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角田光代『紙の月』あらすじと感想

2014-06-28 10:17:27 | 紙の書籍
角川春樹事務所 角田光代『紙の月』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【目次】
プロローグ
第一章 岡崎木綿子、梅澤梨花、山田和貴、梅澤梨花、中條亜紀
第二章 梅澤梨花
第三章 梅澤梨花
第四章 岡崎木綿子、中條亜紀、梅澤梨花
第五章 梅澤梨花
第六章 岡崎木綿子、山田和貴、梅澤梨花、中條亜紀


【あらすじ】
お嬢さま育ちで真面目な子供のいない主婦 梅澤梨花が年下の大学生 光汰と知り合う。勤務先の銀行で顧客のお金を横領してまで、光汰と偽りの贅沢な暮らしをする。
やがて、光汰には新しい同世代の恋人ができ、横領も発覚間近となり、追い詰められた梨花はタイへと逃亡する。


【感想】
陳腐極まりない、昼ドラか2サスのようなストーリーだが、そこは角田光代なのでそうはいかない。年下男性を繋ぎとめておくためだけに、多額の横領という大それたことをやってのけたのでは決してない。
「お金」がモチーフではあるけれど、それはたまたま「お金」が一番簡単にわかりやすい効果をあげたからにすぎない。なにをかというと…。
それは、「万能感」。梨花が潜在的に手に入れたかったもの。

>自分にはなんでもできる。どこへでもいくことができる。ほしいものはみな手に入る。いや、ほしいものはすべてもう、この手のなかのある。大いなる自由を得たような気分だった。

「万能感」。実態はない感覚。もってしまうと怖い、現実からは解離した感覚。
梨花はそれをもった気分になった。「お金」というツールを使うことによって。それが、たとえ人様のお金を横領したものであったとしても…。
梨花は「万能感」をもつことで自分を引き上げ、自分を肯定しようとしていたのだろう。それは、本当は見せかけにすぎないのに。
梨花のお嬢さま学校時代の友人たち、岡崎木綿子も中條亜紀も形は違いこそすれ、皆、実は自己肯定感が低い。そして、「お金」によって自分も家族も巻き込み、人間関係を軋ませ破壊していってしまう。
怖い…。「お金」によっておかしくなっていくさまや、人の心の奥底が透けて見えて怖いのだ。そして、決して他人事ではないのだと感じる。ぽっかり‥と地面に開いた穴は誰の足元にも実はあるのだ。

>そうして梨花は、ようやく、自分の身に起きたすべてのことがらが、進学や結婚は言うに及ばず、その日何色の服を着たとか、何時の電車に乗ったとか、そうしたささいなできごとのひとつひとつまでが、自分を作り上げたのだと理解する。私は私のなかの一部なのではなく、何も知らない子どものころから、信じられない不正を平然とくりかえしてきたときまで、善も悪も矛盾も理不尽もすべてひっくるめて私という全体なのだと、梨花は理解する。

最後の最後になって、ようやく梨花は真理に辿り着いたことだけがささやかな救いのように感じた。


【余談】
角田光代は好きな作家で文章もすらすらと読み進められるのだが…。お気楽なエッセイを除いては、読んでいると胸がざわざわとしてきて落ち着かなくなり疲れてくる。
1冊ならすぐに読めるのだけど、あえてそうしないことにしている。しんどくなるからだ。
今回の『紙の月』もそう。NHK総合のドラマ版(主演 原田知世)を先に観てから読んだので、しんどそうなのはわかっていた。
案の定、ざわざわして落ち着かない。いろいろな考えや思いが交錯してしまい、少し読んでは放置、また読み始めては放置を繰り返した。
読書も体力と気力が必要だと思う。しみじみ。

この作品は宮沢りえ主演で映画化が決定しており、監督曰く「恋愛ものだと思った」というようなコメントを述べていたような記憶がある。
う~ん、恋愛ものね。いや、恋愛はあるんだけど、それもファクターのひとつではあるんだけど。正直、観てみたいがどうなんだろう?若干、嫌な予感がするようなしないような。
NHK総合のドラマ版はとてもよかったのですよ。主演の原田知世は生活臭がしない透明感がぴったり。ただ、相手役の満島慎之介はちょっといただけなかったかな。梨花が横領してまで「彼と居たい!」という説得力がなかったし。

タイトルの『紙の月』=『ペーパームーン』。
同じタイトルでロードムービーがある。聖書を売りつける詐欺師の男と、母親を交通事故で亡くした少女とが絆を深めていく物語。
作者は意識してリンクさせているのかな?それともたまたま?




ふと、思い出したのが大島弓子の作品『山羊の羊の駱駝の』。
主人公はお堅い家庭に育ち、お嬢さま学校に通う女子高生。ある日、街で天使の格好をして「恵まれないアフリカの子供たちのための寄付」を募る青年を見かける。すぐにありったけのお金を寄付するのだ。
自分のお小遣いだけでは足らず、同級生から借り、母の財布から失敬し、モデル(なんのことはないヌード)のアルバイトをしてまで寄付を続ける。
募金箱に響く「ご~ん!ご~ん!」という音を聞ききたさに、わざわざ紙幣を硬貨に換金までして。
なんだか彼女たちに同じ欠落と寂しさ、承認欲求を感じてしまう…。


追記。2016.1.23
同作品が2014年に宮沢りえ主演で映画化された。2015年にWOWOWで放送されたので録画、そのままだったのをようやく観た。
うん、素直によかった。いい作品だと思う。
原作とは違う登場人物もいるけど、違和感はなかったし。なにより、宮沢りえがいい~!
ドラマ版の原田知世の生身を感じさせない透明感もいいけど、同じ透明感でも生身を感じさせつつ、いやらしさがない宮沢りえもいい♪
そういえば、、大島弓子の『グーグーだって猫である』の映画版は主演が小泉今日子で、WOWOWのドラマ版は宮沢りえだった。小泉今日子は可憐でたくましい感じで、宮沢りえは儚げで一人で大丈夫なんだろうか…?とつい心配してしまう風情だったな。


【リンク】


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