goo blog サービス終了のお知らせ 

michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

『あんぱん』考(5)土佐弁の完了形と進行形 & 青春していた母

2025-04-30 13:09:00 | 日記2025
日本語の標準語の「〜している」。 

これには「完了形」(動作がもう終わってしまっている)と「進行形」(今まさに〜しているところ)の区別がない、
というのはよく言われるところ。

一方土佐弁にはその区別がしっかり存在します。

①「完了」(〜している、〜してしまっている;have+p.p.)は、
「〜しちゅう」

②「進行」(今〜しているところ;be+〜ing)は、
「〜しゆう」

これが、西部の幡多弁ではまた、 
①′「〜しちょう」
②′「〜しよう」(標準語の「〜しましょう」の「〜しよう」とは発音が違って、最後の「う」を割とハッキリ発音。)

となり、
ある程度年配の人の言い方では、
東西共通で、
①″「〜しちょる」
②″「〜しよる」

になるのですが、
オレンジのところは話が複雑になるので置いておいて、
上の赤いところだけの話にします。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

とにかく、土佐弁には「完了」「進行」の区別あり!


その「完了」と「進行」の感覚は、
英語を教える時でもピンとしきらない生徒が多いせいで大変なのですが、

最近県内の方言についても、
(割と若い層で?)この、
「〜してしまっている」と「目下〜している」の感覚を掴みきれず、 


「〜しゆう」
(現在進行「〜している」。過去進行「〜していた」was+〜ingは「〜しよった」

の意味で

「〜しちゅう」
(完了「〜してしまっている」。過去完了「(過去の時点で)〜してしまっていた)」had+p.p.の場合、「〜しちょった」

を使う人が増えている

と思います。

ドラマの中でも「え、そこは『〜しちゅう』じゃなくて『〜しゆう』では?」
と思うところチラホラ。

言葉は、その時代の使う人の感覚で変わるものなので、
これらを全部「誤用」と言うつもりはないけど、
まぁビミョーなところか(⌒-⌒; )


土佐弁はとにかく、
ネズミみたいにチューチュー、キーキー、
それに「ぜよ」さえ付ければええぜよ、

みたいに言われた一時期もありましたが、
今はもうちょっと、

「〜しゆう」「〜しよった」(現在&過去進行形)に脚光を、

とわたしは思う次第ですf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家から、まだデジタル化していない母のアルバムを持ち帰って来ました。

母、女学校時代はバスケ部だった、
と常々言っていますが、
私と妹の運動神経の悪さは、父方ではなく母の方から来ているはず。

バスケ部と言っても大昔のこと、
体育の授業に毛が生えたくらいで、
今の高校の部活のように本格的なものではなかったのだろ〜、

とあまり真剣に取り合っていなかった私でした。

ところが、
「私なんかがよくぞやって行けたものだ」
と本人が言っているくらいだったのに、
写真を見ると、
母の女学校&高校時代の部活はちゃんと「バスケ部」ということになっていて、
その後の同窓会なども、
高校全体のものだけでなく、バスケ部としてのものにも律儀に参加して名を連ねている。

思ったよりも「ガチ」でしたf^_^;



左端が母@17歳!

青春しよったがやねー(*^^*)
(「しちょった」でなくw)


1950(昭和25)年、
女学校が旧制中学と統合して「高等学校」になって3年目くらいのこと。

「バスケットボールクラブ」の「club」の綴りが間違っているのを75年の時を経て?発見してしまった…( ̄▽ ̄;)






コメント

『あんぱん』考(4)大正期〜戦後の学制はフクザツ

2025-04-29 14:32:00 | 日記2025
登場人物が子役から大人(北村匠さん、今田美桜ちゃん)に代わったのが、
第2週の最終日(金曜)の最後でした。

子役の時代から「8年」の月日が経ったことになっており、
田舎道を登校する嵩と千尋の背後から忍び寄り、すれ違い様に「変顔」の今田美桜ちゃんの登場が鮮烈でした。





この時のナレーションによると、
この時昭和9(1934)年、
のぶは「高等女学校の4年生」
 
(ということは、言われてないけど同い年の嵩は「旧制中学」の4年生史実では、やなせさんがこの年に通っていたのは、「高知県立城東中学校⇨現・高知県立高知追手前高校」

ということは、
これもドラマではあまり描かれてないけれど、
この田舎道の時点でのぶも嵩も、そして弟の千尋(旧制中学1年の設定か)も、
既に全員高知市内まで「汽車通学」していたということになるのではないでしょうか?
(※高等女学校も、旧制中学も、ごめん町にはなく、たぶん…(^◇^;)高知市内。)

(史実と照らしてばかりだとまたも野暮ですが、個人的に興味があるので分かる限りで記録しています。ドラマのストーリーとの違いに混乱または幻滅?しそうな方はスルーをお願いします(^◇^;) ドラマと区別するために、実際の状況を青字で書きます。)
 

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

大正期から戦中にかけて、
日本の学制はとても複雑だったようです。

加えて、
これもハッキリ書くと知らない皆さんを幻滅させてしまうけれど、
やなせさんと奥さんの暢さんは、やなせさんが復員後27歳の頃に勤めた「高知新聞社」で出会っているのであり、「幼なじみ」という設定はそもそもフィクション。

(あ、でもここの部分は、今田美桜ちゃんに免じて⁉︎ご一緒に大いに夢を見ましょうね\(^o^)/)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜


その、ドラマのフィクション部分と現実、それに実在/劇中の校名(しかも、学制と学校名が次々変わった時代)などは入り組み過ぎています。

そもそもドラマに出て来る学校が、
「全くのフィクション」なのか、「実際あった学校をモデルにしているのか」。

これについては、現実にやなせさんは県内で学校に行っているわけなので、 
だいたいモデルがあるようです。 
やなせさんの通った学校は、 

「高知市立第三小学校」(現・高知市立はりまやばし小学校。でもこれはドラマのストーリー上出てこない。
「後免野田組合尋常小学校」(現・南国市立後免野田小学校)
「高知県立城東中学校」(現・高知県立高知追手前高等学校)


また、当時その地を知る者でないと、
当時のそこの土地の人たちが、  
例えば小学校を出たあとはどこのどんな学校に行く選択肢があったのか?
(距離的に可能だったのか、も含む。)
そしてその学校は今のどこに存在していたのか、
など、私自身実際見聞きした材料が少な過ぎて、
実は考えようとしただけで大混乱を来していたここ数日ですf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

調べた限りでは、
やなせさん大正8(1919)年2月の早生まれ。
なので学年は大正7年生まれの人と同じはずで、
一方の暢さんは、大正7(1918)年の大阪生まれです。
そこから、「嵩とのぶは同級生」は正しい

暢さんと高知とのつながりは、
高知の安芸(あき)市出身だったお父さん(ドラマでは加瀬亮さん)が鈴木商店という商社の高知支店に勤めていたこと、
女学校卒業後に東京で出会った最初の結婚相手が高知出身の小松姓の人で、終戦を高知市内で迎えたこと。
そして、出身校は、大阪の阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)だというのが、最近(この『あんぱん』を機に?)わかったようです。

(参照→Wikipediaおよび下は高知県発行のリーフレット、阿倍野高校の同窓会誌からお借りしましたm(_ _)m)






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

学制の話に戻ると、
大まかには、
初等教育では今の学校制度と同じく、

・6〜12才まで小学校(嵩の時代は「尋常小学校」で、まだうちの明治生まれの祖母などの時と同じ呼称。後にこれは「国民学校」と名前を変えます)。

・その後13才〜は、
男子は「旧制中学(4年制または5年制)」
女子は「高等女学校(これまた4年または5年の幅が?)」に(行く人は)行く。 


しかし、この「または」というのが曲者で(と、私が思っているだけかもしれませんが)、
4年だけ行って上の学校(これまたいろんな種類に分かれる)を受験する人もあれば、
5年間行ってから受験する人もある。

ドラマでは、
のぶと嵩は、5年生の終わりの冬(昭和11=1936年)に、
「高知縣立高智高等師範学校」(瀧内公美さんが恐い先生のとこf^_^; 高知が敢えて「高智」の字になっているのが、史実だったような気もするし、フィクションであることを表しているのか。これについては個人的にはまだ調査中f^_^;)と、
「高知第一高等学校(ドラマでは「高知高校」とも呼んでいる?)をそれぞれ受験し、
のぶは受かって、嵩は不合格。

しかし実際には、やなせさんは、
旧制中学の「4年生の時に高知高校を受験したが、予想通り不合格だった」と書かれています。(『アンパンマンの遺書』)




そして、翌年(旧制中学の最終学年の5年次)に受けたのは、「美術学校師範科」と「京都高等工芸図案科」であったらしいので(結果は不合格)、
のぶと嵩が、2人とも5年次、同時にそれぞれの学校を受けた、
というドラマのストーリーは、
部分的にフィクションであるようです。

旧制中学の4年次で上の学校を受験することが可能らしいというのは、
優秀な弟の千尋が「4年で高知高校を受ける」
という、柳井医院の伯母さん(戸田菜穂さん)のセリフでも出て来ました。

(この「高知高校」というのが、現在高知市内に実在する、甲子園でも馴染みの「(私立の)高知高校=高知学園」とは別物らしいのが、却って私たち地元民には混乱の元?(⌒-⌒; )) 


以下ご参考まで↓


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜   

たぶんそもそも、
当時はそんな上の学校に行くのがまだそれほど一般的ではなく、
いろいろな実業学校や、(なんちゃらの)「予科」とか「(師範学校の)予備科」など、
ちょっと私の個人的知識を超える複雑な道がいろいろあったにはあったようです。

個人的で恐縮ですが、
一般論ではわかりにくかったので、
自分の身近な例で考えてみました(^◇^;)

ちょっと時代は先、
学校制度は途中(昭和22年)で大きく変わるのですが、

たとえば昭和2年早生まれ(やなせさんの8学年下)の亡父は、
「国民学校」→「実業学校」林業科(現・県立農業高校)の後、
やなせさんと同じ中国上海で終戦を迎え、
これまたやなせさんと同じ昭和21年に復員しています。
(まさか同じ便とかではないと思うけどf^_^;)

船から見た広島が焦土だった、と父が言っていたのと同じことをやなせさんが書かれていました。)

戦後もう上の学校に行き直せるような世相ではなかったので、父はそのまま公務員に。

一方母の方は、
空襲などのひどかった高知市を避けて、
昭和20年の春に、県西部の「高等女学校」に入学しました。

高知市にそのままいたとしたら、
母が行ったかもしれないのは、ドラマでのぶが行ったことになっている(と思う)高知の高等女学校なのでしょうが、
私がそれを言うと母は、
「高知(市内)と幡多ではレベルが違う」
と、一応謙遜しています(^◇^;)

(まあ、中央と地方の違い、県都と郡部との違い、今でも、何でも当然ありますねf^_^;


「駐在さん」だった父親の相次ぐ転勤で四国山地の田舎を転々とし、
小学校(母たちの時代は「国民学校」)だけで6回も転校している母の家族f^_^;

母たちは田舎の学校の優等生だったようですが、
母と一つ違いの伯母は、12歳の時に受けた「第一高女(高知高等女学校)」(当時、高知県内で女子が行く最難関の女子高等学校。たぶん、ドラマでのぶが通っていたのはこれ?)には不合格になり、
1年浪人するつもりで「高等小学校」というところに籍を置いていたようです。

しかしその間に怪我をして、脚の大手術となり、生涯脚が不自由なままだったのは、
前からブログを読んで下さっている方にはちょっとピンと来るかも。
(すみません、前年までの日記は今のところだいたい非公開にしています。)

母が高等女学校の2年の時(昭和22=1947年)に学制が変わり
母は3年次で「新制中学」の3年生扱い、
その後、同じ場所で同じ学校が、
男女共学の県立の「高等学校」になりました。

昭和22年に発布された新学制では、
学校の仕組みはほぼ今と同じにシンプルになっていますが、
数年間(昭和25=1950年まで)は「移行措置」の期間があったようで、
「高等女学校」に6年間在籍の人、
途中から「編入」で入って来た人など、
母の時代には中等&高等学校に在籍した年数が、人によって「とてもまちまち」なのだそうです。

というわけで母の場合は、
戦後の学校制度の変わり目の前後、
「高等女学校」(現代の中学校)1年から、「高等学校」3年まで、
時代に翻弄されながらフルに6年間在籍したクチ、
ということになります。


そのような話を、以前から母に聞いてはいましたが、
あまりに複雑すぎるのもあって今ひとつピンと来ていなかった私です。
(いや、数字の計算は苦手なので、いまだに勘違いしている部分があるかも、というのは不安ですがf^_^;)

今回『あんぱん』で、
まさに今進行中の、登場人物の進路選択。
(そして時代が戦争に向かいそうなのは辛いけど。)

引き続き注目して観たいと思います^_^


コメント (2)

魚の買い出しと鯉のぼり

2025-04-28 07:11:00 | 日記2025
4/27(日)

母と隣町にお魚の買い出し。

国道沿いの川にこの時期かかる鯉のぼり。
普段は上から眺めるだけでこんな感じ↓なのですが、、


今回果敢にも、
下がどうなっているのか、近くまで行ってみることにしました。
(知らない道を車で行くのがトラウマ的にキライな人σ^_^;)

まあ、こないだの渋滞の時、
どう考えても2台の車がすれ違えるわけない田舎道を何とか迂回した身には、
まあ大抵何とかなりそうな気もしたので。(車は擦ったが_| ̄|○)

それに比べれば、
昨日の河原に降りる道は楽勝でした。

下はこうなっていて↓





写真撮影の人(望遠レンズでガチの方、子供のバックに入れたい人)などいろいろ来ていました^_^





  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この日直販市では今ひとつメガネにかなう魚がなく、
いつもより遠くの別の直販まで移動して、
アジをゲット。 



3匹1000円はそこまでお安くないし、 
実はこれはその朝獲れのものではないなと見た目から見逃さなかったけどw、
せっかく魚の買い出しに行ったわけなのでやや妥協して買いました。


お昼は久しぶりに行くうどん屋さん。



(3月末の体調は酷かったが、この日はとりあえず、母と一人前弱ずつ食べられた。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

午後からは、実家の切れない包丁でアジとの格闘です。

(これが嫌なので、下処理をしてない鯛、鯵などの鱗が大きかったりゼイゴのあったり、皮が固かったりする魚は普段は避けているf^_^;

実家での作り置きや持ち帰り分を含めて、
作ったもの↓

塩焼きとムニエル用のフィレ、
なめろう、
アラからだし汁、
またそれから身を外した雑炊用のフレーク。

ケチなのでここまでやって帰って来ましたf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実家では、なぜかこのガザニアの一株だけが盛大な花盛り\(^^)/



通路に生えているこの慎ましいのはイモカタバミ(キレイなのに名前がイマイチ?)、



成長中の紫陽花の株を突き抜けるように生えて来たこのわからない木は↓



調べたらクロガネモチといい、
実を食べた鳥の落とし物(糞、ですねf^_^;)から広がる、
とネットにありました。

そーか、だから自分の家にはない木が勝手に生えてくるのか〜

と思ったら、
いや、クロガネモチってなんか聞いたことある…

そう、こないだ母がシルバー人材センターのおじさんに頼んで切ってもらった、
うちにあった大木でした。



そりゃ生えてもくるゎ…(^◇^;)



コメント

本日の太平洋とチキンナンバンと実家の庭

2025-04-27 07:54:00 | 日記2025
飛び石連休だけど、
思い立って一泊で実家です。

レジャーの県外車が増えていつもより時間がかかることを覚悟していたら、
全くそんなことはありませんでした。

よく考えたら連休1日目、
この四国の端っこに、帰省やレジャーの皆さんは

たぶんまだ到達していない(^◇^;)


本日の(と言っても昨日の)太平洋↓




お遍路さんも足を止める、この辺りでも屈指の絶景スポットなのですが、
背の高いダンチク (これからの季節、もっとガンガン成長するよ)が邪魔をする〜(>_<)

(ちなみに、今俳優の松山ケンイチさんが、八十八ケ所巡りで、まさに私たちがこないだ行った国分寺のあたりまで来ていらっしゃるらしいです(°▽°))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

突然帰ることにしたので、
母には、夕飯のおかずは何か市販のものを買って帰るよ、
と言っていました。

市内で「チキンナンバン弁当」と言えば知らない人はいない、
ローカル弁当チェーンの「くいしんぼ如月」さん。
コンビニというものが存在しない時代から、
夜中までやっているちょっとしたスーパーのような感じだったので、
独身時代にはよく行っていました。
(あ、私が、ではなくて当時一緒に行動していた奴がf^_^;)

オーロラソースのかかったチキンナンバンが、
何だか病みつきになる味なのです。
付け合わせはほんのちょっとの刻みキャベツとナポリタンのスパゲティ、大根の桜漬け「だけ」、
というのはある意味潔い。

確か以前「ケンミンショー」などでも紹介されたかもしれません。
 
店舗(作る人)によって上手下手があったりはするのだけど、
どこのお店も、注文後すぐに中のおばちゃん数人がささっと作り始め、
すぐに出来立てを渡してくれます。

昨日、20年ぶりくらいに買った、
帰り道沿いの初めてのお店は「当たり」でした^_^

家で食べるので、
ごはんはなしの「おかずのみ」、430円。


開けてみると、あれ、ポテサラが加わった!?
ナポリタンの量も増えているかもしれない。
(おかずだけバージョンだから?)


(移動でちょっと中身が寄ってしまった。)

この頃、柔らかいもの、味のハッキリしたものでないと「美味しい」と言わない母にも大好評でした。

実家の町にはなぜか一店もないので、
また買って来よう(^^)v

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この時期の庭の記録です。

実家では、「自然の草むら化計画」の築山の一部が良い感じ^_^



カスマグサに早くも小さいお豆の実が\(^^)/



これは、
ニガナだったかな。



ネジバナは元気に成長中。
これは、職場由来(学校の中庭からもらって来た)3株と、
それが庭内の他の鉢に飛んだ1株。



私が別の公園で採取した2株と、
同じく職場由来の種が飛んだ1株。
(このプランターの土は職場のではないせいか、成長イマイチ。)



ヨウラクツツアナナスは、ちょうどの時期に植え替えられなかったのでちょっと悲惨↓



それから、例年なら沢山花をつけているはずの「さつき」が、
なぜか今年は全く咲いていません。

母に言うと、

私が、こないだぜーんぶチョキチョキ切ったのが、
そう言えば花が咲く直前の芽やったみたい

そりゃ咲かんわ( ̄▽ ̄;)

緑の指を持たない人ってこんな調子。
父が草葉の陰で泣いているかも(^◇^;)



コメント

『あんぱん』考(3)土佐弁のイメージ

2025-04-26 08:08:00 | 日記2025
GWが始まりました。
何かのページに出ていて、どこまで本当なのかわからないけど、
今回の連休、この朝ドラ効果で、行きたい都道府県1位が高知とか(゚o゚;;

この『あんぱん』以前、
土佐、土佐弁のイメージの代表格は坂本龍馬の「ぜよ」ではなかったかしらん。

(「日本の夜明けぜよ」と龍馬さんが本当に言ったのかどうか忘れてしまったがf^_^;)


コメントをいただいた方へのお返事にも書いたのですが、
私が大学で東京に出る直前、
県出身の作家宮尾登美子さんの作品(『陽暉楼』や『鬼龍院花子の生涯』)が相次いで映画化され(どちらも五社英雄監督)、
特に『鬼龍院…』ではあの夏目雅子さんの「なめたらいかんぜよ」の決め台詞が有名になりました。

そこで、
語尾に「ぜよ」さえ付けておけば土佐風味、のようになり、
「絶対そんなところにぜよは付かない」と思うおかしな土佐弁も出回りましたf^_^;

(既に大学生になっていたので漫画やドラマはほとんど見てないけど、確か南野陽子さんの『スケバン刑事』で、この変な「ぜよ」がいろいろ出て来たような。)

また、『鬼龍院…』などが任侠の世界を描いたものだったために、

土佐=(酒呑みなばかりでなくw)恐いところ

のようなイメージが世間に定着した感⁉︎

たまたまその頃高知では、◯力団の抗争なども活発になっていたせいで、
高知出身だと言うと周りから結構イジられたものでしたf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その「ぜよ」は、 
昔は男女関係なく使っていたイメージがあるけれど、
今はせいぜい60代以上くらいの男性が使うような感じだと思います。   

(※もう一度お断りしておくと、私は県西部の幡多弁ネイティブであって、土佐弁は後付けの3割程度はフェイクですので、そこは今後も少し割引いて考えて下さいf^_^;)


元々「ぜよ」は、「〜だよ」と念を押す感じの語尾ですが、
「よ」を取った「〜ぜ」くらいなら老若男女関係なく今でも日常会話で多用されます。
でも、それも今では、特に若い層では、「いかにも年配の地元民」な感じのする「〜ぜ」よりも、
「〜で」とちょっと柔らかい音になっていることが多いけど。


ハイ、ここでいったんまとめ(笑)↓

「〜ぜよ」(例:そりゃいかんぜよ。←これに、それこそ「たまぁるか!」を加えてもよい強い感じ。)
 ↓
「〜ぜ」(例:そりゃいかんぜ。)
 ↓
「〜で」(例:そりゃいかんで。)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

今回『あんぱん』では、
その「ぜよ」の呪縛がやや解かれ、
語彙に、もっと地元フレンドリーなバリエーションが出て来ているように感じます。
これは土佐言葉の考証、指導の方のお仕事の賜物なのでしょう。

私が特に注目するのは、
語尾の「〜な」

例:何考えゆうが。(何を考えてるんだ?)

この「な」は、私の出身地近くではあまり使わないような。

高校で県都に出て来た時、
先生に質問しようと恐る恐る職員室の扉を開けると、
コワモテの先生(実は良い人、と後でわかったf^_^;)がおもむろに顔を上げ、
ギョロッとした目でこっちを睨みつつ、ドスの効いた声で

「な?」

(最後に「ん」が付くと、ただの「何な?」よりも強い。イントネーションは、音階で言うと「ドミドド」くらいの感じw)

「なんなんて、なんなん!??((((;゚Д゚)))))))

私は地方都市の、
更に地方から、
しかも中高一貫校の途中の高校から入った真面目な一生徒f^_^;
その恐さに震え上がって質問どころではなくなったのが、
今でも昨日のよう(^◇^;)

これは、ドラマの中では同じセリフを釜じい(吉田鋼太郎さん)が言うことが多く、
私の恐怖の記憶を呼び起こしてくれます(^◇^;)


この語尾の「〜な」の感じが『あんぱん』ではよく出ている。

今田美桜ちゃんが言うととてもキュートだし、
弟の千尋が言うのはとても青年らしくて良い。
伯父さんである竹野内豊さんが言うと、
穏やかですごく包容感あります(*゚∀゚*)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

「どうした」を、方言らしく「どういた」の発音や字幕表記にしているのも今回快挙ではないかと思います。

しかし、ちょっと言わせてもらうとしたら、
土佐弁は、前回書いたように、「関西弁」に近いアクセントなので、
どちらかというと平坦だと言われる東京の言葉よりも上がり下がり(イントネーション)が激しい。

特に驚いて「どうしたのか?」と聞く場合などは、表記は、

ーぃた?」

が近いかも。

(「い」はこの繋がりの中では元々弱め。強い意味を出す時には最初の「ど」が強くて長くなり、そしてもしこれを敢えて音階で言うなら、場合によっては「ラーラド(←ドは下の音)」くらいの高低があるかもしれない。)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ということで、
あくまで個人的興味もあって、
他県の方には「細かすぎて伝わらない」話になったかもしれませんが、
まぁそういう目で観ている者もいるということでドラマをご覧になってみて下さいf^_^;


コメント

連休前、ブログ移転などの雑感

2025-04-25 20:26:00 | 日記2025
職場は、新年度明けてからなんだかんだと行事などが続き、
未だ落ち着きのないまま、
例年通りまたもGW目前です。

しかも、今年は特に飛び飛びな感じで、
授業がまともに出航できるのは結局GW後か。

5月は良い季節です。
でも学校という視点から見ると
それは新学期始まってあまりにも何もかもが軌道に乗らないうちにすぐに来すぎるような。

そのせいで、
新しい環境に慣れないうちに休みになったと思ったら、
また仕切り直しのように登校しなければならないことがしんどくて、心身に不調を来す生徒が出て来ても不思議ではありません。
いや、教師だってしんどいし(^◇^;)

確かに5月は良い季節だし、
このGWを構成している祝日には、
もちろんそれぞれちゃんと意味があるのだけど、
これを、例えば6月くらいに並行移動させるだけで学校は、生徒は、いやもしかしたら日本国民全体が?かなり楽になるのでは、
などと考えたりする今日このごろf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

既にブログの引越しを済まされた方もたくさんいらっしゃるようですね。

考えてみたらこれ、
すごい事態ではないでしょうか。

住んでいた超巨大集合住宅が、
突然数ヶ月後になくなるから撤退して下さいよ、
といういきなりな通告。
そしてそのほぼ全ての住人が、一斉に二つかそこらの別の場所に流入するとか。

皆さん各々の携えるデータ量など考えたら、
これは民族大移動どころの騒ぎではないのでは( ̄▽ ̄;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

既にお引越しをされた方、
大体決まった方のブログを覗くのは、
やっぱりちょっと寂しいものがあります。

かつて我が家は転勤族でした。
住み慣れた部屋から荷物が運び出されてだんだんと閑散として行った時、
まだ幼かった息子が一言:

なんだかうちの全てが終わるみたいだね。

( ̄▽ ̄;)

別に全てが終わるわけじゃないけどf^_^;


一話一話、何とも言えない印象的な話を書かれるブロ友さんがいて、
でもその方のブログが、ある日突然止まってからもう数年になります。
(たぶん)ご家族の方が何かアクションを起こされなければ、
あの味わい深い文章がもう読めなくなったりするのか?( ;∀;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私自身は、こういうことに関してはとても腰が重い方だし、
例年の1学期の混迷具合、消耗具合を思うと、
たぶんブログの引越しは(アプリの方が終わるという)9月前ギリギリになりそうです。

それまでお付き合いいただけると幸いですm(_ _)m


はてなブログなのかアメーバブログなのか?

芸能人の方のブログが多い気がしていたアメーバは、
前に会員になろうとしたりコメントしようとしたりするのが上手く行かず難渋した覚えが。
とするとはてなブログなのかなぁ…?

「住めば都」というのもわかっちゃいるけど、
新しい環境に順応するのが苦手なタイプなので悩んでいますf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

通勤途中に、ツツジがそれは見事な分離帯や生垣があります。
でもさすがに、途中で車を止めて写真を撮ることができないうちに、
例年その最盛期を過ぎてしまうのです。

このところ実家にも帰っていないので、
せめて去年の実家の一枚を^_^






コメント (2)

『あんぱん』考(2)土佐弁

2025-04-25 01:21:00 | 日記2025
大学の時の言語学の授業で、
「日本言語地図」なるものの存在を知りました。

それは日本語を、アクセント(この場合言葉の「抑揚」、つまり上がり下がり、イントネーション)によって、
「東京アクセント」の地域と「関西アクセント」の地域の、大きく二つに色分けしたもので、
その時のは、鮮やかな青と赤でした。

高知県は東西に長いので、
今『あんぱん』でやっているような、
県の東三分の二くらいの地域の「土佐弁」は関西弁に近く、
西部で話されている「幡多(はた)弁」は、全く反対と言っても良いほどの東京アクセントです。

当時見せられた日本言語地図では、
県の中で実家の地域だけが、しっかり東京方言と同じ色で塗られていたので驚きました。

そして今は当時より研究も進んだのか、
私が見たようなシンプルな赤と青の地図はネット上でなかなか見つからなかったので、
なるべく近そうなものをお借りして来たものがこれです↓




県の東と西では、
言葉のみならず昔からの食べ物や風習も結構違っているのが予々疑問だったのですが、
この言葉の分布具合を見て、
その「境界」がまさに、
「久礼坂(くれざか)」という険しい峠にあることを確信。

昔言葉や文化は、こういう地理的条件のせいで伝播したりしなかったりしたのか。
と実体験に照らして初めて身に染みた、
当時私は無垢な語学生でしたf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

さて今やっている『あんぱん』は、高知市から北東にある「後免町(現南国市=なんこくし)」の話なので、
語尾や用語はいろいろあるとして、
アクセントは関西弁に近い「土佐弁」です。


私は西の「幡多弁ネイティブ」で、
「土佐弁」は学校勤めをし出してから使い出した「えせネイティブ」に過ぎないのですが、
それでも毎日周りから耳に入る音や用語から判断して、
『あんぱん』の役者さんが使う土佐弁は、
これまでの高知関連のドラマでは一番クオリティが高いと思います。

昔の、県を舞台にしたドラマの方言はひどいものでした。
西部の話なのに、絶対そこで使われることはない土佐弁(「〜しちゅう」、「〜やき」など)で皆が話していたり、
語尾も無茶苦茶なら抑揚も変で、
それが邪魔してちっとも話が頭に入って来ませんでした。
(何のドラマだったかは敢えて言いません(⌒-⌒; ))

『仁』での竜馬役の内野聖陽さんあたりから、本格オッサン土佐弁が出て来て感心しました。

(内野さんは、龍馬役が決まるや、高知の酒場に地元民よろしく入り浸り、地元のオッサンの言葉やイントネーションを徹底的に耳から学んだそうでした。)

『らんまん』の松坂慶子さんなども素晴らしかったですが、
今回『あんぱん』出演者は、
みんながみんな、クオリティ高し。

勿論、郷土出身ということで出演している、
小学校の先生役、樫尾篤紀さんや、
柳井家のお手伝いさん役の瞳水(ひとみ)ひまりさんは、
聞いていて安心な安定感。

でも、昨日ちょっと触れた、嵩の弟役の中沢元紀さん、
この方は実は高知の人じゃないかと思ったくらい、
調べたら何と茨城の方でした( ̄▽ ̄;)

当時の若者が言いそうな言葉からそのアクセントから、
超自然。

言葉を真似する才能のある人は、語学や音楽の才能もあるのでは、
と私は思います。

話はちょっと逸れるけれど、
県出身の演歌歌手、三山ひろしさんは、
歌が上手いのはもちろんなのですが、
英語の歌を歌わせてもその発音がスバラシイ(^^)v


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

さて、「音」や「イントネーション」中心に話が長くなってしまったのですが、、、

おぉ、やっぱそれ出しますか、と思う代表的な土佐弁も、回ごとに順次登場して来ている感じです。

 
①まず、結構このドラマのキーワードになっているらしい「たまるかー!」

これについては正直ちょっと、そこまで大袈裟に言うほどのシチュエーションでもないのに多用されてる感が、個人的にはあります。
(スミマセン、個人の感想なのでf^_^;)

これは「たまるもんか」が元で、
「(そんなことしたら)大変だ」とか、
「(そんなことまでしてくれて)すごく恐縮だ、有り難い!」など、いろんな意味で使われるのは確かなのですが。


「たっすい」
これは、「頼りない」、飲み物の味などが「薄くて物足りない」ほどの意味から、まあ人の性格などに使うのもありなのかな?

(スミマセン、私100%のネイティブではないのでそこらへんは自信ない。)

しかしこの言葉が、「たっすいがはいかん!」と、まさに◯リンビールさんの高知での販路拡大のキャッチフレーズのまま出て来た時には、
NHK攻めてるわぁ、◯リンビールに喧嘩売るのか、
とちょっとドキッとしましたf^_^;




「ろいろいする」
ここまで出しますかっ!って感じの土佐弁(^◇^;)

確か第17話で、勉強を教えてもらうためにのぶが柳井家で待っているのに、
自信を無くした嵩は外をうろついていてなかなか帰って来ない。

その時のぶが独り言に言ったのが、

「たかし、どころいろいしゆうがなΣ(-᷅_-᷄๑)」

「ろいろいする」(笑)。

基本的には「外をうろつく」ことだと思いますが、
そこには、「待っている人の心配などよそに、自分勝手に」という感じで、
言う人の怒りや苛立ちがこもっています。

「何かに焦って狼狽える」というような意味もあるかも。

でもそこには、言う人と言われる人両方の、「仕方ないねぇ」のような憎めない諦め感が入っているような気がして、
私の個人的な感覚では、何となく可愛い言葉です。

亡父もよくあちこち出かけては「ろいろい」する人で、
母に怒られていましたf^_^;


この時ののぶの発言では、
語尾の「…しゆうがな」(しているのか)の最後の「な」の高さと力の抜き加減が、個人的にはキュートで最高(*^^*)


④同じく第17話?、兄弟喧嘩の場面。
医者にならないのは兄のためではない、と何度も言う千尋になかなか納得しない嵩が、「ほんとにそうなのか?」と食い下がります。

そして千尋のこの発言:

「しわい!」

「しつこい」ことの「最上級」の感じか。

私も今日、授業中注意しても注意しても私語がうるさい生徒にこれを言って来ましたが、、、

しかし、部活などの都合で他県から来ている生徒も多い勤務校。
地元民以外に言ってもニュアンスが通じず、今ひとつ効果がない言葉ですf^_^;


「おんしゃあ」

これは確か、のぶの祖父の釜じい(吉田鋼太郎さん)が、
のぶのことを悪く言ったヤムさんに噛みついて。

基本は「お前は」ということですが、
時に怒った時に「お前という奴は」「この野郎」のような意味で相手にケンカをふっかけようとする時など。
主にオッサンが使う言葉で、
女性はまず言わないでしょうf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

今日はここまで。
また長くなってしまいましたが、
なるべくリアタイに近くなるよう頑張ります^_^



コメント (2)

『あんぱん』考(1)

2025-04-23 20:22:00 | 日記2025
朝ドラ『あんぱん』、楽しく観ております。

ここは、滅多にない地元民の利を生かして、
この際気づいたことを書き留めようかと考えました。

もちろんドラマは全てが史実でなく、
フィクション部分、演出も当然あるので、
いちいち挙げつらうのは野暮というのは承知の上。
批判でなく個人的興味からの考察と取っていただければ幸いです^_^

もうドラマは4週目まで来ているので、
リアルタイムにとは行きませんが、
覚えていることからまず書きたいと思います。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

《第1話》

まずいきなり画面に出て来た「御免与驛」に笑う(^◇^;)

実際の駅名は「後免」ですが、
「よ」が付くんかーいヽ(;▽;)ノ

一緒に見ていた母は冷静で、
「あら、駅が旧字やのに与は簡単な字でええがかね?」
(ちなみに、与の旧字は「與」。)

母、漢検1級「手前」の人。
(受験直前まで勉強したのに、突然祖母の介護が必要になり、受験を諦めた。)

それに母、昭和7年生まれの92歳。
ドラマとほぼ同時代を生きてます。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

《第?話》

確か2週目、
嵩(子役)が母(松嶋菜々子)を訪ねて高知市まで徒歩で行く場面がありました。

高知(駅)と後免(駅)は、通勤通学では通いやすい距離で、
今は各駅停車の汽車(「電車」じゃなくてディーゼル車だよf^_^;)や土電(土佐電気鉄道)の路面電車が通っています。

しかし徒歩、しかも子供の脚ではちょっとキツかろ〜(⌒-⌒; )


 

そして、母親に冷たくされた帰り道、
嵩がとぼとぼと海岸沿いを歩くのだけど、
残念ながら、
高知⇄後免の間に海はない…。

演出ですね(*^^*)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

《第14話》

のぶが母親(江口のり子)に頼まれて、
パンの配達に行った「夢ヶ浜」

このロケ地は安芸郡芸西村(あきぐんげいせいむら)の「琴ヶ浜」でした。

確かこのドラマの最初の撮影がここだったとか。

琴ヶ浜は美しい海岸です。
小さいながらも野外劇場や天文台、
(今はどうかわかりませんが)温水プールがあって、
確かお月見などのイベントもよく開かれます。
浜の端あたりに、龍馬を見送るお龍(おりょう)さんとその妹の銅像もあります。

浜辺は細かい石に覆われ綺麗ですが、
急に深くなっているため、
桂浜同様、確か遊泳は禁止です。

そして後免からこの琴ヶ浜は↓




徒歩で4時間以上!
徒歩でパンの配達はちょっとできそうにないし、
ヤムおじさんはじめ両家の兄弟姉妹が大集合、は難しいf^_^;

あ、でもなぜか、
ここでみんなが飲んでいたラムネ

なぜかこの琴ヶ浜に入る国道沿いに、
いきなりラムネ(だけ?)を売っていた良心市のようなところがあったのを今思い出しました。

(何を隠そう、30数年前、このあたりは私の行動圏f^_^;)

琴ヶ浜にはかき氷などを売っている店などはないので、
このシーンでイメージするところは、
現代ではもっと東に行ったところにあるレジャースポット、「ヤシィパーク」です。
観光で行かれる方はどうぞ^_^


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

御免与町の商店街の中に、
「かつら」というお団子屋さんが出て来ます。

最初にその店構えが映った時、
母が、

「らっか」って何やろう?

と首を傾げていた。
いやいや、アナタその時代の人でしょう。
右から「かつら」と読んでくれ(⌒-⌒; )

これとは全然関係ないのかも知れないけれど、
実は高知市内に、「桂」という老舗の和菓子屋さんがあります。

駅近で徒歩で行けるのが良いのか、
昔からの(つまり今は結構なお年の、手押し車をついたりした)常連さんで、いつ行っても「なぜこれほど!?」と思うほど混んでいます。

日本酒入りのカステラが有名。
(酒飲み県と思わないで下さい。いや、そうだけどw)

何か関係あるのかなぁ、
と思いながら見ています。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

個人的に一番興味があるのは、
何と言っても役者さんたちの「土佐弁」です。

私の独断と偏見ですが、
もう120点をあげたい!のが、
嵩の弟の千尋役の中沢元紀さん!!

長くなりそうなのでまた別に書きたいと思います^_^



コメント (6)

母とレジャーの週末

2025-04-22 07:57:00 | 日記2025
4/19(土)

四国八十八箇所札所の牡丹が見頃というニュース。

ということで、
何かこういう理由をつけないとなかなか私の住む街にもやって来なくなった母を、
ちょうどまた実家に中期滞在してくれている妹が車で連れて来てくれました。


昼前に着いて、まずはお昼ごはん、
なのだけど、
小食3人で外食できるところはひじょーに限られる。
母は生魚がキライだけど、仕方ないので100歩譲って途中にあった「くら寿司」に決めました。

チェーン店の中では私はここが好きなのですが、
うーん、お味(特に鮮度)はここ2、3年落ちている気がする。

そして万博コラボとかで、
いきなりアイルランドの国民食ボクスティなるものがあり、
チャレンジャー妹が頼まぬわけはないのですが、、



じゃがいも入りパンケーキのようなものらしいです。
申し訳ないけど私は、
かかっているチェダーチーズのソースがちょっとダメだった。

(アイルランドの方、スミマセン(⌒-⌒; ))

この「万博コラボ」は、
今店舗によってメニューを違えてやっているようです。
ご興味ある方はgo


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

四国霊場八十八ケ所第二十九番札所、摩尼山国分寺。
聖武天皇の時代からの古刹です。


この時期牡丹は、傘を掛けて大事に育てているらしい。







  



ツツジも満開。




一番良い写真が撮れた!
と思ったら、
向こうに知らないオバサマが写り込んでいたf^_^;




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

次に行ったの、
30〜40年前からあるのに(地元民だからこそ?)わざわざ行ったことはなかった観光農園です。



今の時期、
一昔前なら鯉のぼりと一緒に揚げられることの多かったフラフ(オランダ語から来ている。英語ではflag)がはためいていました。



ハウス内は南国の雰囲気。


今は家族連れやカップルなどの他、
いちご狩りの観光客がバスで到着したりしていましたが、
私たちはそんなにいちごばかり食べれない〜ヽ(;▽;)ノ

母と妹はいちごソフトを、
私はメロンサイダーを。



(空になる前に撮れ(^◇^;))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

最後は、
先日「全47都道府県のうちで最後」にできた◯ンキ見学でしたーf^_^;

開店直後の混みようはすごかったらしいけど、
少し時間がたったのでまぁ、という感じ。

母は目をクルクルさせていましたf^_^;




コメント (2)

教員免許とか、学校とか。

2025-04-20 11:45:00 | 日記2025
(前回より続く)

下は、今年1/24のNHKローカルのニュース画面。













前年県内で相次いだ教員の不祥事の件数(これには、公立だけでなく私立の教員も含まれます)と、
そのために県教委が緊急会議を開いたことを報じるものです。

どこの職場でも、つい道を外れて法に触れるようなことをしてしまう人が「皆無」ではないかもしれません。

でも職場が「学校」で、
そのやったことの内容が「わいせつ」系は、特にあってはならない。

上の10件のうちでは7件を占めています。

特にそういう性的な犯罪は、人目に触れないところで起こることが多く、
しかも被害に遭った生徒がよほど勇気をもって声を上げない限り表に出ないことも多いと思うので、
こう言ってはナンだけれど、
悪くすればこの実数はもっと多いのではないかとも思う。

教員になる人は、とりあえず子供に接することが嫌いではなく、
教科の面では自分の持っている知識や勉強することの面白さを何とか伝えたい、と、
わざわざ教員免許のとれる学校に行って、時間とお金をかけて教員になっている。

というのが、
教員本人からしても、生徒側からしても、
組織からしても、
性善説に基づいた社会の良識であるはずです。

そこで「猥褻」などという、
学校現場では最も忌避されるべきことが起こるのなら、
そんなところで教育なんか成り立たつはずはないことになってしまいます。

上のニュースのように、
犯罪としては扱われないので表に出ないまでも、
例えばクラスのいじめを見て見ぬふりをする教員、
自分の評価を傷つけたくないために校内の不祥事を上に報告しない管理職なども、
これは本人が同じことをしているのと同等で、教員としては不適格だと私は思っています。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

近年、その職場環境の悪さから教員のなり手が減り、
はっきり言って「資質に欠ける」人でも簡単に教員になれてしまう例が増えているのでは。

上の猥褻の20代の一人は確か、臨時採用中の教員で、
もう一人は本採用でもなって日の浅い20代前半?の若者でした。

では40代、50代はなぜ?かと言えば、
それも、
採用されて日々の業務や研修などで意識を高めることもないまま、
安泰な立場に「長年甘んじていただけ」のような例かもしれません。

教員は、
本人は性格的に向いていそうもないのに親が教員だから、とか、
一般企業に受からなかったからとか、
行く行くは転職するつもりだけどとりあえずの腰掛けに、給料が貰えればいいや、
などという感覚でなるものではないと私は思います。
ましてや、別の意味での「子供好き」(→猥褻目的)の人が入り込む余地などあってはいけない。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

と思っていたところに、
数日前ネット上で見つけたのがこの広告です↓




「たとえいま免許がなくても」教員になれる。

しかも、「求む2年間先生」

この気持ち悪い「軽さ」は何だろう…。


これは、「teach for japan」というNPOが、
今のところは免許がないけれども教員をやってみたい人と、教員不足の自治体とをマッチングする、
というようなシステムらしいです。
教育関係のビジネスがここまで来たか、
という感じ。


教員になりたいという希望が強くて、
その2年間のうちに免許を取得しようという気概がある人が来てくれるならまだマシだけれど、
教員を、本当に一時的な生活の手段としか考えておらず、
2年経っても免許が取れませんでした、
なのでまた別の職種に転職します、
という人が出て来る可能性だってあるのでは。

それだと、
素人を受け入れた現場の負担だけが大きく、
掻き回されるだけの受け入れ損で終わってしまいそうです。

そもそも、多忙を極めた挙句に身体や心を病んで休職する教員が多いことなどが昨今の教員不足の原因であるのに、
そんな現場に、「一から」の未経験者を放り込んで、
受け入れる方も受け入れられる方も、
指導したり学んだりする余裕があるのか?
が私の最大の疑問です。


大学の教員養成課程では、
専攻科目の知識とそれを教授する術は言うまでもなく、
発達心理学とか、教育史とか教育統計とかテスト論etc.、
学校で教えるために必要な様々なことを学びますが、
何より大事なのは、それらを学ぶある程度長い期間の過程で、 
教員としての「意識」や「良識」や「責任感」を積み上げて行くことではないかと個人的には思っています。

そんな、「人間を教育する」ための訓練を受けていない人、
教育の意識に欠ける人が現場に入り込んで、
それこそ「教育的でない」事をやらかしてしまうかもしれないのは怖くないですか?

(「怖そうだ」とは思うものの、とにかく足りていない教員の頭数を揃えなければ回らない、というヤバいところまで来ている現状に、みんな目をつぶっているんでしょうか。)


教員免許とは、
安倍さんの考えたように、
10年ごとにほんの数日間の講習と試験を受けさせて、
向いているかどうかがわかったり、
少々話下手な教員を「不適格教員」として篩い分けるためのものではない、
と私は思ってやっています。

現場で働きたいなら、まず免許を取ろうよ&取らせようよという方向に行かないのは、
ここ数十年、
その価値と意義のわかる人が教育行政に携わって来なかった
ということではないかと私は思っています。

運転免許を持たずに道路を運転したら捕まるし、
医学の「い」も齧ったことのない人に、
たとえちょっとした切り傷でも縫われるのは、私は嫌ですが。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

自治体単位で言うと、
きちんとした「採用」の仕方と、その後の教育をきちんとして来なかったことでツケが回って来たのが今の居住県(だけではないみたいですが)の現状だと思うのですが、
実は、大学3年生の「青田買い」計画は、
本県以外でも、
またそれより前から、ほかの多くの自治体で行われ始めていたようです。

(2023.5.1の教育新聞より↓)






長年の教員というものに対する考え方や採用の仕方の歪みが露呈して来たかに(私には)見える昨今です。

この先、学校というのは自分の子供(いやもう孫か(^◇^;))の世代を安心してやれるところか、と言われれば、
少し躊躇してしまう人が出て来てもおかしくはないかも。

(かと言って、安易に「不登校」とか「フリースクール」などに走ることも、個人的には違うように思うけど。)


どこから手当てをしましょうか?
どこから変えましょう?

と言われたら、
現場の教員の頭数を揃えるより先に目を向けなければならない部分があるのでしょうに、
それは簡単な道ではないから皆無意識のうちに?話を外らせているのでしょうか?



コメント