goo blog サービス終了のお知らせ 

michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

切り干し大根乾いた!

2018-12-25 22:40:24 | 料理レシピ・保存食の記録
こないだから干しカゴで乾かしていた大根。
昨日は慌ただしくて、一晩ベランダに忘れていたけど(^^;



今日は朝から良いお天気でした。
ベランダの床に、何か細い紐のようなものがいくつか落ちていたので何かと思ったら、
それは、乾燥して細くなった大根!

つまり、網目を抜け落ちるほど細く乾いていたということです。

慌てて取り入れる(^^;

小ぶりでしたが、大根1本が、これだけの切り干し大根になりました(^^)



てことは、
切り干し大根の中には大根の栄養が、
かなり凝縮されているってことになりそう(^^)
コメント

光の祭典

2018-12-23 10:43:34 | 旅行・お出かけ
娘の休みが「今日しかない!」となった昨日、
突然Y叔母とY姉を誘って、最新技術の光のお祭りに行って来ました。

Y姉と娘イルミネーション好き。
Y叔母と私、そんなでもない人(^^;

以下、「そんなでもない人」によるレポートです(^^;











ものすごい人出。
他にも様々な光の演出が見られるというお城の内部までは1時間以上待ち、ということが、「そこまで行ってから」わかり、
入るのを断念せざるを得なかったばかりか、
夜のお城の石段は、お年寄りにはきつかった(-_-)

Y叔母、85歳、膝痛持ち、
Y姉、74歳、少し目が悪い。

ただでさえ、元々敵からの奇襲を避けるために「上がりにくく」作っている古城の石段。
古びたり、あちこち補修をしてつぎはぎだらけになっている上に、
手すりなし、貸出用の杖は一番最初の階段の上り口で気づかなければ後からの調達は不可能。
イルミネーションを際立たせるために周囲の照明は抑えてあるのに、
そのイルミネーションを投影するためのライトは足元で強烈な光を点滅させている…。

にわかに最新の光の祭典の会場に仕立てられたお城でのイベントは、
やや「若いもん」目線で終わっている気もしましたよ(-_-)

叔母たちの他にも、杖をついてよろよろと、
やっとのことで上へと上がって来たお年寄りが、
「こりゃーきつい」
「私らもここに上がるのはこれが最後やろう」
などと随所で…(^_^;


まあ、行ける日がもう昨日しかなかったのが、
三連休の土曜に重なってしまって大変だったというのもあるのですが、
「見たか見てないか」で言うと、「見た」と言える話のタネにはなりました(^^)
(にしては入場料1500円は高い!)
コメント

とろみがつかなかったシチュー、からのホワイトソース

2018-12-18 07:18:42 | 料理レシピ・保存食の記録
ホワイトソースを久しぶりに作りました。



なぜ久しぶりか。

シチュー、グラタンはそこそこの頻度で作るのですが、
昨今は専ら時短レシピで作っているからです。
つまり、わざわざホワイトソースを作っておいてからそれを使うのではなくて、
具材をバターで炒めたところに小麦粉を振り入れ、牛乳なり豆乳なりを注いで混ぜる、と。

このやり方を、かなり以前(20年前くらい)に自分で考え出して使っているところへ、
テレビの料理の先生が、
「簡単かつ失敗しないやり方」ということで紹介していて、
「わ、真似された!」と思いました。

(いや、結局そこそこ誰でも思いつくくらいのもの、ってことですね(^^;)

まあとにかく、
別に作るのが面倒なホワイトソースをわざわざ別に作ったわけは、
昨日のシチューが、煮込んでいる途中なぜかどうしてもとろみがつかず、ベシャベシャになったから^_^;

シチューを作るとき、同じ分量のバター、小麦粉を使ったとしても、なぜかこうなることがあります。
入れる具材の、ただ水分が多かったという理由ではなく、何かと何かが化学反応を起こして??とろみを分解している、気さえする。

いや、料理研究家でもなければ化学者でもないので感覚で言っているだけですが、
それくらい、「なぜか今日は呪われたようにとろみがダメ」って時があります(^^;)

昨日がそんなふうだったので、
途中で慌ててホワイトソースを作り足して入れた、というわけです。
(それでもなんだかイマイチでしたが^_^;)

ホワイトソース、ダマになるので難しい、と言われますが、
なぜか私はこれは得意。
腕は衰えていなかった(^^)

そしてもちろん、
どうせ作るなら今後利用できる分もまとめて作って冷凍しました。

こういうものの冷凍には、私は専らセリアのこの4分割タッパーです↓


残ったトマト缶も、たまにちゃんと取っただし汁も、2、3尾ずつ冷凍したいえびなども。

そこそこ凍ったところで、パリッと出して保存袋に移すとかさばらず。

かつてY叔母にも教えてあげたら、叔母もこれなしでは保存関係回らない、くらいに活用しているようです(^^)
コメント

「時間がかかる問題=難しい問題」ではない

2018-12-14 08:50:16 | テストに関する覚え書き
某社会のテストにて。

問題文中の空所に適語を補う問題。
空所は全部で20箇所ほど。
選択肢の語群(全部で30項目以上)が下にあるのですが、

・その個々の選択肢には、番号や記号が何もふられていない。

しかも、例えば50と100、など、
文脈的には可能な、生徒に正しく選ばせるための複数の選択肢がある場合、

・その2つ(またはそれ以上)の選択肢が、わざわざ離れた場所にアトランダムに散りばめられている。


何が起こるかと言うと、
生徒がだいたい頭の中に描いている答えを選んで書き込もうとした時、
「それを探すのに時間がかかる」。
頭がクラクラしそう(-_-)

それで正解できるのが「学力」なのだとか、
そういうふうに生徒を手間取らせるだけのものが「難しい(良い)」テストだと思っているのはとんでもないカン違いだと思います。

テストは、客観性があり、妥当性があり、測ろうとする学力なり知識が、なるべくシンプルに、でも正確に測れるものでないといけません。
作った人の独りよがりで妥当でない設問があったりしては、別の要素が入り込む余地ができたりして(この場合は、複雑な選択肢の見極めに無意味に時間がかかり、他の問題を考える時間が取られる、など。)、測ろうとするものがきちんと測れなくなる可能性が。
テストというもの自体が、教員や学校が、「テストを受けさせるぞ」という権威を振りかざしているだけの無意味な作業にさえなりかねません。

生徒が、「テストが難しかった」と言う場合、
本人の勉強や学力が足りずに言っている場合も多々ありますが、
「テストそのものが不必要に複雑な構造」だったり、「設問が理不尽」なために、(賢い)生徒の方が却って惑わされて答えに到達できないような場合もないとは言えません。
それは教員側が脚力回避する努力をしなければならない点です。


そのテストを作ったご本人(今年度から来たそこそこ年配の教員)が後で話しているのが偶然耳に入って来ました。

「いやー、生徒たちは、思ったより最後まで粘り強く解いていて感心しましたよー‼︎」

いや、申し訳ないけど生徒のほとんどは、
「選択肢の場所を探す」のに時間がかかっていただけで、
その時間の全てが実のある活発な「思考」や「学習活動」に費やされていたわけではない、と思いますよ…。
(言わないけど(^^;)


☆——————————————☆

選択肢は、作成者の人為的な意図と、テストを受ける側の余計な手間を排除するために、

・番号や記号がきちんとふられ、

・あいうえお順やアルファベット順などの客観的な順番で並んでいる

ことが望ましいです。

・1つの問題の中で、やたらと空所が多く、同時に考慮する必要がある選択肢の数が多すぎる

のもどうか、というところだと思います。
コメント

テスト論と他人の作ったテストについて

2018-12-14 08:32:45 | テストに関する覚え書き
テストを作る時、その教科に特化した留意点というのももちろんありますが、
それ以前に、テストというものの存在意義を考えると外してはならない、「キモ」のようなことが存在します。

それは、一言で言うと、
「測ろうとしている能力をきちんと測れるものか」
ということになると思います。

そのためにはテストの問題はまず、作成者の個人的な感覚に拠るものでなく、誰が見ても客観的で、理にかなっている必要が。
設問は明確でないといけないし、非論理的で分かりづらい形式や表現は避けなければいけない。
不必要な問題があるのも良くない。
とても細かいことを言えば、「誤字」さえあってもいけない。
その訳は、テストという、普通に考えれば「権威あるもの」の中に間違いがあると、
受ける人の側に「このテストは自分の知識や能力を実はきちんと測ってくれてはいないのではないか」という疑念を引き起こしてしまい、そうすると受験者の注意が逸らされたり、やる気が削がれたりして、正しい結果が得られないから、だそうです。

かと言って、作るのは人間です。
どうしても自分の主観や思い込みが入り込んだりして、
複数の第三者が見た時、その人たちの思考過程に同等の作用を及ぼすことができて、同じ条件下でその知識や能力の程度を、回答という具体的な形で(なるべく)正しく導き出すに至るかどうか、は、実はたぶんとても難しい。


テスト論はとても奥が深い分野です。
少なくとも私にとっては、あまりに畏れ多く本格的に取り組むことさえ憚られる気さえするものです^_^;
そして私は今のところ、現場で個人でそれと格闘しているという域を出ませんが、
その中で個々の事例から気づいたり再確認することは、とりあえず書き留めてはおかなければ、と思っています。


他の教員が作ったテストを見ることは、
ともすれば独りよがりに陥りやすい自分の作るテストを客観的に見ることにつながります。

しかし学校現場では、自分たちの作ったテストを大々的に見せ合って、その妥当性についてきちんと議論したり、もちろん批判したり(良い意味でも)などということにはなかなかならないのが実情ではないかと思います。

同じ授業を複数の教員で担当していて、進度や出題範囲を合わせるなどの必要がある場合には話は別でしょうが、
しかし少子化の現代(?)。
学年、コース、クラスなどの人数によっては、1つの授業やテスト作成が完全に、ベテラン、新卒を問わず1人の教員の裁量に任されていて、第三者の目が入る余地なく終わっていることも多いのでは…。
(あくまでもこれは、最近の自分の周囲の感触から言っています。そうではないきちんとした取り組みをされている学校、先生方ももちろん多いことだと思います。)


ですから、他人のものを盗み見するようで少し後ろめたさは感じるものの(^^;、
試験期間の前後、自分の教科以外であっても他の教員の作ったテストを目にする機会があるのはとても参考になることです。
そのことが自分の作るテストを客観的な目で検証し直すことにつながり、生徒へのフィードバックとなることを肝に銘じながら、
気づいたことを書き留めています。
コメント

仕事の最中の…

2018-12-10 06:38:44 | 旅行・お出かけ
昨日は2学期も佳境の仕事の最中、
娘の関係もあって少しお出かけ^_^

こんなお天気でしたが↓


こんな平和な場所の↓お祭り^_^


こんなものを食べ↓






こんな人?に会い(笑)↓


このお祭りをサポートする大学生とオバちゃんよろしくお話ししたり、

お土産は↓




帰りにたまたま、もう今年はとっくに終わっているとばかり思っていたコスモス畑





コメント

「ほめちぎる」、「ほめそやす」

2018-12-02 07:43:36 | 英語教育・言葉に関する覚え書き
授業中にやっていた英文教材の内容に関係して、
「ほめちぎる」という言葉が問題になったことがありました。

すると、「それどういう意味ですか?」
と聞く生徒、
聞かないまでもポカンとしている者。
(複合語になると途端に苦手^_^;)

「それは『食いちぎる』とおんなじですか?」
と言い出すやつ(ー ー;)
そうかそっちの語彙なら入っているのか。

たしかに「ちぎる」の部分はどっちも元は「千切る」だろうけど、
物理的に噛んで切り離すのと、
これ以上ないほどにまでほめるというのとでは、
ちょっと意味が違うわな。

「ほめちぎる」を何となくわからせた(?)ところで、

「似たようなので『ほめそやす』というのもあるけどね」、

と水を向けてみたところ、
それを知っている生徒はいませんでした。
でもまあこれは、日常会話で使う表現でもないだろうから、
今の生徒が知らなくても仕方のない域かも。


しかしこれにはその後の話がありました。

職員室に帰って隣の大御所M先生(国語)にそれを報告していた私。

すると、私たちの話をもれ聞いたらしい別の先輩教員(他県出身、60代)が、

「いや僕それわかりません。方言はほんっとに難しいです!」

と力強く全否定。


いやいや先生、「ほめそやす」は方言じゃなくてれっきとした標準語…(._.)
(↑一応、心の中での声。)

その局面にどう対処するべきか私が迷っていたとき、
チャイムが鳴って、そこで話が中断されたのはこれ幸い(^_^;)

因みに、私も後から調べて知りましたが、
「そやす」は、漢字では「称す」のようです(^^)
コメント

英語と日本語の狭間〜常体と敬体の問題〜

2018-12-01 23:20:47 | 英語教育・言葉に関する覚え書き
彼女は英語を勉強していると言いました。

この日本語についての同僚カナダ人の疑問には、
実のところ「敬体/常体」の問題も関わっていたことをここに書き留めておきます。


つまり、整理のためにしつこく書き抜くことにすると(^^;)、
日本語の「書きことば」では、

1. 彼女は「英語を勉強しています。」と言いました。(直接話法/体/体)

2. 彼女は「英語を勉強しています。」と言った。(直接話法/体/体)

3. 彼女は「英語を勉強している。」と言いました。(直接話法/体/体)

4. 彼女は「英語を勉強している。」と言った。(直接話法/体/体)

5. 彼女は英語を勉強していると言いました。(間接話法/体/体)

6. 彼女は英語を勉強していると言った。(間接話法/体/体)

ここまでは全て◯だけれど、


7. 彼女は英語を勉強していますと言いました。
8. 彼女は英語を勉強していますと言った。
(どちらも、間接話法で下線部が体。)

は、厳密な書きことばとしてはたぶん×。

ただし、7、8は、話しことばとして音だけ聞くと1、2と同じになって区別がつかないので、
このへんも彼を悩ませたようでした。


つまり日本語では、

「間接話法の従属節の内部では敬体は使わない」

という括りになろうかと思うのですが、
果たしてこう言い切って良いものかどうか、
またこういう言い方で正しいのか、
日本語教師でもなく国語教師でもない私は自信がありません(^^;)

もっと言えば、
さて日本語文法で「従属節」という言い方があったかどうかというところから自信がありませんヽ(;▽;)ノ
コメント

時制の一致・逆バージョン!

2018-12-01 19:01:16 | 英語教育・言葉に関する覚え書き
英語に「時制の一致」という規則があります。

主節の動詞が「過去時制」のとき、従属節の中の動詞は、主節の動詞のその「過去」を基準にして過去形(またはそれより前を表す形)にシフトさせる必要がある、

というようなことです。

人の言った内容を、例えば日本語だと「かぎかっこ」付きで「直接引用」して別の人に伝えるのか、
あるいは、「◯◯さんはこう言ったよ」という「伝聞」のような形で伝えるのか、の違い(直接話法と間接話法と言います)の時に問題になることが多いです。

例を挙げると、

A: She said, "I'm very busy."
彼女は、「(私は)とても忙しい。」と言った。

という直接話法の文を、

B: She said that she was very busy.
彼女は(自分が)とても忙しいと言った。

という間接話法の文に書き換える場合です。

(注: 私は、自分が、の部分をかっこに入れてあるのは、日本語では何度も主語を繰り返さないのが普通なためです。)



Aの文で、
She said, "I'm very busy."

主節の動詞は「過去形」、
引用部分の動詞は「現在形」(その人が発した言葉そのままだから。)

対してBでは、
She said that she was very busy.

主節の動詞は「過去形」、
従属節の動詞も「過去形」(「彼女が言った」という、過去の時点での事実だと考えて。)


このコンセプトを生徒に教え込むために、世の英語教員は苦労するわけですが、

さてその反対を論理立って説明しなければならない時が来たのは、
英語教師になって初めてだったかも(^_^;)

そもそも、
「日本語には、英語のような時制の一致の規則は『ない』と断言して良い」
かどうかを、
私はこれまで考えたことがなかったです(-_-)
(ま、日本語教師ではないので…^_^;)

発端はもちろん、
職場の、その語学能力の高い外国人講師です(^^;)

昨日彼から、

彼女は英語を勉強していると言いました。

という日本語の文について、彼女はいったいいつ英語を勉強しているのか、
というような質問を受けました。

彼の疑問の核心のところを理解するまでが長かったのですが(日本語教師じゃないので^_^;)、

英語と照らして考えると、
もしそれを英語で書くとすると、

直接話法では:
She said "I'm studying English."、

間接話法では:
She said that she was studying English.

の2通りの書き方が可能だろうけれども、
元の日本語も、実は直接話法と間接話法との両方での表現が可能、ということをまず説明することになりました。
彼はそもそもその、日本語にも直接話法があるということにピンと来ていなかったようです。

日本語では、

直接話法:
彼女は、「(私は)英語を勉強している。」と言いました

間接話法:
彼女は(自分が)英語を勉強している言いました

で、直接引用しようと、話者の言葉として言い直そうと、「している」の部分の時制は「現在形」のまま。
わざわざそこを、「していた」とすれば、
それは彼の言語では、

She said, "I was studying English."
または、
She said that she had been studying English.
ということになり、

緑の部分は「過去より前の過去(=過去完了)」を表すので、伝えたい事実が変わって来ます。


実は私のような文系感覚人間には、
そもそもこういうことを即座に把握して論理立って説明するのはとても難しいです(^^;)
ましてこれまでは、日本語の視点から英語文法を教えているだけだったのが、
英語視点の人から見たときの日本語文法を英語で説明しろとは、
これはまあほぼ反対方向の図式であり、
英語が母語ではない身にいきなり、は、
実際問題かなり無理なことではないでしょーか?(^^;)
(まあ、これは、海外で英語を使って教えていらっしゃる日本語教師の方はやっていらっしゃること、あるいはやるべきことではないかと思います。とすると、現在実は公の資格としては存在していない日本語教師というものは、日本語話者なら誰でもなれるものでは到底なく、実際にはかなりのスキルを必要とすることでしょう。)

というような具合で、
かなりのすったもんだというか、
もうここでは書ききれないくらいのあれこれのあった後に、

「彼女が英語を勉強している」のは、彼女がそれを言った「過去の時点」での話だと考えるのが妥当である、というのを確認した上で、

最終的に何とか、

「そーか日本語では動詞の部分を全部過去形にしなくても良いのか💡」

という、とても単純なところにカナダ人を導いた私でした。

もう、ゼイゼイヽ(;▽;)ノ

いや、ここまで読んで下さった方こそゼイゼイ( ;´Д`)でしょう…。

申し訳ありません…(*゚▽゚)ノ
コメント