ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

孤独の果ては滅び

2007-01-05 22:05:22 | つれづれに
新年の喜びもつかの間に、またもや耳を疑い目を覆う事件が
起きています。

兄が妹を殺害し、その遺体をバラバラにする。
書くのもおぞましいこの事件ですら、私達はもうそれほど
驚かなくなってしまった。
この麻痺した感覚にも戸惑いを禁じえないのです。

近親者による殺人はかつて「尊属殺人」とされ
刑法においては、死刑か無期懲役刑しかありませんでした。
しかし、平成9年の刑法改正により尊属殺人の規定は削除されました。
親の命・子の命それと第三者の命の重さを量刑によって差別される
べきではない、という解釈によってであるそうです。

同じ家に住み暮らし、血を分けた妹をかくも残忍に死に至らしめたのか。

これには、この兄だけが抱えているのではない、現社会にじっとりと
はびこった問題の本質があると思います。

それを私は『孤独』と言う事が出来るのではないかと考えます。

この兄は、恵まれた家庭に育ち、おそらく経済的には何不自由なく
と言ってもいい環境にあったことが覗えます。
かつて、凶悪犯罪の背景には、思わず胸が締め付けられるような
悲しい家庭環境や生育歴がありました。
なのに、彼にはそれが見当たらないのです。

兄は、将来の希望を思い描きつつも、何度も受験に失敗した。
妹は、将来の希望を胸に、自分の生きる道を見出し始めた。

兄が、自暴自棄になっていた・・・このように言うことも出来るでしょう。
しかしそれにもまして、兄が恐れて不安という深遠に迷い込んだのは、
「将来に大きな希望をもちたいという願いと、それが次々と断ち切られていく
 絶望の現実とにはさまれた故の、孤独」ではなかっただろうかと思うのです。

青白く、精気を失っていく彼に家人は気づいたのでしょうか。
希望と言う漠然に、行動をもって歩き始めたばかりの妹に兄の
孤独を受け入れる事は、困難だった事でしょう。

「~でなければ、必要とされない」

この「~」に「歯科医にならなければ」と自らを追い込んだ兄は
子の呪縛とも思える思考から、もう自分では逃れられなかった。
『孤独』がさらなる『孤独』を誘い込む。

自分の存在意味を見失った時、人は孤独に耐え切れなくなり
爆発し暴走し、人間の姿をした獣と化すと思えてならないのです。

人が人である限り、支え合う他者を求めるのではないでしょうか。

孤独の果てに、滅びがあるのなら、
合い和すの果てには、希望の興りがあると信じたいと思います。