大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

武侯祠その壱 漢昭烈廟と武侯祠

2017年11月12日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

中国名勝辞典によれば、成都の武侯祠は、西晋末期、十六国の成漢(304〜347年)の
李雄が、諸葛亮を記念して少城内に創建したのが始まりで、後に現在地、昭烈廟の隣に
移されたそうだ。

明代初期に武侯祠は昭烈廟に併合されたので、大門の額は「漢昭烈廟」になっている。
現存の殿宇は清の康煕11(1672)年のものらしいが、昭烈廟に吸収されてしまっても
人々は武侯祠と呼び続け、現在、昭烈廟ではなく武侯祠と呼ばれている。

▼現在の武侯祠地図。赤枠の部分が昔の武侯祠エリア

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門前の牆壁

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門

▼漢昭烈廟大門左手の壁面に「武侯祠」と記されている

武侯祠の入場料は60元(約960円)。
劉備の廟に併合されていても武侯祠と呼ばれ続けているなんて、当の本人は
恐縮していることだろう(笑)。 

 ▼武侯祠入場券は諸葛亮像のアップ

大門を入って、二門まで結構距離がある。 
昭烈廟の金ピカ劉備像は遠くからでも目立っている。 

▼二門

 二門をくぐると、その正面に漢昭烈廟、この道の左右に主な武将、文臣を祀った
武将廊と文臣廊がある。

▼昭烈廟の金ピカ劉備像

▼昔から同じようにライトアップされていた



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