僕はフォトンによる運動量交換はブーメランのように曲がっては進まないように思うね・・。
だってフォトンだもの、たとえ仮想フォトンであったとしてもフォトンが曲がって飛ぶわけはない、と思うのだがどうだろう。そうしたら前方から来たフォトンを運動量ごと吸収して運動量ごと後方に排出するならば前へ加速するんです。なんだか無効電力の活用みたいだろ、どんなもんだい!
おまけに局所相互作用ではなくて少なくともフォトンは長さを持つ実在だということだってワカル・・。
点と点の運動量交換ではフォトンを吸収した際に後ずさりした時に後ろへ向かって運動する座標に乗ってしまいますから後で前方に向かう運動量を得たとしても回復はしないのですよ。それがフォトンが長さを持った実在すなわちヒモだったとしたらアニールを掛けたように丸くソフティケイトされた運動に変化して前方に向かって加速します。
UFTではこのことを不確定性原理から導いておりますのでそこんとこ宜しく・・。
つまり物理的に厳格でありかつまた数学的に厳密な解として平易ながらも僕の手中に存在する物理数学によって完全に証明されます。すなわち《運動量ワーサムによる加速機構》は可能だということです。引力の場合も斥力の場合にも湾曲して進んで背中を押す奇妙な仮想フォトンは必要ありません。すべては《相互作用による対称性破れの原理》からすみやかに導出されます。
さらにヒグスの解くスカラー場とはUFTにおけるL軌道のことではないでしょうか?
擬スカラー場であるはずのπ中間子などのクォーク凝場につきましてもH軌道において崩壊して有意な物理的性質を失ってからはスカラー場に変化するのかもしれません。そうすると真性ヒグス粒子の他の元複合粒子もすべてがヒグス機構の場に参加できることが分かります。そうなると質量情報だけは残っていることになりますからエネルギーとは別に質量が定義されていなくてはなりません、が、それが先送りにしておいて良いではありませんか。
ヒグス場では質量の無いフェルミオンが反応することによってヒグス粒子たちに重力質量を与えるとしたら空間が曲がります。
それが超対称性重力つまり超重力です・・。
すると宇宙の素粒子を一気に倍増させる超対称性ではなくなりますが
必然性は元から無かったことなのです!
2000年に物理学会は「新しい物理理論はあらかた出尽くしているのでもう無い」という声明を出していました、が、それははっきりと一九世紀末の声明と期せずして、いや、むしろ期して同じ内容でした、が、UFTはそこのところも「新しい素粒子はあらかた出尽くしているのでもう無い」と言い換えたいように思っているのです(w)
だってフォトンだもの、たとえ仮想フォトンであったとしてもフォトンが曲がって飛ぶわけはない、と思うのだがどうだろう。そうしたら前方から来たフォトンを運動量ごと吸収して運動量ごと後方に排出するならば前へ加速するんです。なんだか無効電力の活用みたいだろ、どんなもんだい!
おまけに局所相互作用ではなくて少なくともフォトンは長さを持つ実在だということだってワカル・・。
点と点の運動量交換ではフォトンを吸収した際に後ずさりした時に後ろへ向かって運動する座標に乗ってしまいますから後で前方に向かう運動量を得たとしても回復はしないのですよ。それがフォトンが長さを持った実在すなわちヒモだったとしたらアニールを掛けたように丸くソフティケイトされた運動に変化して前方に向かって加速します。
UFTではこのことを不確定性原理から導いておりますのでそこんとこ宜しく・・。
つまり物理的に厳格でありかつまた数学的に厳密な解として平易ながらも僕の手中に存在する物理数学によって完全に証明されます。すなわち《運動量ワーサムによる加速機構》は可能だということです。引力の場合も斥力の場合にも湾曲して進んで背中を押す奇妙な仮想フォトンは必要ありません。すべては《相互作用による対称性破れの原理》からすみやかに導出されます。
さらにヒグスの解くスカラー場とはUFTにおけるL軌道のことではないでしょうか?
擬スカラー場であるはずのπ中間子などのクォーク凝場につきましてもH軌道において崩壊して有意な物理的性質を失ってからはスカラー場に変化するのかもしれません。そうすると真性ヒグス粒子の他の元複合粒子もすべてがヒグス機構の場に参加できることが分かります。そうなると質量情報だけは残っていることになりますからエネルギーとは別に質量が定義されていなくてはなりません、が、それが先送りにしておいて良いではありませんか。
ヒグス場では質量の無いフェルミオンが反応することによってヒグス粒子たちに重力質量を与えるとしたら空間が曲がります。
それが超対称性重力つまり超重力です・・。
すると宇宙の素粒子を一気に倍増させる超対称性ではなくなりますが
必然性は元から無かったことなのです!
2000年に物理学会は「新しい物理理論はあらかた出尽くしているのでもう無い」という声明を出していました、が、それははっきりと一九世紀末の声明と期せずして、いや、むしろ期して同じ内容でした、が、UFTはそこのところも「新しい素粒子はあらかた出尽くしているのでもう無い」と言い換えたいように思っているのです(w)