ベータ崩壊では原子核から電子が飛び出してきて僅か軽くなって原子番号が一つ増えますよね?
そこを精密に測定したらエネルギーが保存していないことが明らかになっていきました。その際に量子力学はコペンハーゲン学派のリーダー的な存在だったニールス・ボーアは「おそらく微小領域においてはエネルギー保存則は破れるのだろう」という予言を致しました。今年度におけるノーベル物理学賞は南部先生の自発的対称性の破れと小林・益川先生のCP対称性の破れがテーマですから文章表現ではその先駆けであるような台詞だったと思います。仲間はボーアを信頼していましたし、非常に頼りにもしていましたから、まあ、そう考えていて良いのだという空気があったと聞いています。
とある会合でパウリは自らの《ニュートリノ仮説》を「まったく絶望的な解決」として紹介しました・・。
その「電子が持ち出すよよりももう少しばかり大きなエネルギーがベータ崩壊した原子核からは持ち出されている」というエネルギー非保存の状況を電荷を持たない電子よりもずーっと軽いレプトンという意味のニュートリノ(中性微子)を仮定することによって改善したのです。それと同時に先だって私が提案した「微小領域におけるスピン角運動量の保存」も改善していたのはあまり大きくは言われておりませんが歴史的事実です。もし原子核から電子スピンだけを引き算したら質量数が同じままでフェルミ粒子とボース粒子とが入れ替わってしまいます。そこもニュートリノと合わせてのスピン0か1の持ち出しだとすれば合理的に理解されます。
昔の物理学者がエネルギーやスピン角運動量の非保存が平気だったのには理由という物がありまして、
ハイゼンベルグの《不確定性原理》によれば、位置と運動量の不確実さ、あるいは、エネルギーと時間との不確実さ、を掛け合わした数値はスピン角運動量のオーダーにおいて存在していて完全に無くすことが出来ないのです。この間の事情は長らく「神といえども観測すれば波動を必ず一波は数え間違える」と言い習わされて教え継がれていたのが1970年代です。もしそれが正しければ微小領域の物理学ではスピン角運動量を保存させる義理が無くなってしまいます。それがデジタル時代に入って「どうやらアナログ的な考え方よりも量子物理の方がずーっと曖昧さは減るものらしい」という感想をモノする物理学者が増えてきています。
不確定性原理の左辺であるΔx・ΔpあるいはΔE・Δtは素粒子実在の成立条件として考え直すことだって出来るのです!
それが我らが湯川博士の《中間子理論》には生かされておりまして、その成立条件とは「ごく短い時間にはπ中間子は自然から自らの質量と運動量分の借金をして陽子と中性子の間を飛ぶ」として、それは世界で初めてのバーチャル粒子仮説だったわけですが、さらにニュートリノ以前に提案された新素粒子でもあったのです。ボーアは廊下ですれ違いざま湯川の耳元で「君はそんなに新しい素粒子が好きなのか?」と囁きました。そんなボーアにパウリのニュートリノ仮説は受けいられる訳がありませんからパウリは半ば諦めていました。
ニュートリノが原子炉における実験で発見されたときに人生僅か50年を地でいったような既に晩年だったパウリは涙を流して喜んだといいます!
そこを精密に測定したらエネルギーが保存していないことが明らかになっていきました。その際に量子力学はコペンハーゲン学派のリーダー的な存在だったニールス・ボーアは「おそらく微小領域においてはエネルギー保存則は破れるのだろう」という予言を致しました。今年度におけるノーベル物理学賞は南部先生の自発的対称性の破れと小林・益川先生のCP対称性の破れがテーマですから文章表現ではその先駆けであるような台詞だったと思います。仲間はボーアを信頼していましたし、非常に頼りにもしていましたから、まあ、そう考えていて良いのだという空気があったと聞いています。
とある会合でパウリは自らの《ニュートリノ仮説》を「まったく絶望的な解決」として紹介しました・・。
その「電子が持ち出すよよりももう少しばかり大きなエネルギーがベータ崩壊した原子核からは持ち出されている」というエネルギー非保存の状況を電荷を持たない電子よりもずーっと軽いレプトンという意味のニュートリノ(中性微子)を仮定することによって改善したのです。それと同時に先だって私が提案した「微小領域におけるスピン角運動量の保存」も改善していたのはあまり大きくは言われておりませんが歴史的事実です。もし原子核から電子スピンだけを引き算したら質量数が同じままでフェルミ粒子とボース粒子とが入れ替わってしまいます。そこもニュートリノと合わせてのスピン0か1の持ち出しだとすれば合理的に理解されます。
昔の物理学者がエネルギーやスピン角運動量の非保存が平気だったのには理由という物がありまして、
ハイゼンベルグの《不確定性原理》によれば、位置と運動量の不確実さ、あるいは、エネルギーと時間との不確実さ、を掛け合わした数値はスピン角運動量のオーダーにおいて存在していて完全に無くすことが出来ないのです。この間の事情は長らく「神といえども観測すれば波動を必ず一波は数え間違える」と言い習わされて教え継がれていたのが1970年代です。もしそれが正しければ微小領域の物理学ではスピン角運動量を保存させる義理が無くなってしまいます。それがデジタル時代に入って「どうやらアナログ的な考え方よりも量子物理の方がずーっと曖昧さは減るものらしい」という感想をモノする物理学者が増えてきています。
不確定性原理の左辺であるΔx・ΔpあるいはΔE・Δtは素粒子実在の成立条件として考え直すことだって出来るのです!
それが我らが湯川博士の《中間子理論》には生かされておりまして、その成立条件とは「ごく短い時間にはπ中間子は自然から自らの質量と運動量分の借金をして陽子と中性子の間を飛ぶ」として、それは世界で初めてのバーチャル粒子仮説だったわけですが、さらにニュートリノ以前に提案された新素粒子でもあったのです。ボーアは廊下ですれ違いざま湯川の耳元で「君はそんなに新しい素粒子が好きなのか?」と囁きました。そんなボーアにパウリのニュートリノ仮説は受けいられる訳がありませんからパウリは半ば諦めていました。
ニュートリノが原子炉における実験で発見されたときに人生僅か50年を地でいったような既に晩年だったパウリは涙を流して喜んだといいます!