積ん読の部屋♪

本棚に積ん読な本を読了したらばの備忘録。

伊藤比呂美『日本ノ霊異ナ話』あらすじと感想

2017-05-31 11:32:22 | 紙の書籍
朝日文庫 伊藤比呂美『日本ノ霊異ナ話』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【目次】
西暦でいったら七八七年
乳やらずの縁
邪淫の葛
肉団子
「によふ」の縁
俗謡殺人
行基の子捨て
死者のまつり
あざらかな舌
智光と頼光
山桑
天女の裳裾
蟹まん
よきこと(一)
よきこと(二)
文庫版 あとがき
解説 津島佑子


【あらすじ】
写経中に欲情する男、蛇にレイプされる女、天女像に射精する修行僧など。
難解で知られる日本最古の仏教説話集『日本霊異記』を下敷きにして、現代の物語を創造した連作短編集。

 
【感想】
詩人でもある伊藤比呂美の作品。西暦787年頃の不思議な話のオムニバス。
景戒という僧や、まろ、あたし、と一人称で語る話や伝承の話などが描かれている。
ご本人のあとがきによれば、古典の『日本霊異記』を元ネタにしてはいるものの、現代語訳ではなくふくらませた風船のような作品とのこと。なるほど~と納得しつつ、できれば本家の『日本霊異記』はちゃんと読んだほうがいいと思う。
私はたまたま数年前に『日本霊異記』は読了していたので、あぁ、、これはあの話でこれはこの話で、、と思いだしながら読んでいた。
全編をとおして流れているのは、肉欲とエロ。エロティック♥ではなく、そのものずばりなエロ。
かといって厭らしい下卑た感じかというと…。そうでもない。いいも悪いもなく、ただ人という肉体があり肉欲がある、そんな感じ。
心情的なものを排除して、ただひたすら肉体を肉の塊のように即物的に描いている。それが少しも不快ではない。不思議なバランス。

〈行基の子捨て〉の中で、ひとりの女がずっとつぶやく言葉が真実だとしみじみ思う。
「ありがたや、あさましや、ありがたや、あさましや、ありがたや、あさましや、、、」
伊藤比呂美の世界観はつくづく、独特で唯一無二だと思う。


【余談】
伊藤比呂美といえば、『良いおっぱい悪いおっぱい』が有名だったりする。ご本人曰く、この本が売れて「よいお母さん」のイメージがついてしまい困ったそうな。
以前に精神科医の斎藤学氏との対談で、いろいろとぶっちゃけて話していた。
実父に欲情するとか(アメリカ人の旦那さまもかなり年上)、思春期の頃は自傷で髪の毛むしっていたとか(ばれない程度に)。ほかにもいろいろと。
なので、この作品の肉欲とエロ加減にも大して驚かなかったのだが、「よいお母さん」イメージをお持ちの方はびっくりしてしまうかもしれないなぁ~。

あと、こちらがご本家の『日本霊異記』。平凡社ライブラリー版。



【リンク】



川上弘美『七夜物語』上・中・下巻 あらすじと感想

2017-05-24 14:56:53 | 紙の書籍
朝日文庫 川上弘美『七夜物語』上・中・下巻を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。









【目次】
上巻
第一章 図書館
第二章 最初の夜
第三章 次の夜
第四章 二つの夜

中巻
第四章 二つの夜(つづき)
第五章 五つめの夜

下巻
第六章 最初から二番目の夜
第七章 最後の夜
第八章 夜明け
解説  異世界の記憶 村田沙耶香


【あらすじ】
小学4年生のさよは、母親と二人暮らし。ある日、図書館で出合った『七夜物語』というふしぎな本にみちびかれ、同級生の仄田くんと夜の世界へ迷いこんでゆく。
七つの夜をくぐりぬける二人の冒険の行く先は? 


【感想】
小学校四年生のさよは、母親と二人暮らし。離婚した父とはそれ以来、会っていない。
ある日、町の図書館で『七夜物語』という不思議な本に触れ、物語世界に導かれたかように、同級生の仄田君と共に『七夜物語』の世界へと迷い込んでゆく。大ネズミ・グリクレルとの出会い、眠りの誘惑、若かりし両親、美しい子供たち、生まれたばかりのちびエンピツ、光と影との戦い。七つの夜の冒険を通して二人の子供たちは、心も体も成長していく。
あらすじはこんな感じ。ファンタジーのようでそんなには甘くない。川上弘美だもの。
読後感はほこっ。。としないでもないが、夜の世界の出来事はこちらの現実の側面を如実に表していて、ちくりちくりと針を刺してくる。そして、作品を通して常に底に流れている独特の感じになんともいえない気持ちにさせられる。上手く表現できないのだが、ねっとりとした粘着質なものを感じるのだ。他の作品だと特に『蛇を踏む』とか。
この作品に限らず川上弘美の作品にはこの感じは多く、ないものを探すのが難しいくらい。思いつくのは『神様』『ニシノユキヒコの恋と冒険』くらいだろうか?

話が逸れたので戻して。
小学四年生、小学校の六年間の中でも中途半端な学年だ。低学年ほどおこちゃまでもない、一番小学生らしい三年生(ギャングエイジだが)でもない、思春期に入ってきた高学年でもない。大人が思うほど子供は子供ではない。いろんなことを感じ、その年齢なりに考えている。
さよは両親が離婚して母子家庭、仄田君は母親を亡くしていて父親とおばあちゃんと暮らしている。それぞれに欠落したものを抱えている寂しい子供だ。そのあたりも、ちくちくと気持ちに刺さってくる。
子供たちは夜の冒険を通して、傷つきもするし、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、いろいろな経験と感情も味わう。
そして気づく、自分の知らないことがいっぱいあること、答えは常にあるわけではないこと、白と黒だけでなく灰色もあること、自分にも目を逸らしたくなるような嫌な部分があることに。
無事にこちらに帰ってきたときにさよが感じた、懐かしいけど遠い感覚はその証なのだろう。

結局、夜の世界はなんだったのか?とか、グリクレルやミエルは何者?とか、美しい子供たちはどうしてあんな風に心が歪んでいたの?とか、解説も解決もしてはいない。
それでいいのだと思う。ただ、そうなのだ、、と。

解説の村田沙耶香の文章に、「あ!自分だけじゃなかったんだ。。」と驚いた。この感覚はあんまり共感してもらえなかったから。
>本が好きな人間は、たとえ主人公たちが図書館で出会う『七夜物語』のような不思議な本ではなくても、ふっと、その中に入ってしまうことがある。熱心に文字を追っているうちに、いつの間にか本の中に肉体があって、主人公と一緒に胸の痛みや身体の熱さを感じるようになる。それでも本にかじりついていると、すうっと、本の中の肉体に心まで吸い込まれてしまう。図書館で本を閉じて家に帰り、お母さんのご飯を食べても、今までいた物語の中を身体と心が浮遊している感覚がおさまらない。ふとした瞬間に、吸い込まれた心と身体が物語の先の世界へと進みだして、いつまでも止まらなくなってしまう。

まさにこんな感覚。現実と本の中の世界をふわり、ふわり、、と漂っている感じ。久しぶりにこの感覚を思い出した。残念なことに今はここまでではない。大人になったからだろう。日常という現実から乖離して暮らしてはいけないから。


【余談】
朝日新聞に連載中に気になってぽつぽつと読んではいたが、毎日の連載なので途中で脱落してしまい…。文庫化されてから一気に読んだ。新聞連載は読み続けるのが難しいな~。

作品中に登場する手作りのお菓子がおいしそう♪ 空腹時は危険。


【リンク】