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江戸歴史散歩

2005年03月06日 | Weblog
今日はお天気がよくないという予想に反して雨も降らない1日の中でのお散歩でした。
東海道などの江戸四宿のうちのお散歩、榎本氏の案内で中山道・板橋宿周辺の散策。
近藤勇の墓、旧板橋宿あたり、前田家下屋敷跡、周辺の寺院、縁切り榎、板橋、サクラはまだ咲いていない石神井川沿いを訪ねた。 
◇近藤勇の墓(下総流山で官軍に投降。平尾宿にあった板橋刑場で処刑された。
享年、35歳。その首は京に送られ、三条大橋で胴体以下はこの地に埋葬された。)→平尾一里塚跡→中山道→内匠稲荷社→◇東光寺 (宇喜田秀家の墓、豊臣秀吉の「五大老」の一人で、関ヶ原の戦いで西軍で敗れた秀家は捕らえられ、八丈島に流罪となった。秀家の妻が前田利家の娘たったので、その後、前田家から援助を受け、八丈に土着した。子孫は八家に別れ、明治になり前田家の下屋敷を与えられ、入植した。一族により建立された。)→◇前田家下屋敷跡(加賀藩前田家がこの地に下屋敷地を拝領したのは延宝7年(1679)。加賀藩の参勤交代が中山道回りになったのがその理由といわれる。現在の加賀一・二丁目、板橋一・三・四丁目、仲宿の広大な面積を所有した。屋敷内の中央には石神井川が流れ、豪華な回遊庭園が広がっていた。)→◇板橋宿(板橋宿の本陣は中宿の名主飯田家に置かれた。脇本陣は平尾宿(豊田家)・中宿(飯田家)・上宿(板橋家)に1軒ずつ置かれた。)→観明寺→脇本陣跡→遊郭跡→遍照寺→竹の杖権現社→本陣跡→文殊院◇文殊院(宿場の二大閻魔の一つ、腰から下の病気に効験がある子の権現、遊女の墓)→御成道→ 板橋→◇縁切り榎(江戸時代、中山道沿いのこの地には、大きな榎が生い繁り、道を覆うように根を張っていた。この木の下を嫁入り・婿取りの行列が通ると必ず不縁になると恐れられ、「縁切榎」と呼ばれて、街道の薄気味悪い名所となった。)→◇日曜寺(本尊の愛染明王から“愛染さま”の名で親しまれ、“藍染”に通じることから、染物業者の信仰を集めてきた。田安宗武によって再興。山門の扁額は、奥州白河藩主、松平定信の書である。)
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