(文章の不備を発見したので再投稿します・・、より優れた解決になっていると思います)
世に『ラッセルのパラドクス』というものがあります。それだけでカントル以来の数学史が無に帰するんではないか、という次第で“数学の危機”を叫ばれる事態にまで陥りました。私はこのたび自分でそれを解決したと自覚しております。これってどういうことなんでしょうか?
やっぱり「俺って天才」であって他になりたくてもなれないのでしょう!
UFTの量子インフレーションの説明では一つの空集合φと一つの空集合を要素とする集合{φ}とを区別して用いてあります。話が空集合(=無)だものですから「φと{φ}とじゃ同じじゃないのか・・」という疑問が生じてしまいました。で、次のように証明したんです。
φ={φ}だとしたら
1){φ}は己自身を含んでいることになるのでⅠ類
2)φは己自身を含むことが出来ないでいるのでⅡ類
ところが、Ⅰ類とⅡ類とは一つの集合が同時に持つことの出来る性質で無いから、前提とした条件は間違っていて、φ≠{φ}
対象を空集合φではなくて任意のⅡ類集合Aに置換えても証明は成立しまして、結論はA≠{A}なんです、はい・・。さらに対象が任意のⅠ類集合A’としたらA’もまた己自身を含みますからA’={A’}というように無矛盾なんです。対して{A}には「任意のⅡ類集合を要素として含む集合」という意味がありますから実質上の「Ⅱ類集合のすべて」という意味を持たせたいのは人情です。
ここで「全体集合は証明に使えないのではないか」という疑問が生じます!
証明に使えるのは“任意の~”という表現であって“すべての~”は文学的な意訳だったのではないでしょうかね・・。すべてに関する証明は定義して直接に得られるものじゃなく「任意の要素について証明し尽さねば得られない」という事情が真相だったような気がします。証明は個々について与えなければ為らないので「すべて」を表すには「任意」というプロセスが必要だというような・・。
国民年金は任意加入によって全員加入を目指していたんですな!
このようにして「Ⅱ類集合のすべて」という定義を許さないようにしたらラッセルのパラドクスは回避されます。任意のⅡ類集合AについてA≠{A}であって全体集合を定義させなければ済むことです。というか基本的に申し上げまして「Ⅰ類集合など存在するだろうか」というのが次なる疑問かと思われます。A図書館蔵書目録の最後にA図書館蔵書目録と記載されていたからと言って己自身を含んだ集合だというわけでは断じてないように数学全体を整えれば済む話だと思えるのです。その疑問は「集合の最小要素もまた集合である」とした場合に「Ⅰ類集合である」というのが解決でしょう・・。
アメリカはラッセルパラによって数学に迷惑をかけたことを謝るべきです!
解析学は「すべての自然数よりも大きな数」は存在しないとして「任意の自然数よりも大きな数」は存在するのですから記号で置換えたら別の数学を造ることができます。このことは詭弁ではなくてく区別であるとされてきましたが数学自体から全体を表す表現を禁止して削除したらもっと積極的に認める気になります。ネルソンによる超準解析学の優れた思想はUFTにも採用しているのです。
世に『ラッセルのパラドクス』というものがあります。それだけでカントル以来の数学史が無に帰するんではないか、という次第で“数学の危機”を叫ばれる事態にまで陥りました。私はこのたび自分でそれを解決したと自覚しております。これってどういうことなんでしょうか?
やっぱり「俺って天才」であって他になりたくてもなれないのでしょう!
UFTの量子インフレーションの説明では一つの空集合φと一つの空集合を要素とする集合{φ}とを区別して用いてあります。話が空集合(=無)だものですから「φと{φ}とじゃ同じじゃないのか・・」という疑問が生じてしまいました。で、次のように証明したんです。
φ={φ}だとしたら
1){φ}は己自身を含んでいることになるのでⅠ類
2)φは己自身を含むことが出来ないでいるのでⅡ類
ところが、Ⅰ類とⅡ類とは一つの集合が同時に持つことの出来る性質で無いから、前提とした条件は間違っていて、φ≠{φ}
対象を空集合φではなくて任意のⅡ類集合Aに置換えても証明は成立しまして、結論はA≠{A}なんです、はい・・。さらに対象が任意のⅠ類集合A’としたらA’もまた己自身を含みますからA’={A’}というように無矛盾なんです。対して{A}には「任意のⅡ類集合を要素として含む集合」という意味がありますから実質上の「Ⅱ類集合のすべて」という意味を持たせたいのは人情です。
ここで「全体集合は証明に使えないのではないか」という疑問が生じます!
証明に使えるのは“任意の~”という表現であって“すべての~”は文学的な意訳だったのではないでしょうかね・・。すべてに関する証明は定義して直接に得られるものじゃなく「任意の要素について証明し尽さねば得られない」という事情が真相だったような気がします。証明は個々について与えなければ為らないので「すべて」を表すには「任意」というプロセスが必要だというような・・。
国民年金は任意加入によって全員加入を目指していたんですな!
このようにして「Ⅱ類集合のすべて」という定義を許さないようにしたらラッセルのパラドクスは回避されます。任意のⅡ類集合AについてA≠{A}であって全体集合を定義させなければ済むことです。というか基本的に申し上げまして「Ⅰ類集合など存在するだろうか」というのが次なる疑問かと思われます。A図書館蔵書目録の最後にA図書館蔵書目録と記載されていたからと言って己自身を含んだ集合だというわけでは断じてないように数学全体を整えれば済む話だと思えるのです。その疑問は「集合の最小要素もまた集合である」とした場合に「Ⅰ類集合である」というのが解決でしょう・・。
アメリカはラッセルパラによって数学に迷惑をかけたことを謝るべきです!
解析学は「すべての自然数よりも大きな数」は存在しないとして「任意の自然数よりも大きな数」は存在するのですから記号で置換えたら別の数学を造ることができます。このことは詭弁ではなくてく区別であるとされてきましたが数学自体から全体を表す表現を禁止して削除したらもっと積極的に認める気になります。ネルソンによる超準解析学の優れた思想はUFTにも採用しているのです。