マニフェスト命題¬A⇒(A⇒B)に対して真のマニフェスト命題¬(A⇒B)⇒Aの計算していきますと、前者は(与式)⇔(F⇒B)となるので嘘つき命題「この文が間違いならばB」と同値でしたが、後者は
¬(A⇒B)⇒A
⇔
(A⇒B)∨A
⇔
(¬A∨B)∨A
⇔
¬A∨B∨A _______(ア)
⇔
¬A∨(B∨A)
⇔
A⇒(B∨A) _______(イ)
前回は(ア)の箇所で交換則を使ってしまいましたが、それをやってしまうと(A⇒B)⇔(¬B⇒¬A)を認めてしまったことになりますので禁則といたします・・・、あ~あw)
さらに
>¬A⇒(A⇒B)の対偶は¬(A⇒B)⇒Aですから「マニフェスト内容を否定するならば現実」となりますよね?
文頭に近い箇所のこの一文から派手にやっちゃってくれちゃってます、ええー、我ながら・・・w)
¬Aが現実で、Aがマニフェストの十分条件でBがマニフェストの必要条件、そして「現実¬AをAに変えることによってBという好ましい結果を得ようとしている」という意訳の設定でしたが、さらにA⇒Bをマニフェスト内容だと翻訳したわけでしたよね。
だとしたら、
× 「マニフェスト内容を否定するならば現実」
↓
○ 「マニフェスト内容を否定するならばマニフェストに十分な現実」
ぐらいが正しい意訳となります、するってえと、昨日は離党した小沢氏を善しとした結果を(間違って)得ましたけど、今日の考察では野田首相の「妥協する姿勢」が正しいと結果が出ました、やれやれ!
ところがソレが¬B⇒Tなんだから「マニフェストに必要な結果が否定されたら恒等真」ですって、おやまあ、あらさて、てんてけてん♪ _______(ウ)
最後の下りも、
>「真のマニフェスト命題は対偶¬(A⇒B)⇒Aの方」であって、その意味することは上記の考察途中に記されているように「マニフェスト内容を否定すれば現実は元のとおり」となり「自明」と出る、なるほどお抱え学者を使ったかと思わせる論理術、誰が考えたかは知らぬが策士じゃのお~!
意訳のし過ぎによる(?)とんだチョンボが出ておりまして、ええーっと、というよりAがマニフェストに十分な条件で、¬Aが元の現実なのをついついいつもの感覚で訳してしまったのだよねw)
結果は(同じことの繰り返しになりますが・・)
× 「マニフェスト内容を否定するならば現実」
↓
○ 「マニフェスト内容を否定するならばマニフェストに十分な現実」
以上が、マニフェスト命題¬A⇒(A⇒B)の対偶命題¬(A⇒B)⇒Aが意味するところというものであった、やれやれ、ほっ!
さて、今回の計算に沿って考察を続けますれば、(ウ)の箇所で¬B⇒Tとあるのが無効になりまして、(ア)より¬A∨B∨Aを採用すれば「元通りの現実か、マニフェストに必要な好ましい結果か、マニフェストに十分な変更された現実か、いずれか」となって文学的な全称臭いですし、(イ)よりA⇒(B∨A)で行かせますと「マニフェストに十分な変更された現実があれば必要な好ましい結果か、もしくは変更された現実」ということで活かすも殺すも仕事しだいということであり、さらにA⇒(¬B⇒A)は「マニフェストに十分な変更された現実があるならば必要な好ましい結果を否定すれば変更された現実である」なんだか“これらがすべて同値すなわち同じこと”だなんて信じられないですよね・・・w)
なおさら「秋の夜長向きの糞めんどくさい文章」に仕上がりましたので、お楽しみのほどを!
¬(A⇒B)⇒A
⇔
(A⇒B)∨A
⇔
(¬A∨B)∨A
⇔
¬A∨B∨A _______(ア)
⇔
¬A∨(B∨A)
⇔
A⇒(B∨A) _______(イ)
前回は(ア)の箇所で交換則を使ってしまいましたが、それをやってしまうと(A⇒B)⇔(¬B⇒¬A)を認めてしまったことになりますので禁則といたします・・・、あ~あw)
さらに
>¬A⇒(A⇒B)の対偶は¬(A⇒B)⇒Aですから「マニフェスト内容を否定するならば現実」となりますよね?
文頭に近い箇所のこの一文から派手にやっちゃってくれちゃってます、ええー、我ながら・・・w)
¬Aが現実で、Aがマニフェストの十分条件でBがマニフェストの必要条件、そして「現実¬AをAに変えることによってBという好ましい結果を得ようとしている」という意訳の設定でしたが、さらにA⇒Bをマニフェスト内容だと翻訳したわけでしたよね。
だとしたら、
× 「マニフェスト内容を否定するならば現実」
↓
○ 「マニフェスト内容を否定するならばマニフェストに十分な現実」
ぐらいが正しい意訳となります、するってえと、昨日は離党した小沢氏を善しとした結果を(間違って)得ましたけど、今日の考察では野田首相の「妥協する姿勢」が正しいと結果が出ました、やれやれ!
ところがソレが¬B⇒Tなんだから「マニフェストに必要な結果が否定されたら恒等真」ですって、おやまあ、あらさて、てんてけてん♪ _______(ウ)
最後の下りも、
>「真のマニフェスト命題は対偶¬(A⇒B)⇒Aの方」であって、その意味することは上記の考察途中に記されているように「マニフェスト内容を否定すれば現実は元のとおり」となり「自明」と出る、なるほどお抱え学者を使ったかと思わせる論理術、誰が考えたかは知らぬが策士じゃのお~!
意訳のし過ぎによる(?)とんだチョンボが出ておりまして、ええーっと、というよりAがマニフェストに十分な条件で、¬Aが元の現実なのをついついいつもの感覚で訳してしまったのだよねw)
結果は(同じことの繰り返しになりますが・・)
× 「マニフェスト内容を否定するならば現実」
↓
○ 「マニフェスト内容を否定するならばマニフェストに十分な現実」
以上が、マニフェスト命題¬A⇒(A⇒B)の対偶命題¬(A⇒B)⇒Aが意味するところというものであった、やれやれ、ほっ!
さて、今回の計算に沿って考察を続けますれば、(ウ)の箇所で¬B⇒Tとあるのが無効になりまして、(ア)より¬A∨B∨Aを採用すれば「元通りの現実か、マニフェストに必要な好ましい結果か、マニフェストに十分な変更された現実か、いずれか」となって文学的な全称臭いですし、(イ)よりA⇒(B∨A)で行かせますと「マニフェストに十分な変更された現実があれば必要な好ましい結果か、もしくは変更された現実」ということで活かすも殺すも仕事しだいということであり、さらにA⇒(¬B⇒A)は「マニフェストに十分な変更された現実があるならば必要な好ましい結果を否定すれば変更された現実である」なんだか“これらがすべて同値すなわち同じこと”だなんて信じられないですよね・・・w)
なおさら「秋の夜長向きの糞めんどくさい文章」に仕上がりましたので、お楽しみのほどを!