萩市へやって来ました。
まずは『松陰神社』を目指したのですが。
あと数百mほどで松陰神社へ到着する・・という段階になってくると、車が渋滞し始めたんです。
神社の駐車場はありますが、このまま待っていても歩いた方が早いのでは。と考え、手前のドラッグストアの駐車場に停めてから、歩いていきました。 (ホントはイケナイことなんですけどね
)
これは正解だったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/36/468c5bb87667bb11d9591f8c43383ec5.jpg)
さすがGWとあって、人が多かったです。
特に、松下村塾の周りには人が集中してました。
松陰神社って、松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/0e/f9847343749468d1fe99d0803e676b25.jpg)
ちょっと調べてみると・・・
松下村塾は松陰が開かれた塾と思われがちですが、これは事実ではありません。 松下村塾は松陰の叔父、玉木文之進が天保13年(1842)、現在も遺る史跡「玉木文之進旧宅」で開いた私塾に「松下村塾」と名付けたのが始まりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/57/defbf879de095e227b3a8f7cdff51bbf.jpg)
松陰神社の本社もたくさんの参拝客でにぎわっていましたよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/2d/7ede058e071de3c4a8dba85756f31ff8.jpg)
ちなみに、写真には写っていませんが、りりぃは抱っこで一緒に入っています。
おもしろかったのは、傘の形をしたおみくじ。
木にくくられていて、可愛かった~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/1e/d671300b62b6cc24dd221f084f6925f5.jpg)
松陰が幽閉されていた部屋です。
狭い部屋だったけれど、インドアな人だったら大丈夫かも?と思える感じです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
う~ん、でも、テレビもゲームもパソコンもない時代。やっぱり、私にはムリかなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/75/f17eb456915e3308cc0403f052ee1b5d.jpg)
松陰神社から歩いてすぐのところに茅葺の小さな家、『伊藤博文の旧宅』があります。
博文は幼いころは、寺の雑用をしながら読み書きを習ったり、 萩の上級武士の子どもの奉公をしたり、大変な苦労をしていたそうで。
父親の名前が林十蔵、母親の名前は琴子といい、父親も母親も伊藤家の奉公人でしたが、伊藤家に跡継ぎがいませんでした。 博文が十四歳の時に、父親は伊藤家の養子となり、博文も伊藤を名乗るようになったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6e/31772c236b18d14a98bf2fd9129c5045.jpg)
博文の銅像もあったのですが。
まるで子供みたいに小さい銅像で、思わず笑っちゃいますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/64/dec8b9b6d210bc368ecab199b026a0fc.jpg)
萩市の観光、もう少しつづきます・・・・
まずは『松陰神社』を目指したのですが。
あと数百mほどで松陰神社へ到着する・・という段階になってくると、車が渋滞し始めたんです。
神社の駐車場はありますが、このまま待っていても歩いた方が早いのでは。と考え、手前のドラッグストアの駐車場に停めてから、歩いていきました。 (ホントはイケナイことなんですけどね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
これは正解だったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/36/468c5bb87667bb11d9591f8c43383ec5.jpg)
さすがGWとあって、人が多かったです。
特に、松下村塾の周りには人が集中してました。
松陰神社って、松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/0e/f9847343749468d1fe99d0803e676b25.jpg)
ちょっと調べてみると・・・
松下村塾は松陰が開かれた塾と思われがちですが、これは事実ではありません。 松下村塾は松陰の叔父、玉木文之進が天保13年(1842)、現在も遺る史跡「玉木文之進旧宅」で開いた私塾に「松下村塾」と名付けたのが始まりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/57/defbf879de095e227b3a8f7cdff51bbf.jpg)
松陰神社の本社もたくさんの参拝客でにぎわっていましたよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/2d/7ede058e071de3c4a8dba85756f31ff8.jpg)
ちなみに、写真には写っていませんが、りりぃは抱っこで一緒に入っています。
おもしろかったのは、傘の形をしたおみくじ。
木にくくられていて、可愛かった~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/1e/d671300b62b6cc24dd221f084f6925f5.jpg)
松陰が幽閉されていた部屋です。
狭い部屋だったけれど、インドアな人だったら大丈夫かも?と思える感じです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
う~ん、でも、テレビもゲームもパソコンもない時代。やっぱり、私にはムリかなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/75/f17eb456915e3308cc0403f052ee1b5d.jpg)
松陰神社から歩いてすぐのところに茅葺の小さな家、『伊藤博文の旧宅』があります。
博文は幼いころは、寺の雑用をしながら読み書きを習ったり、 萩の上級武士の子どもの奉公をしたり、大変な苦労をしていたそうで。
父親の名前が林十蔵、母親の名前は琴子といい、父親も母親も伊藤家の奉公人でしたが、伊藤家に跡継ぎがいませんでした。 博文が十四歳の時に、父親は伊藤家の養子となり、博文も伊藤を名乗るようになったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6e/31772c236b18d14a98bf2fd9129c5045.jpg)
博文の銅像もあったのですが。
まるで子供みたいに小さい銅像で、思わず笑っちゃいますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/64/dec8b9b6d210bc368ecab199b026a0fc.jpg)
萩市の観光、もう少しつづきます・・・・
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