★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

同志社女子大学☆新心寮の思い出

2010年01月12日 | 日記



1月10日に、「再び、学生寮が脚光を浴びている」記事を書きました。

今日は、私が大学時代4年間を過ごした学生寮をご紹介しますね☆
(ずいぶん古い話になりますが・・・

2008年の同窓会誌「Vain」(Vol.49)(表紙:上の写真)に、
私が入寮していた寮の記事&写真が載っていました。
私が入寮していた時よりも、さらに前の写真なので、
建物もちょっと違うのですが、面影があるので、
掲載します♪(↓)

新心寮をご存じの方は、きっと懐かしくてたまらないでしょう!!


<左↓>白い4階建の建物が「新心寮」(旧館)     <右↓>部屋でくつろぐ寮生
                                  (お茶の時間?)
      



私が入寮した時には、
この鉄筋コンクリート4階建ての寮の左側に、
「コの字型」に建物が建て増しされていて、
そこを「新心寮新館」と呼んでいました。

新館・旧館合わせて、
日本各地から、200名余りの学生が住んでいましたよ♪

実は、私の3歳下の妹が、
私が4年生の時に同じ大学に入学して来て、
新心寮の新館に入寮しました。
(私は旧館)

新館と旧館は、建物内は廊下でつながっているので、
いつも行き来していました♪
一緒の時は、1年間だけですが、
姉妹で一緒の寮にいて、幸せでした☆


「新心寮」の命名は、
聖書のローマ書十二章二節の
「心を新たにすることによって、造りかえられる」
との御言からつけられたそうです。

「キリスト教精神に基づき、人格の向上を目指す」
という建学の精神を設置目的に掲げられていました。

寮の部屋は、6畳の和室で、
3人がともに住みました。
上級生を「ママ」、真ん中を「セミママ」、
いちばん下級生を「ベビー」と呼び合っていました☆

次の部屋替え(半年後)までの期間、
ママが慣れない下級生のベビーにいろいろ教え、
みんなで助け合って、共同生活をしました。

起床は午前6時 ⇒ 食堂にて朝食。
朝の「お祈り」から寮生の生活は始まります。
・・・が、強制ではないので、
朝食の出席率は悪かったように思います(←三分の二位?)。

その後、講義やクラブ活動など、それぞれの生活をこなし、
入浴や夕食・・・
午後7時~9時までは、黙学時間で、
授業の予習・復習などをして静かに過ごします。
友達の部屋を訪問するなどは控えていました。

そして、午後9時からはみんなが大好きな時間・・・
「お茶の時間」です♪♪

ルームメイト3人で、
お茶を入れて、お菓子を食べながら談話するのです♪
18歳~22歳までの乙女なので、
いろいろな話題が尽きませんでした☆

門限は午後10時。

就寝・消灯は午後11時。
それ以降も勉強したい人は、黙学室に移動するか、
自室で、他の人に迷惑にならないように勉強しました。
(私には無関係ですけどね・・・笑)

外出して、門限に間に合わない場合は(←コンサートなど)、
前もって届け出れば(親の届け出?)、許可されていました。
外泊も許可があればOKです☆


親元を離れての寮生活は、
独り暮らしより、寂しくなくて、
楽しいことばかり!

日本各地から、さまざまな個性を持った学生たちが集まっていましたが、
「生活規定」に基づく暮らしを通して、
ともに生き、お互い助け合うことの大切さを学ぶ機会でもありました。

その時代の友人は、いまだに、親交のある人ばかりです。

3、4年前、妹と京都旅行をした際、新心寮を訪ねてみました。
出町~寮の裏門を入り・・・
「あれっ?」
新心寮はなくなり、「新心館」という建物に様変わり。

大学も、一部は、今出川キャンパス→田辺キャンパスに移り、
時代が変わったのね・・・と妹と話しました。

それでも、私たちの心の中に、
あの頃の思い出はたくさん詰まっています。

伝統ある大学で学問を学び、
家族的な雰囲気の中で過ごした4年間は、
大切な大切な財産となっています。


★3枚の画像は、「Vain」の写真を携帯で写したものです★








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする