ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

幻の邪馬台国ってどこだ?(他人事じゃありません・・)

2013年03月03日 | 考古学など
http://www.youtube.com/watch?v=f8psidJq6Wg

この映画は、かつて数学セミナーの執筆者たる数学者が「考古学とはいっても数学(統計学)を誤用しているのはけしからん!」と噛みついた相手が主人公の映画ですが、私の感想では宣伝文句に苦情がございまして、この方は(考古学マニアの数学者たる人が)自己責任において「政治家による地元利益誘導やら、大手出版社やらの”大きさ”で勝負するばかりであって科学的でない」「統計学は理論的な仮説の信ぴょう性に用いるのであって各事象によって5パーセント未満の可能性を切り捨てるのではない」「統計学をこのように使うのは許し難い」という掲載を(考古学会誌ではなく数学セミナーという民間の雑誌に)寄せられました。

私が解析的に読み解きましたところ、当該数学者は興奮が過ぎて筆が滑っているように見受けられまして、たとえば「これでは、あらゆる稀事象が否定されてしまう・・」とかお腹立ちでしたけれども、そもそも統計学自体にそれほど厳格な数学的厳密性が存在するわけでなく、単に「厳密でない応用数学として目安としてだけの意味しか持ち得ない」という事を忘れておられた(数学者としての立場だけを考えて専門外に口を差し挟んでしまった禁断の)考古学マニアだったか、と存じます!

映画も宣伝では、研究者としての主人公自身が考古学者といえるほどでなく、単なるマニアだと宣伝文句にございましたけれども、私としたら「それだけは撤回して欲しい」のです・・。

数学の話に戻りますれば、統計学では「5パーセント未満の信ぴょう性を持つ理論を帰無仮説として排除する」という手段を記述したものですが、雑な応用数学の一つであることは変わりありませんで、事象に関して(なにも)「5パーセントの5パーセントを意味するから否定できる」と言ったものではなくて確率としては同じく5パーセントであることに違いはないのですw)

つまり、数学を過信した数学者の戯れ言にも拘らず「統計学を用いたら5パーセント確率の仮説を稀理論として無視するよう示唆するだけであって、もちろん科学的に稀理論の成立が立証されることだってある」「その確率は低確率であっても5パーセントであって5パーセントの5パーセントでは断じてない」という意味で「市井の考古学研究者を畑違いの人間(考古学マニアとしての数学者が)畑違いの雑誌上において勝手に非難して損害を与えた」ということについての責は(もっと純粋な形で)負わせるべきか、と存じますw)

畿内説(奈良県説)の弱点はこれだけあり、

>逆に、畿内説の弱点として上げられるのは次の点である。
年輪年代学では原理的に遺跡の年代の上限しか決定できない上に、まだ専門家の数が少なく、日本の標準年輪曲線は一つの研究グループによって作成され、正確データの公表すらなされておらず追試検証が行われていない。
倭国の産物とされるもののうち、鉄や絹は主に北九州から出土する[注釈 12]。
「魏志倭人伝」に記述された民俗・風俗がかなり南方系の印象を与え、南九州を根拠とする隼人と共通する面が指摘されていること。
「魏志倭人伝」の記述は北九州の小国を詳細に紹介する一方で、畿内説が投馬国に比定する近畿以西に存在したはずの吉備国や出雲国の仔細には全く触れられておらず、近畿圏まで含む道程の記述とみなすのは不自然。
「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は伊都国や奴国といった北九州の国より南側にあること。[注釈 13]。
かつて、畿内説の重要な根拠とされていたが、今は重要視されていない説は以下である。
三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏皇帝から賜った100枚の鏡であるとする説 - しかし、既に見つかったものだけでも400枚以上になること、中国社会科学院考古学研究所長王仲殊が「それらは漢鏡ではない」と発表したことなどから、九州説の側から「三角縁神獣鏡は全て偽作」との反論を受けた[注釈 14]。
邪馬台国長官の伊支馬(いきま?)と垂仁天皇の名「いくめ」の近似性を指摘する説 - 大和朝廷の史書である記紀には、卑弥呼の遣使のこと等具体的に書かれていない。田道間守の常世への旅の伝説を、遣使にあてる説もある。(Wikipediaより)

つまり、状況証拠では北九州に有利な点が多かったところを【年輪年代学】を導入して(日本独自の)年輪年代曲線を作成したところ畿内説に有利な状況が出てきた、すなわち主要な年代がそれ以前よりも2~3世紀さかのぼることになって、後の大和朝廷たる奈良盆地に最初から位置していて、卑弥呼もそこにずーっと存在した、という(言うなれば)権威学説が幅を利かせているわけです。

むしろ、そのことこそが「帰無仮説だったことの復活である」と私としては判定したいです、すなわち、故人の一回の過ちの話ではないトータルな結果としての″どんでん返し”ですよね、私としたらみなまでは信じておりませんから、年輪年代曲線の公開やら、追試やら、仕事はいくらでもあるように見受けました。

なにしろ考古学会単独では安心ならんのですよw)

>江戸時代から現在まで学界の主流は「畿内説」(内藤湖南ら)と「九州説」(白鳥庫吉ら)の二説に大きく分かれている。ただし、九州説には、邪馬台国が”移動した"とする説(「東遷説」)と"移動しなかった"とする説がある。「東遷説」では、邪馬台国が畿内に移動してヤマト王権になったとする。
(Wikipediaより)

私見では「東遷説」が正しいとすれば「卑弥呼とはローマ法王とかダライラマと同じく職名であって個人名でない」というあたりがもっとも真実に近いと思われるのですけど?
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1 コメント

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権威学説としたければ、 (buturikyouiku)
2013-03-03 11:55:36
積極的に年輪年代曲線の追試をさせるべきw)

そうでしょ、それが筋ってモンでしょ?
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