どうやらカイラル対称性ってのは途轍(とてつ)もなく非常識なモンらしいのだな、それが・・。
ごくふつーにWikipediaを「カイラリティー」で開いてみると“項目名とは一致しませんでした”と出る。あれ、おかしいな・・、と思いつつ示唆があった「キラリティー」で開いたらちょっとばかり驚かざるを得ない内容だ・・。
>キラリティー (chirality) は、3次元の図形や物体や現象が、その鏡像と重ね合わすことができない性質。
つまり「対掌性(たいしょうせい)のことであって、対称性と紛らわしいが、キラリティーとは鏡像対称性の欠如であって、むしろ逆の意味」と出てきた。「英語の発音に忠実にはカイラリティー,カイラルとも言う」とあるから同じ言葉であろう。
それが素粒子論にかかったら先にカイラル対称性が存在して後で自発的に破れるのだと言う・・。
素粒子物理では質量を獲得する前にはあらゆるフェルミオン(物質粒子)の質量は0でフォトンのように光速度で飛び回っていたと言うんだが、その際に進行方向に対して右巻きであるか左向きであるかという情報が、観測するまでは分からないように考えるらしい。観測するまでは分からないのは良いんだが、問題は「光速度で飛び回る質量0のフェルミオンにはカイラル対称性が備わっている」という下りがどうしても僕なんかの頭には間違っているような気がして仕方がない、ということなんです。
ひょっとしてそれって「観測するまでは右巻きと左巻きとが半々に回っている」ってゆってませんか・・、ね?
いくら深い自然だからと言っても、ニールスボーアが日本における評価よりも欧米ことにアメリカにおいて“偉人”として位置づけられていると言っても、鏡像対称性(つまりP対称性)の欠如である概念を使って「対称性が成り立っている」と言ってはいけないんじゃないでしょうか。さらにカイラル対称性の自発的破れから来る質量0の南部・ゴールドストンボソンの出現をπ中間子だと言う。「π中間子はそれなりに質量があるので理論にそのまま合う存在ではないが、他の重い中間子に比べたらずいぶん軽いので、気分は悪いが近似的に成り立つのだろう・・」という幾分キナ臭い話になっているのが南部理論の過去だ。
>南部先生は、1960年の論文において、軽い核子と反核子間に強い引力があれば、超伝導と同様に核子と反核子対の凝縮が起こって、軽いパイ(湯川)中間子の存在と、核子の質量の起源が理解できることを指摘されました。この現象に関連する対称性はカイラル対称性と呼ばれます。(KEK記事より抜粋)
ずいぶん昔の理論なので不適切な考え方があっても仕方ないという気もしたが、そんな論理が有りだというのならば「電子はニュートリノと比べたら無限大ぐらいの重い素粒子じゃないか」という逆説だって成り立ちます。おそらく、そのままのストーリーで核子質量を計算したら、実際の質量と似た値が出たとしても認識には耐えないでしょう!
UFTでは「質量0の素粒子にカイラル対称性などというものは存在せず、むしろクォーク凝縮やら電子陽電子対などによって往復させられた結果としては欠如していたキラリティー、じゃなかった鏡像対称性が回復するぐらいである」と考えています。
ごくふつーにWikipediaを「カイラリティー」で開いてみると“項目名とは一致しませんでした”と出る。あれ、おかしいな・・、と思いつつ示唆があった「キラリティー」で開いたらちょっとばかり驚かざるを得ない内容だ・・。
>キラリティー (chirality) は、3次元の図形や物体や現象が、その鏡像と重ね合わすことができない性質。
つまり「対掌性(たいしょうせい)のことであって、対称性と紛らわしいが、キラリティーとは鏡像対称性の欠如であって、むしろ逆の意味」と出てきた。「英語の発音に忠実にはカイラリティー,カイラルとも言う」とあるから同じ言葉であろう。
それが素粒子論にかかったら先にカイラル対称性が存在して後で自発的に破れるのだと言う・・。
素粒子物理では質量を獲得する前にはあらゆるフェルミオン(物質粒子)の質量は0でフォトンのように光速度で飛び回っていたと言うんだが、その際に進行方向に対して右巻きであるか左向きであるかという情報が、観測するまでは分からないように考えるらしい。観測するまでは分からないのは良いんだが、問題は「光速度で飛び回る質量0のフェルミオンにはカイラル対称性が備わっている」という下りがどうしても僕なんかの頭には間違っているような気がして仕方がない、ということなんです。
ひょっとしてそれって「観測するまでは右巻きと左巻きとが半々に回っている」ってゆってませんか・・、ね?
いくら深い自然だからと言っても、ニールスボーアが日本における評価よりも欧米ことにアメリカにおいて“偉人”として位置づけられていると言っても、鏡像対称性(つまりP対称性)の欠如である概念を使って「対称性が成り立っている」と言ってはいけないんじゃないでしょうか。さらにカイラル対称性の自発的破れから来る質量0の南部・ゴールドストンボソンの出現をπ中間子だと言う。「π中間子はそれなりに質量があるので理論にそのまま合う存在ではないが、他の重い中間子に比べたらずいぶん軽いので、気分は悪いが近似的に成り立つのだろう・・」という幾分キナ臭い話になっているのが南部理論の過去だ。
>南部先生は、1960年の論文において、軽い核子と反核子間に強い引力があれば、超伝導と同様に核子と反核子対の凝縮が起こって、軽いパイ(湯川)中間子の存在と、核子の質量の起源が理解できることを指摘されました。この現象に関連する対称性はカイラル対称性と呼ばれます。(KEK記事より抜粋)
ずいぶん昔の理論なので不適切な考え方があっても仕方ないという気もしたが、そんな論理が有りだというのならば「電子はニュートリノと比べたら無限大ぐらいの重い素粒子じゃないか」という逆説だって成り立ちます。おそらく、そのままのストーリーで核子質量を計算したら、実際の質量と似た値が出たとしても認識には耐えないでしょう!
UFTでは「質量0の素粒子にカイラル対称性などというものは存在せず、むしろクォーク凝縮やら電子陽電子対などによって往復させられた結果としては欠如していたキラリティー、じゃなかった鏡像対称性が回復するぐらいである」と考えています。
ニュートリノは電気的に中性だから例外となります!
ここでファインマンの「反粒子は時間を逆行する粒子」を適用して陽電子だけをT変換した場合に、磁力線の向きまで逆になるとすれば、磁石としての性質が電子と陽電子とで逆になるので「接合面においてN極とN極あるいはS極とS極とがくっついている図」になる・・。
それが可能なのは「時間順行と逆行では電場も磁場も逆になる」とすれば良い!