第1章 真珠湾に散った青春
第2章 海軍の「至宝」と呼ばれた男
第3章 早すぎた落日 最前線の真実
第4章 戦地からのラブレター
第5章 特攻命令という絶望
第6章 妻と子どもの長い戦後
・開戦前日で途絶えた日記
・真珠湾攻撃隊の内実
・真珠湾から戻らなかった55人
・開戦後一年以内に半数弱が戦死
・海軍の人事制度への不満
・熟練搭乗員の命を奪った日本軍機の欠陥
・極寒の戦場から届いたラブレター
・硫黄島への特攻という絶望
・残された妻たちの生活再建
・チモール海での「再会」
講談社現代新書
真珠湾攻撃隊―隊員と家族の八〇年
初回放送日: 2021年12月5日、NHK BS1「真珠湾80年 生きて、愛して、そして」書籍化!
これなんですね商会!
「真珠湾80年 生きて 愛して、そして」 - BS1スペシャル - 真似屋南面堂はね~述而不作
現代人向けの説明が的確だな。
それと、巻末の一覧表がすごい。
真珠湾攻撃隊搭乗員の名簿自体はネット上でも拾えるが、防衛研究所で丹念に確認したようで、各人について、戦死の場合は年月日と場所、生存の場合は〇表示がしてある。
真珠湾攻撃のために「とんでもなく高度な訓練」が行われていたのをご存知ですか? (大島 隆之)
「自分は何んと幸福者…」真珠湾攻撃で戦死した隊員が、出撃直前に「両親に書き残した手紙」(大島 隆之)
真珠湾攻撃で「壮絶な経験」をした隊員たち、その遺族が「残された日記」に思わず震えた理由(大島 隆之)
「真珠湾を生き延び、特攻で戦死した」飛行機乗り…彼が「壮絶な戦場」で目にしていたもの(大島 隆之)
「戦死した夫の弟との再婚」を勧められるも、子供を連れ家を出て80年…最愛の夫が綴っていた「最後のラブレター」(週刊現代) @gendai_biz
40年ほど昔、大正生まれの従軍経験者のご老人の中にまだ仕事をされていた方々がおられた頃、元海軍のパイロットだったという方がおられた。
鋭い目つきでがっしりした体躯。
南面堂は詳細お話を伺う機会はなかったのだが、先輩が聴取したところでは、艦攻の操縦員だったらしかった。
ピッチングで上下する母艦の飛行甲板に着艦する恐ろしさなど語られ、さらに「真珠湾攻撃隊員だった」と告げられたのだそうだった。
名簿中にお名前が見当たらなくて、(その後の養子入り等で)苗字が変わった可能性も検討してみたのだが、それも否定するデータがあるなどして、真相は謎である。
「真珠湾攻撃隊の予備員だった」とか、「・・の当時、別の艦に乗っていた」等であったのかもしれないし、「真珠湾攻撃にも使われた飛行機に乗っていた」のかもしれない~相当な開きがあると思うけど。