(前回より続く)



下は、今年1/24のNHKローカルのニュース画面。












前年県内で相次いだ教員の不祥事の件数(これには、公立だけでなく私立の教員も含まれます)と、
そのために県教委が緊急会議を開いたことを報じるものです。
どこの職場でも、つい道を外れて法に触れるようなことをしてしまう人が「皆無」ではないかもしれません。
でも職場が「学校」で、
そのやったことの内容が「わいせつ」系は、特にあってはならない。
上の10件のうちでは7件を占めています。
特にそういう性的な犯罪は、人目に触れないところで起こることが多く、
しかも被害に遭った生徒がよほど勇気をもって声を上げない限り表に出ないことも多いと思うので、
こう言ってはナンだけれど、
悪くすればこの実数はもっと多いのではないかとも思う。
教員になる人は、とりあえず子供に接することが嫌いではなく、
教科の面では自分の持っている知識や勉強することの面白さを何とか伝えたい、と、
わざわざ教員免許のとれる学校に行って、時間とお金をかけて教員になっている。
というのが、
教員本人からしても、生徒側からしても、
組織からしても、
性善説に基づいた社会の良識であるはずです。
そこで「猥褻」などという、
学校現場では最も忌避されるべきことが起こるのなら、
そんなところで教育なんか成り立たつはずはないことになってしまいます。
上のニュースのように、
犯罪としては扱われないので表に出ないまでも、
例えばクラスのいじめを見て見ぬふりをする教員、
自分の評価を傷つけたくないために校内の不祥事を上に報告しない管理職なども、
これは本人が同じことをしているのと同等で、教員としては不適格だと私は思っています。
〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜
近年、その職場環境の悪さから教員のなり手が減り、
はっきり言って「資質に欠ける」人でも簡単に教員になれてしまう例が増えているのでは。
上の猥褻の20代の一人は確か、臨時採用中の教員で、
もう一人は本採用でもなって日の浅い20代前半?の若者でした。
では40代、50代はなぜ?かと言えば、
それも、
採用されて日々の業務や研修などで意識を高めることもないまま、
安泰な立場に「長年甘んじていただけ」のような例かもしれません。
教員は、
本人は性格的に向いていそうもないのに親が教員だから、とか、
一般企業に受からなかったからとか、
行く行くは転職するつもりだけどとりあえずの腰掛けに、給料が貰えればいいや、
などという感覚でなるものではないと私は思います。
ましてや、別の意味での「子供好き」(→猥褻目的)の人が入り込む余地などあってはいけない。
〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜
と思っていたところに、
数日前ネット上で見つけたのがこの広告です↓

「たとえいま免許がなくても」教員になれる。
しかも、「求む2年間先生」。
この気持ち悪い「軽さ」は何だろう…。
これは、「teach for japan」というNPOが、
今のところは免許がないけれども教員をやってみたい人と、教員不足の自治体とをマッチングする、
というようなシステムらしいです。
教育関係のビジネスがここまで来たか、
という感じ。
教員になりたいという希望が強くて、
その2年間のうちに免許を取得しようという気概がある人が来てくれるならまだマシだけれど、
教員を、本当に一時的な生活の手段としか考えておらず、
2年経っても免許が取れませんでした、
なのでまた別の職種に転職します、
という人が出て来る可能性だってあるのでは。
それだと、
素人を受け入れた現場の負担だけが大きく、
掻き回されるだけの受け入れ損で終わってしまいそうです。
そもそも、多忙を極めた挙句に身体や心を病んで休職する教員が多いことなどが昨今の教員不足の原因であるのに、
そんな現場に、「一から」の未経験者を放り込んで、
受け入れる方も受け入れられる方も、
指導したり学んだりする余裕があるのか?
が私の最大の疑問です。
大学の教員養成課程では、
専攻科目の知識とそれを教授する術は言うまでもなく、
発達心理学とか、教育史とか教育統計とかテスト論etc.、
学校で教えるために必要な様々なことを学びますが、
何より大事なのは、それらを学ぶある程度長い期間の過程で、
教員としての「意識」や「良識」や「責任感」を積み上げて行くことではないかと個人的には思っています。
そんな、「人間を教育する」ための訓練を受けていない人、
教育の意識に欠ける人が現場に入り込んで、
それこそ「教育的でない」事をやらかしてしまうかもしれないのは怖くないですか?
(「怖そうだ」とは思うものの、とにかく足りていない教員の頭数を揃えなければ回らない、というヤバいところまで来ている現状に、みんな目をつぶっているんでしょうか。)
教員免許とは、
安倍さんの考えたように、
10年ごとにほんの数日間の講習と試験を受けさせて、
向いているかどうかがわかったり、
少々話下手な教員を「不適格教員」として篩い分けるためのものではない、
と私は思ってやっています。
現場で働きたいなら、まず免許を取ろうよ&取らせようよという方向に行かないのは、
ここ数十年、
その価値と意義のわかる人が教育行政に携わって来なかった、
ということではないかと私は思っています。
運転免許を持たずに道路を運転したら捕まるし、
医学の「い」も齧ったことのない人に、
たとえちょっとした切り傷でも縫われるのは、私は嫌ですが。
〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜
自治体単位で言うと、
きちんとした「採用」の仕方と、その後の教育をきちんとして来なかったことでツケが回って来たのが今の居住県(だけではないみたいですが)の現状だと思うのですが、
実は、大学3年生の「青田買い」計画は、
本県以外でも、
またそれより前から、ほかの多くの自治体で行われ始めていたようです。
(2023.5.1の教育新聞より↓)


長年の教員というものに対する考え方や採用の仕方の歪みが露呈して来たかに(私には)見える昨今です。
この先、学校というのは自分の子供(いやもう孫か(^◇^;))の世代を安心してやれるところか、と言われれば、
少し躊躇してしまう人が出て来てもおかしくはないかも。
(かと言って、安易に「不登校」とか「フリースクール」などに走ることも、個人的には違うように思うけど。)
どこから手当てをしましょうか?
どこから変えましょう?
と言われたら、
現場の教員の頭数を揃えるより先に目を向けなければならない部分があるのでしょうに、
それは簡単な道ではないから皆無意識のうちに?話を外らせているのでしょうか?








