積ん読の部屋♪

本棚に積ん読な本を読了したらばの備忘録。

畠中恵・宮部みゆき 他『まんぷく〈料理〉時代小説傑作選』あらすじと感想

2023-12-05 09:28:56 | 紙の書籍
PHP文芸文庫 畠中恵・宮部みゆき 他『まんぷく〈料理〉時代小説傑作選』細谷正充編を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【目次】
餡子は甘いか 畠中恵
鮎売り 坂井希久子
料理茶屋の女 青木祐子
桜餅は芝居小屋で 中島久枝
清正の人参 梶よう子
お勢殺し 宮部みゆき


【あらすじ】
餡子は甘いか 畠中恵
菓子司三春屋の息子 栄吉は父親の虎三郎に、老舗菓子屋安野屋に修行に出される。菓子屋の跡取りにもかかわらず、栄吉は餡子を作るのが苦手だった。

鮎売り 坂井希久子
“ぜんや”という居酒屋の女将 お妙は魚を仕入れに魚河岸へ行ったさいに、12、3歳の小柄な女が鮎を買ってくれと懇願するのに出くわす。可哀想に思ったお妙はその傷ものの鮎を全部買うことにした。

料理茶屋の女 青木祐子
とある料理茶屋に上がった医者兼薬屋の守屋は、ここで出す煮豆が目当てだった。30半ばのお蘭という女中が作っているらしいが…。

桜餅は芝居小屋で 中島久枝
日本橋の二十一屋は豆大福が人気の菓子屋。16歳の小萩はここの奉公人、お菓子が好きで母親の遠い親戚のこの店で働いている。

清正の人参 梶よう子
御薬園同心の水上草介は、見習い同心の吉沢角蔵から手渡された書物に驚く。それは草木を書き記したもので、草介は何も知らない知ろうとしなかったことに愕然とする。

お勢殺し 宮部みゆき
深川富岡橋のたもとに奇妙な屋台が出ている。美味いものを出すが、客足の途絶える夜遅くまでやっているのだ。岡っ引きの茂七はこの店の親父が気になっている。


【感想】
女性作家の描く時代小説傑作選の第二弾。全体的に江戸人情もの。

餡子は甘いか 畠中恵
栄吉は下手で不器用だが菓子を作ることをあきらめられない、好きだからだ。その心情が胸を打つ。「“続けること”ができるのも立派な“才”」という虎三郎の言葉が素敵だ。

鮎売り 坂井希久子
「田舎では、嫁は子を産む働き手だ。毎日くたくたになるまで追い回される。家に在りては父に従い、嫁して夫に従い、夫死しては子に従う。そう説かれる女の生きざまとは、なんであろうか。」という文章に涙が出そうだ。
今は違う?いや、根本的なところは変わっていない気がする。“イクメン”などという言葉に酔ってドヤ顔している男性のなんと多いことか。社会のシステムも女性に優しくないし。

料理茶屋の女 青木祐子
煮豆売りの亭主が刺され、女房のおときが行方知れずになっていた。このおときがお蘭。
亭主の善三(皮肉な名前だ)はどうしようもない男。善三に襲われそうになっていた手伝いの美鈴がもみ合ううちに刺してしまったのだ。美鈴はショックでそのときの記憶をなくしていた。実は美鈴はおときの娘だったのだ。
おとき:お蘭の人生と心情になんともいえない気持ちになる。

桜餅は芝居小屋で 中島久枝
菓子職人の伊佐が話す身の上話が辛く悲しい。「俺が大事に思っている人は、みんなどっかに行っちまうんだな」「だから、もう誰ともあまり親しくなりたくねえんだ」寂しい言葉はそれだけ心の傷が深いのだろう。
伊佐が心を癒し、心を開くことができる日がくるのだろうか…。
最後、小萩がつぶやく「私はどこに向かっているのだろう」と。人はこうやって、自問自答しながら生きていくものなのかもしれない。

清正の人参 梶よう子
NHKの朝ドラ『らんまん』を彷彿とさせるような作品。“清正人参”は“オランダミツバ”とも。
西洋かぶれの阿蘭陀通詞の野口伊作、御薬園同心の水上草介、小石川養生所医師の河島仙寿のやりとりがおかしくもほろっとする。さわやかなラスト。

お勢殺し 宮部みゆき
全裸の女の土座衛門が上がったことから、“回向院の旦那”と呼ばれる岡っ引きの茂七が謎解きをする。女はお勢という醬油の担ぎ売り。
お勢には年下の問屋野崎屋の手代 音二郎という男がいた。この男が遊びだったお勢につきまとわれ、困った末に殺して全裸にして大川に投げ込んだのだ。
母親に早く死なれ、父親にも死なれて寂しいお勢。がたいがよく、色黒で不器量な年増女の心の隙間に入り込んできた音二郎さえいなければ、お勢は元気にまだ生きていたはず。
女ゆえの悲しみを背負って、分不相応の夢を見てしまったお勢に涙が出る。哀れで悲しい…。


【余談】
宮部みゆき『お勢殺し』は新潮文庫『初ものがたり』に収録されていて読了していた。アンソロジーあるある。
どうも、この続きは書かれていないようなので気になるな~。屋台の親父の素性が知りたいのは私だけではないと思う。




角田光代『ポケットに物語を入れて』内容と感想

2023-09-26 09:53:57 | 紙の書籍
小学館文庫 角田光代『ポケットに物語を入れて』を読了しました。

内容と感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
あなたのポケットの、あなただけの物語 


冬の光 宮沢賢治の童話
なんて明るい小説なんだろう 太宰治『斜陽』
世界はひとつではない 松谷みよ子『モモちゃんとアカネちゃん』
もうひとつのガイドブック キューバでヘミングウェイを読む
旅と年齢 旅の本
本が私を呼んでいる 図書カード三万円使い放題!

2 
食べることの壮絶 開高健『最後の晩餐』
問い続ける、書きつづける 開高健『戦場の博物誌 開高健短篇集』
開高健のこの三冊 『輝ける闇』『最後の晩餐』『一言半句の戦場』
小説は世界を超えることができるのか 池澤夏樹『光の指で触れよ』
池澤夏樹のこの三冊 『マリコ/マリキータ』『きみのためのバラ』『カデナ』
目的のあるふりなんかしない 田中小実昌『田中小実昌エッセイ・コレクション2 旅』
人はこんなにも奥深い 田辺聖子『蝶花嬉遊図』
「人」という迷宮 山田太一『冬の蜃気楼』
もんのすごくかわいい 佐野洋子『コッコロから』

3 
意地の悪い本? 江國香織 絵・荒井良二『ぼくの小鳥ちゃん』
人と人がつくる「迷路」 江國香織『金米糖の降るところ』/山田太一『読んでいない絵本』
世界は自由で広い 川上弘美『天頂より少し下って』/岩瀬成子『だれにもいえない』
生きていくのに必要なもの よしもとばなな『どんぐり姉妹』
開放された彼女の庭 森絵都『アーモンド入りチョコレートのワルツ』
私たちに寄り添う物語 森絵都『この女』/山田太一『空也上人がいた』
固定概念から解き放たれるとき 三浦しをん『木暮荘物語』/佐野洋子『そうはいかない』
言葉の海を渡る舟 三浦しをん『舟を編む』/夏石鈴子『新解さんの読み方』 
どんどんねじくれる場所 井上荒野『もう切るわ』
それもまた愛だった 井上荒野『ズームーデイズ』
人と関わることの頑丈さともろさ 井上荒野『つやのよる』
愛や理想や希望というもの 桐野夏生『ポリティコン』ほか
子どもの時間と大人の世界 湯本香樹実『春のオルガン』
恋のようなものと、ほんものの恋 佐藤多佳子『黄色い目の魚』
母という存在が持つ孤独 金原ひとみ『マザーズ』/西原理恵子『毎日かあさん8』
大人のための秘密基地 大島真寿美『水の繭』
胸の震えるような音楽が聴こえる 大島真寿美『ピエタ』ほか
居心地のいい場所 藤野千夜『主婦と恋愛』

4 
一九八〇年代の青春 吉田修一『横道世之介』/都築響一『バブルの肖像』
騙される側の爽快な復讐物語 吉田修一『平成猿蟹合戦図』/長友啓典『死なない練習』
「今」と地続きの戦後史 橋本治『リア家の人々』/星野智幸『俺俺』
私に向かって投げられたボール 伊集院静『ぼくのボールが君に届けば』
時代に汚されぬ美しさ 伊集院静『志賀越みち』
「私」になるための決意 沢木耕太郎『あなたがいる場所』
この世界に対するぎりぎりの希望 三羽省吾『厭世フレーバー』
まっとうに生きるとはどういうことなのか ヒキタ クニオ『角』

5 
忌野中毒 忌野清志郎『忌野旅日記』
安心しろ。君はまだ大丈夫だ。 忌野清志郎『瀕死の双六問屋』
私たちの知らない世界 大竹伸朗『カスバの男モロッコ旅日記』
がんばれ、どうってことないから 高野秀行『アジア新聞屋台村』
ああ、食べたい 東海林さだお『ホットドッグの丸かじり』
わけのわからない人間が多すぎる 北尾トロ『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』
想像をはるかに超えた暗い場所 河合香織『帰りたくない──少女沖縄連れ去り事件』
彼女が指さす先 星野博美『のりたまと煙突』
ああなんて、楽なのだろう 酒井順子『29歳と30歳のあいだには』
もうひとつの小説との接し方 酒井順子『金閣寺の燃やし方』ほか
ひとをゆたかにする場所 岡崎武志『古本生活読本』


【内容】
《新刊書店で、あるいは古本屋で、作者も作品名も聞いたことがないのに、興味を引かれる本に出合ったとする。その本は確実に私を呼んでいる。手にとってしまう。レジに持っていってしまう。帰りの電車のなかで読み出して、びっくり仰天する。著者もタイトルも知らなかったことが不思議に思えるほど、自分にぴったんこの本なのだ。》
ネットよりもリアル書店を愛する著者が、心に残る本の数々を紹介する見事な読書案内。
宮沢賢治・太宰治から開高健・池澤夏樹に始まり、佐野洋子・山田太一、そして江國香織・井上荒野まで、「思わず読みたくなる」名エッセイ50篇を収録。


【感想】
全体的な感想としては未読の作者や題名も多く、そのあたりはさらっと読み飛ばし気味になった。作品は2000年前半から2010年後半なので、今とは社会情勢や著者のおかれている状況が変わっているのが、当たり前といえば当たり前だがなんとなく気になってしまう。
やはりエッセイは生ものなのかもしれない。
作品数が多いので、特に気になったものだけを書くことにする。作品中の引用部分は「」として書く。

冬の光 宮沢賢治の童話
「うつくしい光景を言葉でつむいで見せるひと。」
『銀河鉄道の夜』などはその最たるもの、頭の中に登場人物の台詞が響き、光景がありありと浮かぶ。これも読書の醍醐味だと思う。

本が私を呼んでいる 図書カード三万円使い放題!
「好きなだけ本を買うことを、私はどれくらい夢見たことだろうか。」
あぁ~わかる!わかるぞ~!子供の頃から、夢は図書室のある家(書庫でも可)に住むことだったから。現実は厳しいが。

「人」という迷宮 山田太一『冬の蜃気楼』
山田太一の映像作品は観たことがあるが、小説は読んだことがない。
「山田太一さんの描く「人」は、必ず迷宮である。」
人は多面体であり、いろんな側面をもっている矛盾の塊なのだ。

開放された彼女の庭 森絵都『アーモンド入りチョコレートのワルツ』
森絵都は『いつかパラソルの下で』、メディアファクトリー『君へ。つたえたい気持ち三十七話』に収録されていた短編『あの夜の魔法』、メディアファクトリー『秘密。私と私のあいだの十二話』に収録されていた短編『彼の彼女の特別な日』は読了していたが、こちらは未読の作品だった。
森絵都は思春期の男の子や女の子を好んで書く印象がある。

どんどんねじくれる場所 井上荒野『もう切るわ』
井上荒野は角川文庫『コイノカオリ』に収録されていた短編『犬と椎茸』は読了していた。なんとなく気になっている作家のひとりではある。
「井上荒野という作家が書く世界に常識はない。もちろんそれは作品が非常識だということではない。この人の書く世界に、常識は通用しないのだ。」
深いな…。

子どもの時間と大人の世界 湯本香樹実『春のオルガン』
湯本香樹実は未読。
「祖父の世界、両親の、子どもたちの世界。そしてそれらは混じり合うことがない。この小説の、揺るがないリアリティは、まずそこにあると私は思う。」
家庭という同じ空間に居住している家族であっても、それぞれの時間で生きている。
このことに気づいたとき、背筋がすっと寒くなったことを覚えている。

大人のための秘密基地 大島真寿美『水の繭』
大島真寿美も未読。
「読みながら、私は幾度も思った。何かを失うということ、それはこんなにも人を傷つけるのだ、と。」
あったはずのもの(人でも物でも)を失くすことの怖さ、辛さに人は慣れない。ごまかし方が上手くなるだけだ。傷に絆創膏を貼って見えなくして、ただ治癒を願うだけ。

居心地のいい場所 藤野千夜『主婦と恋愛』
藤野千夜はメディアファクトリー『ありがと。あのころの宝もの十二話』に収録されている短編『アメリカを連れて』は読了していた。
「自分が自分でしかないことに失望するけれど、自分がいるべき場所ではないところにいかされ、自分の「分」とは違うものを背負わされ、そうとは気づかず必死にそれを受け入れようとすることこそ、不自然で、おそろしい。」
人が悪気なく発するところのポジティブメッセージやプラス思考こそ、実は人を追い込むのだ。「分相応」は決してネガティブなのではないと思う。

想像をはるかに超えた暗い場所 河合香織『帰りたくない──少女沖縄連れ去り事件』
河合香織も未読。
「事件に人間がかかっているかぎり(事件は人間が起こすものではあるが)、その人間にしかわかり得ないブラックボックスというものは存在する。テレビを見ていると、自身の言葉を持たないコメンテーターは、このブラックボックスを説明しようとするとかならず「心の闇」といったような、キーワードと化した安易な言葉を使う。」
かれらも私たちもわかった気になる。なりたいのだ。誰もかれも安心したい、そして忘れたいのだ。
このことに気づいたとき、得体のしれない不気味さを感じた。

ああなんて、楽なのだろう 酒井順子『29歳と30歳のあいだには』
酒井順子も未読。
「先ほどの女たちのバトルにおいて、彼女たちは現在の立場を「みずから明確な理由を持って選びとったのだ」と前置きしている。その主張を元に、異なる立場の人間を非難するのだ。」
「そーんなわけないじゃん、と、このエッセイは言うのである。そうじゃなくて、ただやりたいことをなんとなくやりたいままやってきたら、いつの間にかその場所にいた、それだけでしょう、と。」
共感しかない。なんとなくでいいではないか。揺るぎないこと、ぶれないことが“かっこいい!”なんて一体誰が決めたのだろう。


【余談】
この本の題名『ポケットに物語を入れて』を見て、くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』即、思い出したのは内緒。
久々に全巻読みたくなってしまったな~。購入してしまおうかな~♪

実は学校の国語教育に以前から疑問を抱いていた。小説は段落や章ごとに区切り、先生が主人公の気持ちを解説する。それが正解。読解力をつけるといいつつ、正解ありきなのだ。
テストで丸をもらうため、試験にパスするための正解を、わざわざ塾に行き教えてもらい丸暗記する。それをそのまま書き出す。Google先生に聞くのもあるかな。
こんなことだから国語力が低下するわけだ。まぁ、文章どころか文字も面倒くさがって読まない人が増えたのだから、致し方ないといえば致し方ないかもしれない。


【リンク】
小学館文庫 『ポケットに物語を入れて』角田光代






宮部みゆき『三鬼 三島屋変調百物語四之続』あらすじと感想

2023-08-07 09:15:25 | 紙の書籍
角川文庫 宮部みゆき『三鬼 三島屋変調百物語四之続』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
第一話 迷いの旅籠
第二話 食客ひだる神
第三話 三鬼
第四話 おくらさま
解説 瀧井朝世


【あらすじ】
三島屋の黒白の間で行われている変わり百物語。語り手の年齢や身分は様々で、彼らは正しいことも過ちもすべてを語り捨てていく。
十三歳の少女は亡者の集う家の哀しき顛末を、絶品の弁当屋の店主は夏場に休業する理由を、そして山陰の小藩の元江戸家老は寒村に潜む鬼の秘密を語る。
怪異を聞き積んでいく中でおちかにも新たな出逢いと別れがあり…。


【感想】
「人は語りたがる。己の話を。」
そうだ、人は語りたい。ただ語りたい。人には自分の“物語”、“ストーリー”が必要なのだ。
「そこに難しい決まり事はない。聞いて聞き捨て、語って語り捨て。ただそれだけだ。」
自助グループのルールと同じなのは、人は自分の“物語”を語ることで癒しと心の平安を得ることができるからかもしれない。

第一話 迷いの旅籠
小森村に住む少女おつぎが語る村の祭りの話。立春の前日に行う“行灯祭り”という、冬の間は眠っている田圃の神様“あかり様”をお起こしする祭りにまつわる怪異。
村に滞在していた絵師石杖が、自身の亡くなった妻子を蘇らせたいと願うあまり、しきたりを破り暴走してしまった。空き家になった名主の別宅を大きな行灯に見立てて設え、亡者を出現させてしまった。だが、所詮、亡者は亡者、生者ではないのだ…。
余野村の村長が言った「おまえばかりが辛いわけじゃねえ。どんだけ辛くたって、命がある者は生きていかなきゃな。命があるってことは、天からのお恵みなんだから」この言葉が真理だと思う。
石杖が救いたかったのは死者ではなく、本当は“生者の魂”自分自身だったのだろう。自覚はなかったかもしれないが…。
古今東西、“口寄せ”や“死者の写真(遺影ではなく)”などが必要とされてきたのは、そういうところに起因しているのだと思う。
宮部みゆきお得意の展開でそろりと始まり、次にゆるゆると進んでいき、終盤に向かって怒涛の如く物語が進んでいく。構成が上手いと一気に読めてしまう。

第二話 食客ひだる神
『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』に出てくる“くろすけ”を彷彿とさせる話。食客ひだる神が食べすぎてぷくぷく太っていったり、すねたりして可愛らしくてよい♪
仕出し屋だるま屋の亭主房五郎が語るのは、里帰りの途中の切通しで拾って?しまった、ひだる神“餓鬼”のこと。食いしん坊のひだる神は上客を連れてきてくれる。始めは商売繫盛で上々だったが、太りすぎたひだる神の重みで家は歪み、きしみ、隙間風が吹く始末。これは困ると休業したらしたで、ひだる神はひもじがってぶつぶつめそめそ。
房五郎の父の弔いに里帰りしたとき、例の切通しでひだる神は帰ったらしく姿が見えなくなった。寂しい心持ちになった房五郎と女房のお辰は、江戸の店をたたんで里に帰ることにした。
房五郎と女房のお辰とひだる神の関係性が、日本昔話のようでほっこりとする。

第三話 三鬼
栗山藩の元江戸家老だった村井清左衛門が語るのは、かつて山奉行として勤務した洞ヶ森村での怪異。
とりわけ貧しく過酷な生活を強いられている洞ヶ森の村民たち。そこに出現するのは“鬼”。その実態は病を得たものや老齢なものたちの命を奪う“間引き”だ。貧しすぎて彼らを養っていけるだけの余裕が、経済的にも精神的にも体力的にもないからだ。
“鬼”は黒い籠を深々と被り、長い蓑を纏い、雪靴を履いていて、夏でもこの姿で現れる。だが中身はない“無”だ。
村井が「あれは、栗山藩にあった全ての理不尽、全ての業、全ての悲しみが凝ったものでござった」と語る。この言葉にどれほどの想いが込められているのだろう…。
語り終えた後、村井は腹を召し、介錯は義弟の須加利三郎が務めた。村井の亡骸を清めようとしたとき、縁先に転がり出てきたのは黒い籠だった。
「私とおまえは、同胞だ。」村井の声が聞こえるようだ。深く、哀しく、胸がちりちりとする…。

第四話 おくらさま
女浦島太郎と自分を例える老婆のお梅が語るのは、実家だった芝神明町の香具屋、美仙屋の怪異。美人三姉妹として有名だった美仙屋が不幸に見舞われ、心は14歳のまま時が止まってしまったという。
美仙屋には代々この家を守ってくださる“おくらさま”という神様がおられる。おくらさまは華やかな着物を着て、甘い香りを漂わせる若い娘の姿をしている。
初代がおくらさまと交わした約束は大事や変事がおこったとき、その代の主人がお願いすれば奥座敷からお出ましになり守ってくださる。ただし、次のおくらさまに娘のひとりが選ばれるのだ。
30年前、美仙屋は火事で失われ、外に出されていた三女のお梅だけが生き残った。遠縁で隠居生活を送り、死期を悟ったお梅が最後まで手放さなかった振袖がある。衣桁に掛けてもらった振袖を着て心?魂?が三島屋に飛んでいき、美仙屋の怪異を語ったのだ。「くやしい!」と叫んだ後には、振袖と帯ばかりが残されていた。
おくらさまの正体は昔、美仙屋にもらわれてきた養女。器量のよくないその子は不幸で早死にし、美仙屋に恩を感じつつも、積もり積もった憤りと悲しみはひとつの意志としてこの世に留まった。
「人は語る。語り得る。善いことも悪いことも。楽しいことも辛いことも。正しいことも、過ちも。語って聞き取られた事柄は、一人一人の儚い命を超えて残ってゆく。」
語られた“そのひとの物語”はどこかの高みに昇華していくのだろう。


【余談】
『三島屋変調百物語』シリーズの第4弾。何故か先に第5弾のほうを読んでしまい、話の展開にあれれ?となったのは内緒。
今回、四之続を読んでようやく話しが見えてきた。やっぱり順番て大事ね~。


【リンク】

梨木香歩『冬虫夏草』あらすじと感想

2023-02-01 14:09:11 | 紙の書籍
新潮文庫 梨木香歩『冬虫夏草』を読了しました。


あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【目次】
クスノキ
オオアマナ
露草
サナギタケ
サギゴケ
梔子
ヤマユリ
茶の木
ショウジョウバカマ
彼岸花
節黒仙翁
紫草
椿
河原撫子
蒟蒻
サカキ
リュウノウギク
キキョウ
マツムシソウ
アケビ
茄子
アケボノソウ
タブノキ
ヒヨドリジョウゴ
寒菊
ムラサキシノブ
ツタウルシ
枇杷
セリ
百日草
スカンポ
カツラ
ハウチワカエデ
ハマゴウ
オミナエシ
解説


【あらすじ】
亡き友、高堂の家を守る物書き、綿貫征四郎。姿を消した忠犬ゴローを探すため、鈴鹿の山中へ旅に出た彼は、道道で印象深い邂逅を経験する。河童の少年、秋の花実、異郷から来た老女、天狗、お産で命を落とした若妻、荘厳な滝、赤竜の化身、宿を営むイワナの夫婦。
人間と精たちがともに暮らす清澄な山で、再びゴローに会えるのか…?


【感想】
梨木香歩『家守綺譚』の主人公によるささやかで豊かな感性が満ちている続編。
前作同様に全編に流れるのは牧歌的で民話的な風情。現実と非現実の間を絡みあうようにして、物語は粛々と進んでいく。どこまでが現実?などと問うのは無粋で、この不思議な感じをただ味わえばよいのだ。
目次にあるように、各章はすべて植物からなっている。カタカナだったり、漢字だったりして統一していないのがおもしろい。植物好きにはまた別な愉しみかたがあると思う。
ゆらゆらと、ふわふわと小川を流れる木の葉のような味わいの作品。

最後の征四郎の言葉に泣ける。この想いだけで征四郎はこの深奥の山にまでやってきたのだ…。
>来い。
 来い、ゴロー。
 家へ、帰るぞ。


【余談】
梨木香歩『家守綺譚』は蔵書にあり読了しているが、何故か?こちらに投稿していないようだ。おそらく、読了したものの記事を書くのが遅れて、感想が薄れてしまいそのまま放置した模様。「ま、いっか」となったと思われる。苦笑。
面倒がらずにすぐに記事にしてしまわないと、こういうことになるね~。気をつけよう。


【リンク】
梨木香歩『冬虫夏草』新潮社







中野京子『運命の絵』内容と感想

2022-08-26 09:44:12 | 紙の書籍
文春文庫 中野京子『運命の絵』を読了しました。

内容と感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
はじめに
ローマ帝国の栄光と邪悪 ジェローム『差し下ろされた親指』
擬人化された「運命」 ベッリーニ『好機』/デューラー『ネメシス』
一度見たら忘れない ムンク『叫び』
夜明けの皇帝 ダヴィッド『書斎のナポレオン一世』
謎々を解いた先に モロー『オイディプスとスフィンクス』/シュトゥック『スフィンクスの接吻』
アレクサンダー大王、かく戦えり アルトドルファー『アレクサンドロスの戦い』
風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』
事故か、宿命か ブローネル『自画像』『魅惑』
クリノリンの女王 ヴィンターハルター『皇后ウジェニー』
ドイツ帝国誕生への道 メンツェル『ヴィルヘルム一世の戦線への出発』
愛する時と死せる時 アングル『パオロとフランチェスカ』/シェーフェル『パオロとフランチェスカ』
ロココ式没落過程 ホガース『当世風結婚』Ⅰ~Ⅵ
年表 ナポレオン晩年の出来事
故国で行き倒れになるよりは ブラウン『イギリスの見納め』
コラム オペラ『運命の力』
少年は森に消えた ウォーターハウス『ヒュラスとニンフ』
聖痕の瞬間 マックス『アンナ・カタリナ・エンメリヒ』/ジョット『聖フランチェスコ』
ヴェスヴィオ火山、大噴火 ブリューロフ『ポンペイ最後の日』/ショパン『ポンペイ最後の日』
感じるだけではわからない ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』
解説 竹下美佐  


【内容】
命懸けの闘い、とめられぬ恋、英雄達の葛藤、そして、流転の始まり…。ルノワールやムンク、モローなど名だたる画家による“運命”の絵。それは、世紀の瞬間を捉えた名画であり、描いた者の人生を一変させた作品である。
絵画の奥に潜む画家の息吹と人間ドラマに迫る、絵画エッセイ。


【感想】
絵画エッセイの名手、中野京子の新シリーズ。相変わらず、解説の切れ味が鋭い。
それぞれについて、ざっくりとした感想を書くことにする。

はじめに
>一寸先は闇であり、予想も外れてばかり(天気予報みたい)であるからして、人は不安をなだめるためにも運命の不思議について考え続けねばならない、哲学で、宗教で、歴史で、オペラで、文学で。そして絵画でも。

まさに真理だと思う。哀しいかな、希望とは願望という名の幻想にすぎないのだから。


ローマ帝国の栄光と邪悪 ジェローム『差し下ろされた親指』
コロセウムで戦う剣闘士とそれを眺める観客たちが描かれている。興奮する観客、冷静に眺める観客、身分の差なのか人間性なのか…。

剣闘士を戦わせ、死闘を娯楽として見物させていたローマ帝国。人の命を使って遊び、楽しむ。なんておぞましいのだろう…。


擬人化された「運命」 ベッリーニ『好機』/デューラー『ネメシス』
山河を背景に、目隠しをした半裸で半獣人の女性が、金色の球体に乗り、手には金色の水差しを持っている。

解説なしには??な絵だ。これは「運命」の擬人像だそうだ。西洋絵画は抽象概念を、人間の形に擬人化して描くという伝統があるらしい。古典絵画は理論で成り立っているという。これは知識、教養がないと西洋絵画の理解ができないということだ。
日本人にはこの伝統がないので、感覚的にもほぼ理解不能だと思う。誰でも絵画を気楽に鑑賞してはいけないのだろうか?と思うが、印象派以前の西洋絵画は約束事で成り立っているので仕方がないというところか。とはいえ、絵画に興味のない方には、絵画鑑賞はますます敷居が高くなると感じた。

>チャンスはいつどこからやって来るかわからない。あっという間に通り過ぎてしまうので、考えたり逡巡してはならない。来た、と思ったらすぐさまその前髪をむんずと掴む必要がある。掴み損ねると取り返しがつかない。なぜなら彼女の後頭部は(たとえこの絵ではそうは見えなくとも)ツルッパゲなのだ。手がすべる。

これには笑った~!


一度見たら忘れない ムンク『叫び』
画面上を斜めに渡された橋の上で、人形のような人物が体をくねらせ耳を押さえて叫んでいる。遠ざかる二人の人物。フィヨルドの空は赤く血の色に染まっている。

ムンクの作品にずっと流れている狂気、不安は生い立ちやそこからくる女性問題にあり、生涯ついてまわっていたのだろうと、どの作品を観ても感じる。
この作品は何度も絵画泥棒に盗まれたといういわくつき。泥棒に作品に対する敬意を期待するのも無理だろうが、作品の扱いのひどさに泣ける。


夜明けの皇帝 ダヴィッド『書斎のナポレオン一世』
豪華なしつらえの部屋と家具に囲まれて、右手を衣装の中に入れ、立ってポーズしているナポレオン一世。

ナポレオンがロシアへ攻めこんだ年に描かれている。彼を讃える絵だ。
皮肉にもナポレオンはロシアで大敗し、画家も亡命の地ブリュッセルで亡くなる。栄光は永遠ではなく、一寸先は闇だと思わざるを得ない。


謎々を解いた先に モロー『オイディプスとスフィンクス』/シュトゥック『スフィンクスの接吻』
暗い山々を背景に立つ、全裸で長髪の青年オイディプス。彼の胸に飛び乗るのは半獣人で羽根をもつ、美しい女性の顔のスフィンクス。画面下に少しだけ死体と思われる手と足が見える。

モローといえば『サロメ』が有名だが、今回は『オイディプスとスフィンクス』。メトロポリタン展で観たが、なんとも不気味でエロティックな絵だった。
オイディプスの神話は江戸川乱歩か横溝正史、もしくは昼ドラ並みに運命に翻弄される物語。どろどろな人間関係にげんなりする。神話なのにな~。いや、神話だからか。
「エディプスコンプレックス」という心理学用語まで作り出し、オペラや演劇、小説にまでなった。それほど陰惨ながら魅力的なのだろう。


アレクサンダー大王、かく戦えり アルトドルファー『アレクサンドロスの戦い』
青空に雲が波打ち、地上では武装した兵士がひしめき合っている。ラテン語の銘板が濃いピンク色の布を翻しながら宙に浮いている。

はるか昔から今に至るまで、人類は相も変わらず、戦争をしかけたりしかけられたりしている。このことに気づくと、なんともいえない気持ちになる。進歩したのは殺戮のための武器や兵器だけか…。


風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』
青空に白い雲が浮かび、のどかな田舎の風景が広がる。画面中央には、高くそびえる樹木の並木道が続いている。

>本作は、見事なシンメトリー構図とともに、遠近図法のお手本としても名高い。
じっと見つめていると、この絵の中に入ってしまい、並木道を歩いている気分になる。

オランダ ミッデルハルニスには風車はないが並木道があり、かつて並木道は王侯貴族の私道だったそうだ。庶民を遮断し、選ばれた者しか通ることを許されなかったという。驚いた…。
新生オランダは公的事業として湿地帯を守るため、自然を征服して作り出した人工の景色が広がる。ここが日本画と決定的に違う。
ヨーロッパの「人間中心至上主義」には心底、驚かざるを得ない。日本人の自然観とはかけ離れているからだ。風景画が描かれるようになったのも遅い。このあたりがなかなか感覚として理解しづらい。


事故か、宿命か ブローネル『自画像』『魅惑』
薄いカーキ色であ塗られた暗い印象の画面、右目が失われ垂れ下がった顔は陰鬱。首から上を描いた画家の自画像。

「ポグロム」というロシア語を初めて知った。もとは「破壊」を意味し、歴史用語では「ユダヤ人に対する集団的・組織的迫害行為」のことだそうだ。「ホロコースト」は知っていたのだが…。多感な年頃に命かながらの逃亡を繰り返せば、トラウマになるのも必然だろう。
20世紀生まれの美術家の苦悩にも苛まれる。「自由」という名の「不自由」、圧倒的な才能がない者には辛いことだと思う。
若く美しい自分を片眼をなくした姿に描いた。後年、そのまま不幸な事故で再現されることになるとは…。まるで予言したかのようだ。


クリノリンの女王 ヴィンターハルター『皇后ウジェニー』
緑鮮やかな森に集う着飾った若く美しい女性たちが描かれている。中央の白いドレスの女性が皇后ウジェニー。

月の女神ディアナ(アルテミス)と取り巻きのニンフたちそのものだという。確かに神話のような現実離れした美の世界。しかも横幅4mを超す大画面、インパクト大だったろう。
“クリノリン”とは大きく膨らんだスカートのこと。この時代は「鉄の時代」にふさわしく、鳥籠型の薄く軽い鋼鉄の輪で作られた“シン・クリノリン”が登場した。ウジェニーが「クリノリンの女王」といわれたのは、このドレスを着こなしたから。背が高く、ウエストが細くないと似合わないドレス。
当時の男性諸氏がどう思っていたのかは?だが、無粋な意見を老美学教授が新聞に批判記事を書いたらしい。意味ないな。どんなに馬鹿馬鹿しくても、不便でも、一度、おしゃれ♡とされたら流行が去るまで止まない。
ウエストをコルセットで締めつけて体にいいわけがない。気絶するものが続出し、気つけ薬を召使いが持ち歩くほどだったという。コルセットを女性たちが手放すのは、ココ・シャネルの登場まで待たなければならないのだった。


ドイツ帝国誕生への道 メンツェル『ヴィルヘルム一世の戦線への出発』
菩提樹の並木道にひしめく群衆。道沿いの豪華な建物にはさまざまな旗が翻る。画面中央の左寄りには王室四輪馬車に乗る白い髭の老王と王妃。

この作品は、プロイセン王ヴィルヘルム一世の戦勝祈願パレードを描いていて、画面からは人々の歓声が聞こえてきそうな活気と興奮が伝わる。ここは、ウンター・デン・リンデン(菩提樹の下)という名の美しい並木道。王侯貴族専用の散策路。一人だけ場違いな新聞少年がいるが、号外を売るために特別に許されているらしい。
前述の風景画の誕生 ホッベマ『ミッデルハルニスの並木道』と同じなのだ。階級社会の縮図を見た気がする。


愛する時と死せる時 アングル『パオロとフランチェスカ』/シェーフェル『パオロとフランチェスカ』
薄暗い貴族の邸宅の一室。椅子に腰かけた若く美しい赤いドレスの女性、彼女の首筋に口づけする青いマントの美青年。
彼女の手から本が滑り落ちる。背後には壁掛けのタペストリーに隠れるように二人を見つめる醜い男性。

イタリアのラヴェンナとミニ。教皇派と皇帝派の関係修復のための政略結婚がおこなわれた。若くして嫁いだフランチェスカ、夫は醜貌、やがて美丈夫な夫の弟パオロと恋におちる。やがて夫の知るところとなり、現場を押さえられ、剣で二人を刺した。フランチェスカ25歳前後、パオロはその4、5歳年上だった。
当時の読書は黙読ではなく、音読だったそうだ。本は『アーサー王物語』、円卓の騎士ランスロットがアーサー王の妃グィネヴィアへの想いを抑えがたく、キスする件だ。意味深なことこのうえない。


ロココ式没落過程 ホガース『当世風結婚』Ⅰ~Ⅵ
『当世風結婚Ⅳ 化粧の間』
貴族の館、夫人の寝室とおぼしき部屋に集う人々と黒人の召使。壁には装飾のための絵画が何枚も飾ってあり、天蓋付きのベッド、化粧台、ソファなどがある。

イギリス ロココ時代の才人ホガースが描いた連作画は、全て自分でストーリーを考えたものだそう。映画に例えると、原作・脚本・監督・編集を行っているということになる。なるほど、これは才人だ!
主題は時事的な知識や教養を必要としないものを取り上げている。大量の版画も刷って安価で売り出し、大衆はこぞって買い求めたそうだ。日本の浮世絵と思えばいいのだろう。
人気すぎて不法な輩が無断で販売したので、著作権法を議会に通すことまでする。目端の利く頭のよい人物であり、誰でも鋭い風刺の対象にするほどのある意味、平等主義が魅力だったそう。現実に身近にいたら苦手な人物かもしれない。シニカルすぎて。


故国で行き倒れになるよりは ブラウン『イギリスの見納め』
寒風吹きつける冬の海、白い波が立つ中を船は進んでいく。若い夫婦が描かれていて二人とも張りつめた表情をしているが、夫は伏し目がち、妻は大きな美しい眼を見開いている。

イギリス ヴィクトリア朝時代の中産階級の若い夫婦が主人公。故国イギリスを離れて新天地へ向かうのだ。移民家族という新たな聖家族像を描いているのだという。
ここにも宗教的な意図が現れていて、こんな風にぱっと観て宗教画には観えない絵画にも、同様の手法が使われていることに驚く。まるで謎解きをするミステリーだ。


少年は森に消えた ウォーターハウス『ヒュラスとニンフ』
緑に染まった森、蓮の浮かぶ池。若くてとても美しい全裸の女性7人が池に入っている。青い服、赤いベルトを身に着けた少年のような男性を、彼女たちが池に引きずりこもうとしている。

美しいようですぐに怖い絵画だと気づく。美しい女性たちはみな同じ顔している。まるでクローン。そして無表情で男性を見つめ、腕に手をかける。怖い…。
このまま死んでもいいから彼女たちと一緒に池に沈もう。。と、思ってしまう男性は多いのでは?いかが?
この絵のモチーフはギリシャ神話のエピソードだそう。神話はどこの国でも怖いものが多いし、救いのないものも少なくない。抗えない現実の投影先に神話があるからなのだろう。


聖痕の瞬間 マックス『アンナ・カタリナ・エンメリヒ』/ジョット『聖フランチェスコ』
薄暗い部屋のベッドで白い服を着た修道女が、頭に包帯を巻いて苦悩している。両手は頭に、毛布の上のキリスト像をじっと見つめている。

描かれているのは19世紀ドイツ ヴェストファーレン人のアンナ・カタリナ・エンメリヒ。貧農に生まれ、読み書きもできず、12歳くらいから縫製工場で働かされた。やがてエンメリヒに幻視と聖痕が現れる。
聖痕(スティグマ)とは、磔刑の際にイエス・キリストが受けた傷と同じ場所に現れる痕のこと。以前にTVのバラエティ番組で観た記憶がある。真偽のほどは?だが。
画面奥のテーブル?の上にあるローソクは信仰の象徴だそう。ここにも絵画の決まりごとが出てくる。知らなければ気にもかけないだろう。寝室にローソクはあたりまえすぎて。


ヴェスヴィオ火山、大噴火 ブリューロフ『ポンペイ最後の日』/ショパン『ポンペイ最後の日』
画面を覆い尽くす黒煙、上がる火柱、逃げ惑う人々。白い建物は崩れかけ、人々の上から降ってきそうだ。

8世紀のイタリア ポンペイ、ヴェスヴィオ火山の噴火の様子が描かれている。ポンペイの発掘は現代にまで続いていて、神殿、邸宅、壁画などが残っている。世界中から画家が行き描くことになった。この絵はそのうちの一枚ということだ。
破滅に向かう中、それでも弱者を守ろうとする美しい愛が描かれている。この作品に触発されて小説や映画も作られたそうだ。それくらい人の心に訴えたのだろう。


感じるだけではわからない ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』
シャルパンティエ夫人と子どもたちが豪華なしつらえの部屋でくつろいでいる。愛犬の大型犬も一緒に。

パリの新興ブルジョワジー、シャルパンティエ氏の夫人と子どもたちが描かれている。贅をこらした暮らしぶりが画面からもわかる。だが、それも長く続かず、シャルパンティエ家はじきに没落してしまい、残された二人の娘は両親のコレクションをほとんど競売にかけることとなる。売れない貧乏画家だったルノワールを見出したのがシャルパンティエだったのだが…。
一方、この絵を描いたルノワールは世界的大画家にまでなり、現在もその人気は衰えない。なんとも皮肉なものだ。

 

【余談】
 ムンク展で購入した図録は今は手元にもうない。何回かの引っ越しでどうやら処分してしまったらしい…。気がついたときはショックだったな~。


【リンク】