![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0d/0ea0f67ea5d8291741675256b595aaf4.jpg)
ドイツ連邦議会議事堂を見学した後、
ブランデンブルグ門からポツダム広場にかけて歩いてみました。
まさにベルリンを象徴する徒歩コースです。
東西ベルリンの壁、二重構造間に挟まれて位置していたこの門は
壁が存在した28年間、誰も通ることが出来なかった。
そういえばブランデンブルグ門の辺りだけ何故か壁が低く
(門がよく見える様に?)なっていたという記事を読んだ記憶があります。
↓ポストカードより、鉄条網で往来を遮断されたブランデンブルグ門。
中央に有名な「注意!西ベルリンはここまでです!」の立て札。
つまり「ここを越えたら命さえ保証しない」という意味でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f4/04b58430acf4a38b051e0148c2749962.jpg)
↓テッペンのカドリガ。カッコイイです。
ナポレオンが持って帰りたくなるワケよね。
どのような経緯でベルリンに戻ったのか、まだ勉強不足。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e5/af554b1158eb8d96bf6354f21cfd1cad.jpg)
ここはベルリンを象徴する1番の「観光名所」です。
たった20年前に東西がにらみ合っていたとは思えない光景に出会います。
観光客を相手にアメリカ兵とソ連兵が仲良く肩を並べる。
ドイツの首都の真ん中で。
記念撮影の前にアメリカ兵のお兄さんに(っていうか、多分バイト
)
「帽子を選んで」といわれ 何の迷いもなくアメリカの軍帽を選んだこの女性、
アメリカの方だろうか。
いや....どんなに時代が変わっても、私には無理だ。
南京で日本軍の帽子をかぶって記念撮影することが出来るだろうか?
真珠湾でピースサインをして記念撮影することが出来るだろうか?
ヒロシマやナガサキでこんなことされたらどう思うだろうか?
「観光の目玉」とはいえ、ココは「ドイツ統一の象徴」で
主役はベルリン市民であってほしい、どこかの軍隊ではなく。
ただ言えるのは、今が 当時よりずっと平和だってこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6b/90685ad375b03792d783e1bdcc6ee803.jpg)
すぐそばで 道路にブロックで示されているベルリンの壁跡。
そこに暮らす人々の都合なんておかまいなしに
不自然な線を描いてブランデンブルグ門へと続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d9/e92ec04f5c62a166e63ffd1509c89ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/78/d4c486c284efe26cbebfcda594ac7dc1.jpg)
↓コチラは日を改めて撮りにきたブランデンブルグ門、
ライトアップ☆バージョン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/061b6b98c614f8a231529574f52e935c.jpg)
これで21時過ぎかな。
22時近くなるともっと暗くなりますが この辺りの人通りは絶えませんでした。
ナイトスポットに興味のナイ私が 旅先でこんな時間まで出歩くのは異例ですが
宿泊先までのアクセスが非常に良く 暗い道、人通りが少ない所がなかったので
安心して出掛けることが出来ました。
ブランデンブルグ門周辺のお土産物屋さん、この時間まで開いていました。
ブランデンブルグ門からEbertstr.を南下して100メートルほどで
ユダヤ人犠牲者慰霊碑が現れます。
凸凹した地面に 高さが変化する黒いブロックが整然と並べられています。
その数、2711個。
国籍を問わず、多くの人がこの光景を見た瞬間に連想するものは
同じではないでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c5/2daeb85d3a55b22eb0c592d7d2bcfed2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b0/e641597c6cb125c4c6cefbfd5311c708.jpg)
中に向かって歩き始めるとブロックの高さが身長を超えていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/54/4c6bca5cdad09e2464c2264f89740f0a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/fbd1c7c1ec0d14788eb78a13302daafa.jpg)
遠くの方で人影がチラッと見えたり 目の前を急に人が横切ったり。
ブロック塀の圧迫感からか、迷いこんだ様な 不安な気持ちになります。
「訪れる人の心に残る メッセージ性の強い慰霊碑を」
というコンセプトが見事に成功していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/48/494b0eafd4e0cb3cfc756763c5cf89e5.jpg)
「広大な敷地面積」だとよく書かれていたので
どれほど広大なのかとGoogle Earthで見てみました。
連邦議事堂がすっぽり入ってしまう程の面積です。
年齢を重ねると一個人でさえ自分の過ちを認めるのが困難になります。
しかしこの60年余りの間に、
ドイツはたくさんのユダヤ人犠牲者への慰霊碑を建設してきました。
国家がそれをしているのです。
日本が国会議事堂の前に
他のアジアの国々に対する慰霊碑を作れなかったことを思うと
それが精神的にもどれだけ大変な難しい事であったか 考えざるをえません。
ブランデンブルグ門からポツダム広場にかけて歩いてみました。
まさにベルリンを象徴する徒歩コースです。
東西ベルリンの壁、二重構造間に挟まれて位置していたこの門は
壁が存在した28年間、誰も通ることが出来なかった。
そういえばブランデンブルグ門の辺りだけ何故か壁が低く
(門がよく見える様に?)なっていたという記事を読んだ記憶があります。
↓ポストカードより、鉄条網で往来を遮断されたブランデンブルグ門。
中央に有名な「注意!西ベルリンはここまでです!」の立て札。
つまり「ここを越えたら命さえ保証しない」という意味でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f4/04b58430acf4a38b051e0148c2749962.jpg)
↓テッペンのカドリガ。カッコイイです。
ナポレオンが持って帰りたくなるワケよね。
どのような経緯でベルリンに戻ったのか、まだ勉強不足。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e5/af554b1158eb8d96bf6354f21cfd1cad.jpg)
ここはベルリンを象徴する1番の「観光名所」です。
たった20年前に東西がにらみ合っていたとは思えない光景に出会います。
観光客を相手にアメリカ兵とソ連兵が仲良く肩を並べる。
ドイツの首都の真ん中で。
記念撮影の前にアメリカ兵のお兄さんに(っていうか、多分バイト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
「帽子を選んで」といわれ 何の迷いもなくアメリカの軍帽を選んだこの女性、
アメリカの方だろうか。
いや....どんなに時代が変わっても、私には無理だ。
南京で日本軍の帽子をかぶって記念撮影することが出来るだろうか?
真珠湾でピースサインをして記念撮影することが出来るだろうか?
ヒロシマやナガサキでこんなことされたらどう思うだろうか?
「観光の目玉」とはいえ、ココは「ドイツ統一の象徴」で
主役はベルリン市民であってほしい、どこかの軍隊ではなく。
ただ言えるのは、今が 当時よりずっと平和だってこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/6b/90685ad375b03792d783e1bdcc6ee803.jpg)
すぐそばで 道路にブロックで示されているベルリンの壁跡。
そこに暮らす人々の都合なんておかまいなしに
不自然な線を描いてブランデンブルグ門へと続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d9/e92ec04f5c62a166e63ffd1509c89ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/78/d4c486c284efe26cbebfcda594ac7dc1.jpg)
↓コチラは日を改めて撮りにきたブランデンブルグ門、
ライトアップ☆バージョン。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/62/061b6b98c614f8a231529574f52e935c.jpg)
これで21時過ぎかな。
22時近くなるともっと暗くなりますが この辺りの人通りは絶えませんでした。
ナイトスポットに興味のナイ私が 旅先でこんな時間まで出歩くのは異例ですが
宿泊先までのアクセスが非常に良く 暗い道、人通りが少ない所がなかったので
安心して出掛けることが出来ました。
ブランデンブルグ門周辺のお土産物屋さん、この時間まで開いていました。
ブランデンブルグ門からEbertstr.を南下して100メートルほどで
ユダヤ人犠牲者慰霊碑が現れます。
凸凹した地面に 高さが変化する黒いブロックが整然と並べられています。
その数、2711個。
国籍を問わず、多くの人がこの光景を見た瞬間に連想するものは
同じではないでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c5/2daeb85d3a55b22eb0c592d7d2bcfed2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b0/e641597c6cb125c4c6cefbfd5311c708.jpg)
中に向かって歩き始めるとブロックの高さが身長を超えていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/54/4c6bca5cdad09e2464c2264f89740f0a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d7/fbd1c7c1ec0d14788eb78a13302daafa.jpg)
遠くの方で人影がチラッと見えたり 目の前を急に人が横切ったり。
ブロック塀の圧迫感からか、迷いこんだ様な 不安な気持ちになります。
「訪れる人の心に残る メッセージ性の強い慰霊碑を」
というコンセプトが見事に成功していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/48/494b0eafd4e0cb3cfc756763c5cf89e5.jpg)
「広大な敷地面積」だとよく書かれていたので
どれほど広大なのかとGoogle Earthで見てみました。
連邦議事堂がすっぽり入ってしまう程の面積です。
年齢を重ねると一個人でさえ自分の過ちを認めるのが困難になります。
しかしこの60年余りの間に、
ドイツはたくさんのユダヤ人犠牲者への慰霊碑を建設してきました。
国家がそれをしているのです。
日本が国会議事堂の前に
他のアジアの国々に対する慰霊碑を作れなかったことを思うと
それが精神的にもどれだけ大変な難しい事であったか 考えざるをえません。
http://www.panorama-cities.net/berlin/hoarding_poster_5c.html
サワノさんのドイツ戦後の歩みと、日本のそれへのアナロジーへの視座はとっても大切なことです。
国と民族の誇り、名誉ある地位というものが、一体何によって担保されるかということですね。
すごく良いものを見せてもらいました。あなたの記事もすばらしいです。
http://www.stadtpanoramen.de/berlin/holocaust_mahnmal_5c.html
フルスクリーンで360度ですか!
しかもどんどん違う場所へ飛んでいけるんですねー。
こりゃぁもう現地に行かなくてもいいのでは?とさえ
思えてきちゃいますよね、笑。
以前 artisanさんの記事にもありました
NHKの「プロジェクトJAPAN」。
この第一回の放送の中で
ドイツの戦争は指導者が明確で
彼らを戦犯にかけたことで過去を切り離して考えられるのに対し
日本の戦争は指導者が集団的で曖昧だという様な内容の
インタビューがありました。
日本がなかなか大きな一歩を踏みだせないのは
いまだに国が集団で曖昧に引きずっているからでしょうか。
ベルリンに行って感じたモノが本当にたくさんありました。