前回は、なまくらな論調に終わってしまって申し訳ない・・。
偏光フィルターを通過したがまだ観測されておらないフォトンなる物の実在性について否定的な見解を吟味するのも忘れていました。不確定性原理ではΔE・Δt>h/4πであり、一個の光量子の存在についてΔE=hνかつΔt=λ/c=1/νからΔE・Δt=h、不等号の向きからいって観測されるとは限りません。ここで「フォトン一個の実在は完全に不確定である」と割り切ってしまえばΔE・Δt≒hとなって「観測された瞬間に創造された物」だと(ボーア流に)表現することが許されるでしょう!
電磁波には特定の方向への偏りがないがフォトンには有るのだとしたら・・。
電磁波はいつでも存在させて良いがフォトンという素粒子の一種は観測者が粒子と認識した瞬間にだけ存在する創造物だということになります。それは自動観測がいくらでも可能だとしても判断が必要でしょう。しかしこのことはボーア側にとってインチキでもございます。なぜならば自動観測機器を動作させているかどうかが機械が開けられて観測されるまではわからないということは無いのですから!
もちろん偏光フィルターが無ければ、この観測における「フォトンの偏角」という物理的属性は失われます、そこですよ・・。
さらに「固有の偏角を持たぬ物はフォトンではない」と決めたのだから完全です!
ボーアの「観測は創造行為である」という名セリフだけは失われません・・。
と、いうことは、これがすべての原因だということになるのです、そもそも量子の物理的属性のなかには観測に依らなければ抽象できない性質のことが有り、しかもそいつがなければその素粒子は中途半端な実在物に成り下がってしまう。そも「実験によってだけ抽象されるような性質が見いだされる」から、そして、だからこそ、そんな奇妙な物理理論が出現したのだ、と!
フォトンの実在性を式に表わせば γ=(|0>+|1>)/√2π となるでしょう・・。
|>内の数字は《存在量子数》の値で、その持つ意味は説明するまでもなくわかると存じますけど、このγをφに置き換えればUFTにおける宇宙初期の定式とまったく同じ姿をしております。私は、当初から「宇宙は0と1の起源から始まった」と論じておりましたけれども、それは気持ちとして(ダライラマのように)単に数字の意味だったのです。ところが「最初から存在を表わす量子数だった」と再解釈して良い機会に恵まれました。
(なんと私は幸運なのでしょうか?)
かように宇宙には「有る」と「無い」の中間概念が満ち満ちているというのが本質らしい・・。
さらに幸運なことには《量子インフレーション》においてプライマリーアイソスピンとして定義した φ=(|0>+|1>)/√2π にはフォトンの偏角と類似の性質を持たせることが可能ですから図に描いて抽象する以前には特定の向きを仮定する必要がどこにもございませぬ!こうして単純化が過ぎて一次元模型としてしか成立しなくなっていた量子インフレーションを元のとおりのリアルな進行過程として用いることが可能だと判明させることが出来たのです、ああ、なんて嬉しい!
偏光フィルターを通過したがまだ観測されておらないフォトンなる物の実在性について否定的な見解を吟味するのも忘れていました。不確定性原理ではΔE・Δt>h/4πであり、一個の光量子の存在についてΔE=hνかつΔt=λ/c=1/νからΔE・Δt=h、不等号の向きからいって観測されるとは限りません。ここで「フォトン一個の実在は完全に不確定である」と割り切ってしまえばΔE・Δt≒hとなって「観測された瞬間に創造された物」だと(ボーア流に)表現することが許されるでしょう!
電磁波には特定の方向への偏りがないがフォトンには有るのだとしたら・・。
電磁波はいつでも存在させて良いがフォトンという素粒子の一種は観測者が粒子と認識した瞬間にだけ存在する創造物だということになります。それは自動観測がいくらでも可能だとしても判断が必要でしょう。しかしこのことはボーア側にとってインチキでもございます。なぜならば自動観測機器を動作させているかどうかが機械が開けられて観測されるまではわからないということは無いのですから!
もちろん偏光フィルターが無ければ、この観測における「フォトンの偏角」という物理的属性は失われます、そこですよ・・。
さらに「固有の偏角を持たぬ物はフォトンではない」と決めたのだから完全です!
ボーアの「観測は創造行為である」という名セリフだけは失われません・・。
と、いうことは、これがすべての原因だということになるのです、そもそも量子の物理的属性のなかには観測に依らなければ抽象できない性質のことが有り、しかもそいつがなければその素粒子は中途半端な実在物に成り下がってしまう。そも「実験によってだけ抽象されるような性質が見いだされる」から、そして、だからこそ、そんな奇妙な物理理論が出現したのだ、と!
フォトンの実在性を式に表わせば γ=(|0>+|1>)/√2π となるでしょう・・。
|>内の数字は《存在量子数》の値で、その持つ意味は説明するまでもなくわかると存じますけど、このγをφに置き換えればUFTにおける宇宙初期の定式とまったく同じ姿をしております。私は、当初から「宇宙は0と1の起源から始まった」と論じておりましたけれども、それは気持ちとして(ダライラマのように)単に数字の意味だったのです。ところが「最初から存在を表わす量子数だった」と再解釈して良い機会に恵まれました。
(なんと私は幸運なのでしょうか?)
かように宇宙には「有る」と「無い」の中間概念が満ち満ちているというのが本質らしい・・。
さらに幸運なことには《量子インフレーション》においてプライマリーアイソスピンとして定義した φ=(|0>+|1>)/√2π にはフォトンの偏角と類似の性質を持たせることが可能ですから図に描いて抽象する以前には特定の向きを仮定する必要がどこにもございませぬ!こうして単純化が過ぎて一次元模型としてしか成立しなくなっていた量子インフレーションを元のとおりのリアルな進行過程として用いることが可能だと判明させることが出来たのです、ああ、なんて嬉しい!
1)エネルギーがどうしてもスカラー量である以上はマックスウェル理論におけるエネルギー伝達手段としての電磁波は(先入観以外による)方向性を認められない。
2)フォトンは運動量を持っているからベクトル場である必要があり、それはゲージベクトル場としてのU(1)対称性を持ったゲージ理論によってだけ合理化されるので、そうしてはじめてフォトンという素粒子が実在として認識され得る。