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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

バウハウス

2008-07-16 | 木工・家具(全般)
工房通信 悠悠のバウハウス・デッサウ展の記事を読んで
東京芸大での期間中に行っておくことを決意したのは先月下旬。
多くのデザイン科の学生がそうである様に、
やはり私にとっても「デザイン」の入口はバウハウスだった気がする。
イギリスのA&C運動、ドイツの工作連盟、ユーゲントシュティール、
オランダのデ・ステイル、ロシア構成主義....
これらのデザイン運動の中からドイツ・ワイマールに誕生したバウハウスは
閉鎖して70年経つ今なお 私達に多大な影響を与えている。

どうしても芸大での期間中に行きたいと思ったのは 
東京美術学校(当時)がバウハウスに受けた影響を考察する
「東京美術学校とバウハウス」という関連企画があった為。
バウハウスに留学した水谷武彦は卒業後 
美校の建築科でバウハウスを初めとするヨーロッパの新しい芸術を伝える
(あの柳宗理も水谷武彦に影響を受けていった一人なのです)。
卒業制作に色濃い影響を残した岡百寿+吉村順三の作品が見られたことは
ココから「日本のモダンデザイン」が始まるかと思うと 本当に嬉しかった。
↓作品の写真は撮れませんでしたが ポスター撮ってきました。






冷やかし半分で参加した旅行説明会で配られたドイツ観光局発行のパンフレットには
バウハウスの歴史と功績を知るならデッサウへ!とある。
ヴァルター・グロピウス設計の有名な校舎(トップの写真のモデル)や、
教師陣たちが居住していたマイスターホイザーは全て見学可能。
驚いたのはデッサウ校舎(学生寮だった棟らしい)の一部が宿舎として提供されていること。
ベット以外はバウハウス復刻プロダクツ。しかも一泊25ユーロ!
お問い合わせは直接バウハウスへ だって!
Stiffung Bauhaus Dessau Besucherdienst
Fax +49(0)340 6508 226
e-mail:besuch@bauhaus-dessau.de
デッサウ校舎に宿泊できるなんてこのパンフ見るまで知らなかった....。
古い情報だったらゴメンナサイ
そして何かご存知の方は是非 教えて下さい!




その他、
ベルリンにはグロピウスの設計をもとに建てられたバウハウス展示館があり
クレーやカンディンスキーの作品の他、建築模型やポスターが展示されている。
ワイマールにはバウハウス博物館、バウハウス大学、
実験住宅ハウス・アム・ホルン、テンペルヘレンハウスなどがある。



うううううんんーーーーー、ドイツか。
いいな ドイツも




制作のカタチ

2008-06-29 | 木工・家具(全般)
ワケあって(と言う程のワケもナイのですが)
高山の職業訓練校に二度入学しました
Mさんは一度目の時のクラスメイト。
あれから10年。
Yちゃんが福井からはるばる静岡にやってくると聞いたので
私も一緒に新築のM邸におジャマさせていただくことになった!



いやぁもう、そりゃステキなおうちでビックリ!
トップの写真はリビング、ミズメザクラのソファ。
上の写真はメープルのTVボード。
質の高い空間は抜群に居心地が良い。
居心地の良さはMさんの作る家具の存在でもあると思う。
例えばダイニングの椅子に座って椅子を直す瞬間に
普通の椅子より大きく面取りされた座面裏に気付く。
重ねていろんなお話を聞いているうちに
「思いやりのある家具」ってこういうことじゃないかな、と感じた。
きっとこの方の視野は木工や家具だけに留まらない。
居心地、良いわけだ。



そんなMさんの快挙デス!
朝日新聞主催の第6回 暮らしの中の木の椅子展で優秀賞に選ばれたんです!
この椅子のホースリールな裏話も聞いていたし(笑) 
いつもお世話になりっぱなしの職人さんもちゃんと入選しているので
かなり久し振りのOZONEに行ってみました。
なんだか私まで誇らしい気分←かなり勘違い。
お二人の椅子の座り心地を確かめる人を遠巻きに見ながら
嬉しい気持ちでいっぱいの展示会でした。




上野のバウハウス・デッサウ展、新宿の暮らしの中の木の椅子展のあと、
少し足を伸ばして吉祥寺のユザワヤまで行ってみました。
大学の時の同級生がここのレンタルボックスに作品を展示しているので
一度はのぞいてみたかったのデス。
彼女の作り出す「テンピヤ」を、私は卒業制作の頃から見ている。
悩みながら、ぶつかりながら、模索しながら、
それでもブレない意志を持つ彼女は とても強い人だと思う。
↓あまりにもカワイイので一個購入ホントかわいー




↑この、裁縫技術!
細か過ぎてびっくりする!
いつも優しい名前をつけるテンピヤさん、このコに名前はあるのかな?




そして!
届きましたよ!縫わなくても良い手拭い活用法!!
無精な私の為にアリガトウ!
気を使って折り込んでくれたのが良く分かる。
そうだなー。
展示会のチケットなんかを入れるとちょうど良い大きさなので
旅行に持って行って小さなメモや筆記具、
使用済みのチケット入れたらクールかな



でも更に驚いたのはコレ↓



アルミと真鍮の手作りボタン↑
モノを作ることは「ごはんを食べるコトのように大事」だという彼女は
ホンモノのクリエイターじゃないだろうか?
このボタンに刻まれた言葉の意味を 早くココで説明できる日が来るといいな。
いや、今年こそがんばって行こう「YUNO DEVICE」





木工家ウィーク 記念フォーラム

2008-06-11 | 木工・家具(全般)
木工家ウィークの期間中に行われた記念フォーラム
長大作さん、諸山正則さんをゲストに迎えた講演会に参加しました。



私が長大作さんの講演を初めて聞いたのは平成9年の夏。
当時の資料を見たら もう11年も前になる。
OZONEで開催されていた日本を代表するデザイナー
長大作さん、渡辺力さん、柳宗理さんによるそれぞれの新作椅子シリーズ展の
トークセッションに参加したのがそれ。
この新作椅子シリーズ展は
私がまだ美大の学生だった19の時
ある展示会がキッカケで関わる様になった家具屋の社長がプロデュースする企画展で
この頃聞いていた日本のモダンデザイン青春期は
デザイン飽和状態の時代をこれから駆け出そうとしている段階の私にとって
どこか羨ましいくらいの情熱を持っていた。
あの頃、三人並ぶと「まだまだ若手」のイメージだった長さんが 
今回の講演会では「大御所」だった。


写真:私と家具デザインとの出会いになった展示会(1995年 BC工房主催)。
   この展示会のセミナーにも長さんのお名前が。



坂倉準三は1930年代に渡仏してコルビジェの事務所に学んだ際
シャルロット・ペリアンと親交があった。
1940年の彼女の来日は坂倉準三の尽力が大きいとされている。
その後一年間で意欲的に日本中をまわり
「伝統・選択・創造(サブタイトルは「日本芸術との接触」)」展を開催する。
ここらへん→「リデザイン」 「モダニスト」



今回のフォーラムで何度か話にあがった
坂倉事務所で若き日の長さんが最初に関わる
竹材の籠をひっくり返して座と背にした低座椅子(1949年)に
私はシャルロット・ペリアンの存在を感じずにはいられなかった。
「伝統・選択・創造」展で彼女もまた竹材を用いてデザインをしている。
この二つの竹材の椅子が日本のモダンデザインとして成功したか否かではなく
単なるカタチにとらわれない 日本オリジナルを追求していくための
「創造は伝統の一部を形成する」というデザインの精神を継承する様に思えた。
なお、1960年に発表される長さんのベストセラー「低座椅子」は
この竹籠の椅子の流れをくんでいる。



また何度も話の中に登場した松村勝男さんのガマ椅子は↓
会場では写真がなかったのでココに来てくれる人にだけでも見てほしい。
お話にあった様に 戦後日本のローコストチェア代表。
これがまさに「構成力の強い品格ある直線的デザイン」

写真:「日本の木の椅子展」ポスターより

松村さんが手掛けた美しい家具を知るなら長大作さん監修の「松村勝男の家具」。
この本の見所は家具の写真だけではなく
ご本人による15Pに及ぶ「デザイナー巣立ち物語」で
今を生きる私達が誰でも手に取れる貴重な証言のひとつとなっている。
わずか17歳でシャルロット・ペリアンのデザインに衝撃を受けて
吉村順三さんと出会い、渡辺力さんと出会い、Qデザイナーズを立ち上げる。
建築家、インテリアデザイナーとあわせて
同時期の油絵画家やグラフィックデザイナーの名前もチラホラ。
この頃を知るには必読です。



この様な貴重な機会をくださった木工家の方々、
誘って頂いた工房悠の杉山さんに感謝デス。







木工家ウィーク2008 NAGOYA

2008-06-03 | 木工・家具(全般)
「木工家」という職業は一般的にどんなふうに見えるんだろう。

私が「木工家」というコトバを 
まだ聞き慣れない頃にイメージしたのは確か
無口で気難しい初老のオジサンが自分の信念を貫き
山にこもって たった一人で日々仕事に打ち込んでる感じ?



私が出会ってきた木工家(木好家を含む)さん達は
私の想像を超え それを覆す人達でした。
木工とは対極にあるような新しいモノゴトにアンテナを巡らせて
挑戦して自分に取り込み
そうかと思えば先人の知恵に学ぶことも怠らない。
本来は木工もデザインも美術も生活も
同じ様に知識を深めていくのが自然で当然なのかもしれませんが
私にはなかなかムズカシイので
木工家とは尊敬と憧れの対象でもあります。

およそ「木工家」とも「木好家」とも言い切れない私ですが
木工家ウィークというイベントに誘って頂きました。
詳しくはコチラ→木工家ウィーク2008 NAGOYA
ココを読んで頂ければ私の説明はいりません。
今日から始まってます。
木工家、及び木好家の皆様、今度の週末は NAGOYAへ行こう!
なかなか見出せなくても なかなか身にならなくても 張り切って行こう!



写真はオーストリア代表、トーネットの曲木椅子制作風景。
王宮家具博物館にて撮影。




「スウェーデンで家具職人になる!」

2008-05-28 | 木工・家具(全般)
「スウェーデンで家具職人になる!」
って、いえ、私じゃなくて。


ブックマークしている「ジャパンデザインネット」にも連載をしている
須藤生(すとう いくる)さんの本が発売されていました。
たまたま立ち寄った本屋さんで購入!
まだ読破できていませんが
とにかく一刻も早くお知らせしよう!と思って載せました。

ステキな本です。
スウェーデンの家具製作学校に留学し 技術を学んだ須藤さんが
職人試験に合格するまでのレポートです。
その合間に書かれる須藤さんの木工という職業や作品に対する考え方などは
大きく頷きながら読んでいます。
何をするにも「コンセプト」を書かされていた美大と
職業訓練としての木工を学んび 仕事としての木工に追われる私は
こんなモノ作りをした経験があまりないのかもしれない。

この本がステキだと思った理由は
知り尽くしたヒトが書いた教科書ではないこと。
須藤さんの丁寧な解説は とても分かりやすく
読み手も一緒になって一歩一歩前へ進んでいけるような気持ち。
人柄が出ている(ような気がする)と思います。
拾い読みですが 木工を学ぶ学校と言えど美術実習があって
日本では完全に線引きされているのに
クロッキーや彫塑、色彩構成やスケッチがあるのに驚きました。
それからご自身が撮ったと思われる写真の美しさ。
一枚一枚の構図がカッコイイし材料や家具の細部がキレイ。
ただの資料撮影ではなく、ちゃんと考えて撮られていることに気付く。
ああ、こういう写真の取り方、とても好きです。


「スウェーデンで家具職人になる!」 須藤生著
早川書房 ¥1800+税


コレは必読!




家2

2007-07-21 | 木工・家具(全般)
ココより続き。

私が初めて静岡県内の家具メーカーで社会人になり
見たコトもない様な大きな機械とベテランさん達に囲まれて
仕事をこなすことだけに精一杯だったある時、
会社が「家具調仏壇」という新しい分野に挑戦し始めました。
教わったことを正確に手早くこなすという仕事内容から
(いえ、それがなかなか出来なかったんですけど
自分で判断し責任を持つという仕事内容に変わったのはその頃です。
それが理由で「家具調仏壇」は
数ある家具の中でも思い入れの強いモノになりました。


製作を依頼した点で恩師・先輩方にはお叱りを受けそうですが
静かに、サワノワールド炸裂の一品です。
親戚から仏壇屋さんまで好評いただきました。
任せてくれた家族、快く引き受けて下さった職人さん達、
協力してくれた先輩方、応援してくれた友人達、
関わって下さった全ての人に感謝します。
ありがとうございました



膳引き右隅に光るまぁるいモノは
「たまゆらりん」というおりんです。
仏具もりんも非常に多様化しているのを感じました。
仏壇屋さんのために作る仏壇ではなく
仏壇を必要としている人達が望むようなモノを
家具メーカーが生み出していける様になったらいいな




海外デザインリポート

2006-08-26 | 木工・家具(全般)
すごーく楽しい所を発見しました

ジャパンデザインネットというサイトの「海外リポート」です。
海外でデザイン関係の仕事をする方が
その国の文化や伝統は勿論、日本人としての海外での仕事の内容、
アートイベントや見本市、お気に入りのショップやカフェ、
美術館などについて 本当にキレイな写真で解りやすくリポートしています。
私も、こぉんな内容の濃いWeblogが書ければ良いのに!


スウェーデンに木工留学している方やドイツの家具職人さんのリポートもあり。
非常に興味深く楽しく拝見しました。
国内バージョンもあります。



ジャパンデザインネット/海外リポート




第一関門突破。

2006-08-01 | 木工・家具(全般)
京都本社の仏壇屋さんから なんと仏壇の依頼を受けました。
私が社会人になった5年程前から(あるいはもっと前?) 
静岡の家具屋さんでは次々と「家具調仏壇」というジャンルに挑戦し始めています。
「家具調仏壇」とは、従来の荘厳な装飾のきらびやかなイメージと違い
現代の日本人の生活習慣に合わせた小さめの寸法で シンプルな構造をしています。
唐木仏壇ならば 紫檀、黒檀、鉄刀木(テットウボクと書いてタガヤサンと読みます)、
金仏壇ならば 金箔の下には 檜、杉、松などを使う様ですが
家具調は実に様々で ナラ、タモ、カバ、チェリー、ニレ、
ウォールナットやメープルだって使います
安いモノになると最近では通信販売雑誌でもよく見掛けます。
静岡はもともと 徳島とともに唐木仏壇の二大伝統産地だった様ですね。

今日、私が製図した図面での打ち合わせがあり、手直しは数カ所の寸法のみで
ほぼイメージ通りの案が通りました!
扉にちょっと細工があり、カワイイ(?)仏壇が出来そうです。
細かい所はまだナイショ。詳細は作りながら報告していけると思います。
先方のお客さんに納得してもらわなければ オハナシにならないので
まずは第一関門突破、といった所でしょうか。

これから正式図面を描いた後 原寸模型を制作して詳細を確認、
その後やっと木工での試作になります。
まだまだ道のりは長そうです....。
出来る限りは現場での試作に関わって 最終的には漆塗装の職人さんにも
ご指導頂ければと思っています。
                   





椅子の写真

2006-07-29 | 木工・家具(全般)
先日、仕事の関係で「ナーシングチェア」なるものをネットで検索してみました。
ナーシングチェアのナースというのは[nurse/看護人]のことではなく
[a(wet)nurse/乳母]から来ている言葉で 
どうやらビクトリア時代の授乳用の椅子を意味する様です。


ネット利用は100人の部下を持つのと同じくらいの効力があると言いますが
このナーシングチェアを調べた時も 全国のアンティークショップの椅子の写真が
たくさん出てきて 具体的にどういった椅子なのかが一目で解りました。
たくさん出てくる写真を見て 
自分が学生の頃にあちこち歩き回って集めてきた写真を思い出しました。
あの頃の私にはネットなんて特殊な世界の話で 
私は自分で歩き回って資料探しをしていました。
学校や近くの公園の椅子から始まり、出掛ける時はカメラを持つ様になって 
デパートの椅子、美術館の椅子、レストランの椅子、ホテルの椅子、
宝石店の椅子の写真を撮らせてもらえる様に交渉に入った事や
(後日 ある雑誌に掲載されていました!)
友達が出掛けた先や旅先で見つけた椅子の写真を送ってくれる事もありました。
(今でも感謝!)

3週間程旅したイギリスの写真を見た家族に
「椅子の写真ばかりでつまらない。風景の写真はないの?」
と言われるくらい、どこに行っても資料集めをしていました。


当時 イギリスで撮ってきた写真。


それを考えると、文字入力してクリックするだけで
山の様な資料が得られるネット効力には ただただ恐れ入るばかり。
ネット検索で出てくる膨大な写真を見ながら思わず、
私が歩き回っていた事って何?と思ってしまいました、
勿論、かけがえのない資料には変わりはないのですが






今日 本屋さんで購入したのは小泉和子さんの「西洋家具ものがたり」
(河出書房新社 ¥1575)
この西洋家具ものがたりは よくある西洋の家具のお話ではなく、
近代日本がどのように洋家具を取り入れてきたかが書かれています。
日本の家具の歴史を辿っていこうとすると必ずぶつかるこの人、
小泉和子さんといえば なんと私は出身大学が一緒です
でも彼女は女子美術大学を卒業後、東大の建築学科に行っていますけどネ
小泉さんの本を見て 愛知県の「明治村」まで写真を撮りに行ったこともありました。

膨大な資料をこの様な体系的にまとめた知識として自分の中に吸収していく事は
やはりネット検索では得られないでしょう。
まだまだ歩き回らなければ、と思う今日この頃、でした。




モダニスト

2006-01-27 | 木工・家具(全般)
さて、日本の産業工芸を指導してもらう為に 日本政府が
シャルロット・ペリアンを招いたのが1940年。
彼女は わずか1年で日本中を旅行して文化を知り、材料を学び
1941年 高島屋において展覧会を開いてしまいます。
その旅行の案内役が 若き日の柳宗理氏でした。

この人は 言わずと知れたスゴイ人です。
何を以てスゴイと言えるのか?
それは デザインを考える為の粘土細工に使うヘラを
人間国宝 黒田辰秋の小箱にしまえるほど。
普通の人であれば、家に人間国宝の美術品があったとしても 
おそらく 粘土のヘラはしまえません 笑。
つまり、普段の生活の中で親しんでいる 
日常の「道具」のレベルが高いのでしょう。
ここでは決して 高級という意味ではありません。
そして父・宗悦氏のもとには 世界中から著名な建築家、デザイナーが訪れ
(私の知る限りでも、ブルーノ・タウト、ル・コルビジェ、シャルロット・ペリアン
ワルター・グロピウス、チャールズ&レイ・イームズ夫妻など。)
それを子供の頃から目の当たりにしてきたこと。



柳宗理。
父・宗悦氏は「民藝」という思想と言葉を創造した日本民藝館の創立者。
宗悦の考えだした民藝に「特殊な高級な芸術品よりも 
庶民の中から生まれた民藝品の方が健康的で美しい」という理論があります。
これは それまでの社会から遊離した芸術家、美術家をある程度軽視しています。
宗理氏はその軽蔑に反発し そこに飛び込んだのです。

現在の東京芸術大学 洋画科に在学中、
バウハウスで学び、帰国した水谷武彦らの講義を聴いて
「今までのアトリエから発信する純粋芸術ではなく
実生活に結びついた造形が必要。
特に科学技術を媒体とした新しい造形が起こるべき」
というバウハウスの思想に傾倒します。
「実生活に結びついた」と言う点では、
それまで反発してきた宗悦の民藝論と同じでした。
やがてバウハウスから
装飾を廃棄し「装飾なき装飾」という新たな地平に照準を合わせた
ル・コルビジェの思想に夢中になり
寝ても覚めてもコルビジェだった彼は、
フランスのコルビジェの研究室から帰国したばかりの坂倉準三氏を訪ね、
そこから 本を読む為に勉強していたフランス語の甲斐あって(?)
シャルロット・ペリアンの日本視察旅行に同行することになったのです。


写真中央が当時のペリアン&柳宗理氏 「工芸ニュース」より

ペリアンにはデザイン指導とは別に スキーの公演会の目的もありました。
日本のスキーの第一人者・・・と聞いた事もあります。
活発でパワフル、同行した13人の男性が誰も出来ないのに 
彼女はひらりとジャンプ・ターンして見せ、夜は旅館で枕投げに興じたらしい。
一方で 仕事には非常に厳しく、展覧会の前には2~3日の徹夜も平気、
関わる誰もが たじたじだったと言います。
戦前の話しです。当時の日本人男性の目に一体 どう写ったのでしょう!
1997年に私が柳宗理氏のトークセッションに参加した際にも彼女を
「デザインはもとより 人間としても最も影響を受けたデザイナー」
と語っていました。
戦争中は陸軍報道部宣伝班に所属して、
フィリピンのジャングルへもコルビジェの本を持って行ったというエピソード
(もうこれまでと思って土に埋めたとか)も話して下さいました。
こうして柳宗理氏は ペリアンに本格的なデザインを習いながら
彼女を通してコルビジェの考えとテクニックを習得して行ったのです。



勿論、このまま素直に
「戦後デザインのパイオニア」になっていくわけではありませんが
この先から現在までの、パイオニアとしての柳宗理氏は誰もご承知だと思います。
きっとデザインにおいても 
誰かに夢中になり、人と出会い、
そこから影響を受け、どこに飛び込んでゆくのか は、
その後の自分を左右する 非常に重要なことなのだと思います。








リ・デザイン

2006-01-23 | 木工・家具(全般)
家具にたずさわって行こうと決めた学生の頃、
「まず先人の仕事を知る様に」と大先輩から指導を受けました。
確かに当時の私は 美大でデザインを学びながら
過去の日本の家具デザインについての知識は
全くと言って良いほど ありませんでした。

最初に行ったのは大学の図書館で
自分が生まれる以前の家具雑誌からずっと歴史を辿りました。
それが なかなか楽しい仕事になり
毎日の様に先人達のデザイン論争に没頭していました。
そして「バウハウス 閉鎖した模様」の記事を見つけた時は
本当に歴史に立ち会ったかの様な衝撃を受けたりしました。

次に「日本で出版された本は全て所蔵されている」
と聞いていた霞ヶ関の国会図書館に行き、
係の方に 戦前からの家具雑誌を出してもらい
興味深い家具の記事を全てコピーして来ました。
私がコピーしてきた一番古い雑誌は1933年の記事です。
「独逸建築家ブルーノ・タウト氏は目下吾国に来朝中であるが、
工芸指導所の嘱託として招聴せられ、本邦工芸品の改善に就いて
熱心な援助を与えられた」
こんな難しい文章から始まります。



好きなデザイナーについて、時折聞かれる事がありますが
いろんなことを知れば知るほど 簡単には答えられません。
個人的な感情の混じってしまう方もいらっしゃいます。
その中で たった一人、強いて言うとするなら
シャルロット・ペリアンと答える様にしています。

シャルロット・ペリアンは 夫のピエール・ジャンヌレと共に
フランスの著名な建築家、ル・コルビジェの「最も理解ある恊働者」でした。
彼女らによる「シェーズ・ロング」という寝椅子は
現在 通販雑誌などでも販売されるほどすっかり私達に浸透しています。
彼女が初めて来日したのは二次大戦勃発の翌年、1940年。
遥か喜望峰を迂回して2ヶ月余り(!)の長旅で神戸港に入り
そこから電車で東京駅に到着したとあります。
大変な道のりです 泣。
ナチスによる首都パリの陥落を 船中で知った様です。 
彼女もまた、高島屋において行われた創作品展で
日本の工芸界に大きな影響を与えました。
その中で、日本に来る前に祖国フランスで発表している「シェーズ・ロング」を
スチールではなく 竹で再現したものがあります。
「実際に一般の人がどう使うかは考えていない。
竹でも木でもメタルでも 
もっと その物の性質を活用する事を考えて使ったらどうか と言う示唆に過ぎない」
「タウトが来て何か形を出すと(日本人は)其の儘、形をとって固まってしまう。
物の形を唯それだけ取るのだったら何にもなりません」
一度はスチールという素材で 完成品として世に送っているデザインを
日本の土地を知り、人を知り、工芸を知り 竹という素材で再びデザインする。
50年以上経ている彼女のリ・デザインに 当時の私の中で 何かが変わりました。



2003年、私はたった12時間(笑)でフランスに入国。
ルーブル美術館と同じルーブル宮の一角に 装飾芸術美術館があります。
そこでのお目当ては 勿論ペリアンのバンブー・シェーズ・ロング。
しかし どんなにどんなに探してもありませんでした。
仕方なく 係のお姉さんに片言の英語で聞いてみる事に・・・すると。
「おお!あのコね!!
ごめんなさいねー、他の美術館に出張してるわー!人気者なのよ♪
遠くから来てくれたのに 本当にごめんなさい!是非また来てね、待ってるわ♪」
・・・こうして私のカメラに
生バンブー・シェーズ・ロングをおさめる事が出来なかったが
・・・パリジェンヌなカワイイ彼女に免じて許す。






左:装飾芸術美術館のチケット
右:発表当時の「工芸ニュース」より

上:「CASA BRUTUS 世界の美術館パーマネントコレクション」より






デザイン・木工・家具

2006-01-21 | 木工・家具(全般)
仕事でも趣味でもある
「デザイン・木工・家具」について書こうと思います。
私の主な仕事は「特注家具の図面描き」です。


美術大学への進学を意識したのは小学2年生の頃。
単純な理由で、図工の評価が良かったからです。
それからは学科の成績を棚に上げ(結構ひどかったと思う・・・笑)
美大に進学する事が夢でした。

大学受験の際、入学を許可された大学は子供の頃からの憧れでした。 
説明会の際にお会いした先生、
(デッサンの先生です。最近知りましたが 
仕事で関わった関東の刺繍の先生が今、デザインを習いに行っている!)
新しい コンクリート打ちっぱなしの校舎、
校舎は移転したばかりで新しいけど 美術教育に関する長い歴史、
受験前に届いたクリスマスカードなどなどが
大変気に入っていて そこに通える事が本当に嬉しかったです。

芸術学部 デザイン科 プロダクトデザインコースに所属し
(現在では名称がかなり変わった様です)
基本的な平面、立体、空間を一通り学んだ後、
専攻コースではパッケージデザイン、家電デザイン、生活デザイン
などを学びました。

並行して ある家具屋さん主催の展示会にて
「あったらいいな」という家具のデザインを応募をした所、
声を掛けて頂き、お手伝い(ジャマだったかも知れません)に通う中で 
もっと家具について知りたいと思う様になっていきました。

大学を卒業して 飛騨高山の職業訓練校に進学しました。
当時は自分のまわりの先輩方から情報を得るのが精一杯で
高山の職業訓練校と、今は無くなってしまいましたが
松本の職業訓練校に見学に行き 先生や在学中の方にお話を聞きました。
高山行きはその中からの選択肢だったと思います。

大学も私にとっては特別な環境でしたが
高山の訓練校で出会った人達も 
志す木工とは別の専門分野を持っていて
同じ木工を学んでいても それぞれの強烈な(笑)カラーがあり
人の専門分野をついでに学んでしまえる空間でした。 




どんな職業も 最終的には「個人の人間性」だと思います。
ステップアップしていく環境の中で
何に興味を持ち、誰と出会い、どこに飛び込むかは
その後の自分を大きく変えていくと思います。
そして なりたい職業に就く為の道程は
決して1つではないと思います。
何かを得ようとする自分がある限り、
人生に回り道はないと思います。

そのために、なかなか出来る事ではないけれど
自分の世界を持った上で 別の世界を持っている人との出会いを
これからも大切にしていきたいです。




 
上:職業訓練校での課題 衝立
下:自作のスツール