文十郎録

日々あれこれと感じたことなど

成果が出ないのは人間の器の問題か?

2006-05-11 | ビジネス
知り合いの社長に(社員3名)「経営を手伝って欲しい」と言われて、非常勤役員に就任する約束をしました。
そんな訳ですから、色々と会社の現状や将来について質問してみました。
その回答として「それが出来ていないのは自分の器が小さいから」という返事が何回かあり、「あれ?」と思ったのです。
「生まれ変わり」の考え方に起因しているのかもしれませんが、沢山の経験をして多くの困難を乗り越えることによって成長していくと思っています。
直面する問題に対して、「器が小さいから出来ていない」という答えを出すのは思考停止と思えます。
会社経営をしていく上で色々な難しい問題が出てくるのでしょうが、その全てを小さな問題に分解して一つ一つ解決していけば何らかの成果が得られる筈です。
と言うことで、今はその社長さんに対しては大きな問題を投げかける事は止めて
「こうしたいから、最初はどこから手をつけよう」といったなるべく具体的な話し方をしています。
会社という道具を通じて多くの人とやり取りが出来るので、ビジネスは面白いですね。

何故宗教が発生したか?

2006-05-09 | 生まれ変わり
昨日の続きです。
人類は、魂の存在を示唆する出来事を古来時折体験していたのでは? と思われます。
そうすると、自分の肉体が死んでもその後に意識は生き続けると思う人がある一定割合存在します。
何と言っても、日頃は気が付きませんが潜在意識の中では事実を知っている訳ですから。
その事をベースにして、生きて行く上で色々と悩ましい事が起きた時にその対処方法を自分を越える何か(創造主)に頼ったのではないでしょうか?
色んな地域で色んな事情がありますので、例えば砂漠地帯などの生存が厳しいところでは、強いリーダーの下で協力して行動しないと生き残れない、という先祖の知恵から一神教が誕生し、
日本や南の島など自然に恵まれている地域では生きる恵みを与えてくれる土地や植物や海などに(太陽も)感謝するという考え方から自然崇拝の宗教(神道など)が誕生したと思えます。

その後、人が集まり信仰が宗教になりその人々の利益の為に種々の政治手法が誕生し現在の色んな宗教となったと考えると自分なりにはスッキリします。
ただ、昨日書いたとおりたとえ創造主が居たとしても未来はコントロール出来ないので個人レベルでは今出来ることに最善を尽くすべきであり、政治の結果である「宗教集団」の為に自分を犠牲にすべきではない、ということです。

生まれ変わりを信じれば

2006-05-08 | 生まれ変わり
最初は「生まれ変わりを信じる」から。
福島大学の飯田史彦先生の著作物を読んで、最近は魂の存在を信じるようになりました。
ただし、神(願いを叶えてくれるという意味での)の存在は信じていません。
誰にも未来を知ることは出来ない、という前提です。
世の中には種々の歪があり、生まれながらに不幸な事に会われる人はやはり存在するのです。
自分が幸いにして生きながらえている時に創造主(この世を作った人の事、ただし未来は分からない)に感謝する事はありますが、その思う対象を万能の神とは思っていません。
創造主は、大きく俯瞰する事が出来るでしょうから我々よりは未来の予測が容易で当たる可能性も高いと思いますが未来をコントロール出来ない事に関しては同じだと思っています。
結局、我々個人は混沌の中の一構成要素に過ぎない訳ですから、出来る事にも限界があるし基本的には思いが叶う確率は低い。
しかし、それでは投げやりな人生を過ごせばいいか、というとそうでもない。
何かをやり遂げると達成感というご褒美が与えられてこれが魂に快楽をもたらすのです。
そして魂は、より高みに行きたいという基本的な性質を持っています。
その魂はずーっと存在する訳ですから、たとえ不治の病に冒されたということが分かったとしても
次に生まれかわって肉体を持った時に備えて何時でも全力を尽くすという訓練を積む事により、より高みへと行くことが出来るわけです。

復活します

2006-05-05 | Weblog
しばらく更新を怠っていましたが、復活したいと思います。
最近mixiを始めたためにブログとの使い分けに悩んでいましたが
ブログを「意見発表」の場、mixiは「まあ日記」と位置づけて
いろいろと書いていきたいと思います。