが、日本では約10%と低い。転用が進むことで、製薬企業にとっては売り上げ増加が見込め、健康保険組合にとっては医療費抑制、消費者にとっても利便性が向上する、といった内容だった。
実際に多くの先進国では日本と比較してスイッチ化が進んでおり、公的医療費の抑制に効果を挙げている。日本でも、この動きは今後加速するとみられていて、病院での支払いの自己負担率を上げるといった受診抑制策と共に、公的医療費を抑制する方策の一つとなっている。
この件について、個人的には『日本の医療にとってあまりよいことはない』と思っている。
スイッチOTC化には、上で挙げたように各々の立場で異なった利害が生じる。どういった価値観を重視するかで制度の形も変わってくる。
製薬企業にとっての利益を考慮すれば、消費者がより積極的に医薬品を購入することが望ましいということになる。医療用医薬品と大衆薬、どちらの利益率が良いかは薬によって違うだろうが、例えば特許の切れた抗アレルギー薬などはジェネリックメーカーにシェアを奪われることが多いため、OTC化が望まれるかもしれない。健康保険組合にとっては、被保険者である国民が医療機関にかかることなく大衆薬で済ませる方が有難い。消費者にとっては、効果が良くて安全な薬を病院での待ち時間なしに購入できるなら歓迎ということになるだろう。
もちろん、どの立場の人も「転用するかどうかは、医薬品の安全性が前提」と言うだろう。だが残念ながら日本においては、それは上手くいかないのだ。
■ 大衆薬の「安全性」とは何だろう
医薬品を服用する上での安全性のポイントは2つ挙げられる。一つは「副作用」、もう一つは「選択の難しさ」だ。
副作用の観点から、相対的に安全な医薬品を選定することは不可能ではない。副作用症例を拾い上げて、使用頻度を考慮すればよい(注1)。だがもう一方の選択の難しさについては、日本で考慮されているとはいい難い。金銭を支払って購入するもの(商品)は自由に選択したい、検査せず薬を選ぶことはできない、薬剤師は医師ではなく薬を選ぶ能力はない、といった価値観が根強いのではないかと思われる。
実例を挙げてみる。
昨年の7月初旬、私の薬局に20歳代位の男性が頭痛薬を買いに来た。どんな症状か尋ねたところ、抵抗感はあったようだが、渋々答えてくれた。友人と久しぶりにサッカーをしていたところ、その友人が頭痛を訴えたため横にして休ませ、自分は薬を買いに来たとのことだった。
追加で幾つかの質問をし、熱中症を疑った。もし熱中症であれば、そもそもこの男性が購入しようとした頭痛薬には発汗を抑制する副作用を持つ成分が入っており逆効果になってしまうし、熱中症に伴う脱水症状は頭痛薬による急性腎不全の大きなリスク因子となる。
相談の結果、最寄りの内科診療所を受診することになった。診断はやはり軽度の熱中症とのことで、点滴によって回復し、薬は結局不要であった。
■ 薬剤師による介入の必要性
こういった要素は「薬剤師による介入の必要性」として、多くの国において、医薬品を分類する上で重視されている(購入の際には「ファーストジャッジメント」と呼ばれる薬剤師の機能として)。
医薬品の分類にあたり、「利便性や入手の必要性」、「副作用の危険性」、「薬剤師による介入の必要性」といった要素はどれも重要なものだが、その社会がどういった価値観を重視するかによって、その線引きは変わってくる。いわゆる先進国の中では、欧州やオーストラリアの分類が中庸とされ、北欧諸国は利便性・経済活動より安全性重視、アメリカは自己責任を重視し規制を極力設けない、といった特徴がある。
安全性が高く、薬剤師による介入の必要性も高くない場合には、薬剤師がいないスーパー等でも販売できる「自由販売医薬品」に分類される。もう少し注意が必要な医薬品だと「薬局販売医薬品」として、薬剤師が常駐する薬局において販売される(アシスタントによる販売も可)。さらに薬剤師のみが販売する「要薬剤師医薬品」、処方せんが必要な「要処方せん医薬品」、と段階的に分類されるのが一般的だ(国により名称などは異なる)。
これに合わせ医薬品の陳列方法にも段階的な規制がある。購入者が自由に手に取れる場所でのセルフ販売、カウンターの後ろ、購入者の目に付かない場所、といったものだ。製薬企業による消費者への宣伝方法も、分類に従って制限あるいは禁止されることになる。
日本での分類は、薬剤師による販売が必要な「要指導医薬品」と「第一類医薬品」、登録販売者による販売もできる「第二類医薬品」と「第三類医薬品」、自由に販売可能な「医薬部外品」となっている。要指導医薬品と第一類医薬品を販売しない薬局では、薬剤師の配置は必要ない。
■ 日本における大衆薬の危険性
ここまで読んで、もう理解したという人も多いかもしれない。日本は「制度は中庸、実態はアメリカ型」を志向している(「本音と建前」を使い分ける国だ)。大衆薬をOTC医薬品と呼ぶのは、そもそも「Over The Counter」、つまり大衆薬を購入する際の標準的な購入方法(カウンター越しに薬剤師と相談し薬を選択する)に由来している。日本において、これに近いものは要指導医薬品と第一類医薬品ということになるが、その数は全体の1%に満たず、消費者への宣伝も制限されない。実態は購入者が指名する医薬品について薬剤師が書面で説明を補足するという形であり、購入者からの相談に応じて薬剤師が薦めるものではない。厳密にいえば、日本にOTC医薬品というものはないということになる。
「薬剤師から買う必要がない大衆薬は安全だ」という意見を耳にすることがあるが、これは誤解だ。第三類医薬品と医薬部外品には確かに安全性が高いものが分類されているのだが、第一類と第二類は、そもそも副作用の危険性で区別されている訳ではない。
実際に厚労省による説明においても、副作用に関する記述はどちらも「その副作用等により、日常生活に支障をきたす程度の健康被害が生じるおそれがある医薬品(注2)」と、全く同じ内容となっている。薬剤師から購入しなければならない面倒さを嫌う消費者と、制限のない自由な販売を求める企業側、規制緩和による活発な経済活動を求める国の利害が一致した、ある種の詭弁といえるかもしれない。
同様の誤解に「大衆薬で治まる症状であれば大丈夫。治らなければ病院に行けばよい」というものもある。
ちゃんとした労働基準法がありながら、サービス残業やブラック企業がまかり通る日本において、医薬品の販売制度はマトモだと考えるのは、ちょっと楽観的過ぎるかもしれない。欧州での価値観から日本の様子を見れば「こんな制度は不誠実だ」ということになるだろうが、近年の日本の価値観でいえば、「自己責任」、「情弱(情報弱者)」といった表現で片付けられるのだろうか。
結局のところ、利便性や経済活動のために、どの程度であれば「正しさやモラル」を放棄できるかという、社会的合意ということなのだろう。これにより、ドラッグストアは全国至る所に出店しているし、品揃えは豊富で営業時間も長い。大衆薬の値引き販売が禁止されている国もある中、日本の値引き合戦は魅力的だ。薬剤師からあれこれ質問されることもなく、思いのまま大衆薬を選べることも魅力だろう。
その反面、アメリカでは、一般的な、たった一種類の大衆薬によって毎年数百人の死亡例が報告されている。日本では副作用被害の集計が十分ではないため比較は困難だが、アメリカの制度を志向している現状を考えると、少なくとも同じ方向へ進んでいることは確かだろう。
■ 安全な大衆薬にするための解決策
もしも現状の大衆薬制度を変更することなく(実際問題、不可能だ)、「大衆薬の安全性」を重視するのであれば、私は「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」の利用拡大を挙げたい。
「医療用医薬品」は病院などで処方される医薬品のことだが、この医療用医薬品はさらに「処方箋医薬品」と「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」に分類されている。
「処方箋医薬品」には、高血圧治療薬や糖尿病治療薬など、病院で実施される検査値などによる判断が不可欠なものが多く分類され、誤った使用による不利益、副作用も大きい。厚生労働省も、処方箋医薬品については、大規模災害などの場合を除き、処方箋なしでの販売を固く禁じている。
一方の「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」は、処方箋医薬品よりは幾分副作用等の危険性や検査値による判断の必要性が低い、大衆薬に近い分類だ。実際に、これまでスイッチOTC化された、あるいは今回の記事でスイッチ化の候補とされている成分は概ねここに分類されている。
処方箋医薬品を患者に直接販売することは固く禁じられている一方、「処方箋医薬品以外の医療用医薬品」の販売については、「処方箋に基づく薬剤の交付が原則である」としつつ、多くの条件を付けたうえ、限定的に認められている。その条件は、使用者本人への販売、販売数量の限定、適切な受診勧奨、陳列・一般向けの広告の禁止、十分な服薬指導の実施といったものだ。
これは実質的に、欧州でいうところのOTC医薬品に近い。実際に、この分類を使って制度を運用する国もあり、日本でこの分類を設定したのは、将来的な運用可能性を模索したものといわれている(あるいは、保険償還から外すことで公的医療費を節約する方策として)。
■ ただし、それは不可能だ
だが、そのような選択肢があったとしても、実現可能性は極めて低い。
製薬企業からすれば、この制度を進めたところで医薬品の使用量が増える見込みもなく、利益率も低い。CMによって売り上げをコントロールすることもできない。健康保険組合にとっては反対する理由はないが、日本医師会は嫌がるだろう。
何より、国民が納得するかという問題がある。上で挙げたような、豊富な選択肢から自由に選ぶことができない。薬剤師に相談しなければならないという煩わしさ、そもそも相手の薬剤師が信用できるのかという疑問、(実現するとすれば)値引きが禁止される可能性も高い。
「どのような制度にすべきか、医薬品の安全性が前提」とは、どの立場の人も口を揃えて言う。
だがどの立場の人も、
「ただし、利益の最大化という優先事項は譲れない」
「ただし、自分たちの利益が減らない限り」
「ただし、便利で心地よい購買行動を制限しない限り」
という価値観を手放すことはできない。
こういった諸々の事情を考慮すると、この方向へと進むことは考えづらく、徐々にスイッチOTCを進め、同時に病院を受診しづらい状況とすることで、公的医療費の削減を図ることになるだろう。
ただ本稿で説明したように日本でのスイッチOTC化には、他の先進国とは異なる、独特の危険性がある。多くの方はこういった危険性について実感することは少ないかもしれないが、薬剤師として仕事をしていると、このような失敗(医療者が行えば裁判もの、あるいは誤った選択による健康被害、適切な治療機会の喪失など)は日常的にみられるものだ。
この点について、ご注意頂ければと願う。日本はもはや、弱者のための国ではない(注3) 。
注1)言ってしまえば簡単なようだが、実際には難しい面がある。報告するのは服用した本人か、薬を渡した(販売した)立場か、副作用の治療にあたった医療者か。特に日本ではこの機能は弱いと指摘されることがある。過去にスイッチ化された医薬品では、スイッチ前に年間数十例報告されていた副作用が、OTCでは副作用が殆ど報告されない安全な(?)薬になった例も。「副作用は暗数としてのみ存在する」という名言がある。
注2)「日常生活に重大な支障をきたす健康被害、死亡例、選択の誤りによって健康寿命が損なわれるおそれはない」とは書いていない。
注3)本稿の場合、弱者とは「不幸にも副作用被害に遭ってしまった人」を指せばよいのだろうか。大衆薬の選択を誤った人、医師への受診のタイミングを誤る人、適切な受療行動を取れなかったことで得られるはずの健康寿命を失ってしまった人も弱者とするならば、強者であり続ける人をほとんど見ない。思慮深い医師、ある程度優秀な薬剤師くらいか。
この点について、精神科医でもあるブロガーのシロクマ氏が度々指摘している
http://blogos.com/article/108998/?p=2