文十郎録

日々あれこれと感じたことなど

何故宗教が発生したか?

2006-05-09 | 生まれ変わり
昨日の続きです。
人類は、魂の存在を示唆する出来事を古来時折体験していたのでは? と思われます。
そうすると、自分の肉体が死んでもその後に意識は生き続けると思う人がある一定割合存在します。
何と言っても、日頃は気が付きませんが潜在意識の中では事実を知っている訳ですから。
その事をベースにして、生きて行く上で色々と悩ましい事が起きた時にその対処方法を自分を越える何か(創造主)に頼ったのではないでしょうか?
色んな地域で色んな事情がありますので、例えば砂漠地帯などの生存が厳しいところでは、強いリーダーの下で協力して行動しないと生き残れない、という先祖の知恵から一神教が誕生し、
日本や南の島など自然に恵まれている地域では生きる恵みを与えてくれる土地や植物や海などに(太陽も)感謝するという考え方から自然崇拝の宗教(神道など)が誕生したと思えます。

その後、人が集まり信仰が宗教になりその人々の利益の為に種々の政治手法が誕生し現在の色んな宗教となったと考えると自分なりにはスッキリします。
ただ、昨日書いたとおりたとえ創造主が居たとしても未来はコントロール出来ないので個人レベルでは今出来ることに最善を尽くすべきであり、政治の結果である「宗教集団」の為に自分を犠牲にすべきではない、ということです。

生まれ変わりを信じれば

2006-05-08 | 生まれ変わり
最初は「生まれ変わりを信じる」から。
福島大学の飯田史彦先生の著作物を読んで、最近は魂の存在を信じるようになりました。
ただし、神(願いを叶えてくれるという意味での)の存在は信じていません。
誰にも未来を知ることは出来ない、という前提です。
世の中には種々の歪があり、生まれながらに不幸な事に会われる人はやはり存在するのです。
自分が幸いにして生きながらえている時に創造主(この世を作った人の事、ただし未来は分からない)に感謝する事はありますが、その思う対象を万能の神とは思っていません。
創造主は、大きく俯瞰する事が出来るでしょうから我々よりは未来の予測が容易で当たる可能性も高いと思いますが未来をコントロール出来ない事に関しては同じだと思っています。
結局、我々個人は混沌の中の一構成要素に過ぎない訳ですから、出来る事にも限界があるし基本的には思いが叶う確率は低い。
しかし、それでは投げやりな人生を過ごせばいいか、というとそうでもない。
何かをやり遂げると達成感というご褒美が与えられてこれが魂に快楽をもたらすのです。
そして魂は、より高みに行きたいという基本的な性質を持っています。
その魂はずーっと存在する訳ですから、たとえ不治の病に冒されたということが分かったとしても
次に生まれかわって肉体を持った時に備えて何時でも全力を尽くすという訓練を積む事により、より高みへと行くことが出来るわけです。