父の退院騒動の顛末・・・
弟と 病棟の看護師長さんのご尽力で
何とか 26日まで病院にいることが出来るようになりました。
電話で聞いたときほっとしました。
老健の方からも「入所準備出来た」と連絡があり
26日には病院におむかえにうかがいますと・・・
よかった~~・・・
どうしてあんな風になったのか まるで伝言ゲームのように
少しずつ内容が変わっていって 最後はまったく逆のように
なって伝わった感じです
まぁ 最後にはちょうど良いくらいに収まってよかった 良かった。
これから先 こんな様なことが 多々起きてくるのだろうな~~~
1つ前の記事を見て、ハラハラしていました。
そして、私が19歳の時の事を思い出しました。
当時大阪にいた私が19歳の冬、
珍しく大阪でも雪が降った日の夜、実家から電話がかかってきました。
祖父が危篤だという知らせでした。
「アンタはどうせ間に合わないだろうから、来なくてよい」
という言葉にショックを受け、なんとか行きたいと思ったのですが、
既に電車もない深夜・・・
それでも友人に車を出して貰って岐阜に向かったけれど、
滋賀県辺りで通行止めの為、どうしても山を超えられなかったー
そして、
もしコレが祖父ではなく、両親だったら・・・
と思うと、ぞっとしました。
この時、いつか必ず地元に帰る!と決心したことを覚えています。
(その後4年は帰りませんでしたがー)
両親が遠方だと、本当に心配ですよね。
ちゃーママさん、頑張れ!
今回の手術は 年齢も年齢ですから 何かあったらと
近しい親類には電話をいれました。
大丈夫だと思ってても それくらい心配しました。
病院関係ではなんだか 歯がゆいことばかりで
まもなく老健にいけるのでほっとしています。
kokiyuさんは お爺様の旅立ちに 間に合うことが
出来なくて悲しい思いをされたのですね。
私は 遠くにいることもあってある程度覚悟は
していても・・・
実際のところしっかりしていられるかどうか
自信はありません。
今できることを ちゃんとやって 悔いが
残ると言うことが少しでもすくなくなるようにと
思っています。
頑張ります・・できることを。