葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

ワインの飲み方、これもあり、か。

2006年01月22日 15時59分13秒 | ワイン 些事放言
1947年という、戦後を代表するビッグ・ヴィンテージに生まれ、
団塊の世代の第1走者として走り続けた私達も、来年は還暦を迎える。
いよいよオジサン世代から、おじいさん世代に足を踏み入れることになる。

私がワインの世界に迷い込んだとき、
一世代上の方々がワインを嗜む先達として、ワイン会で采配を振っておられた。
十余年経った今は、喜寿を迎える、古希を迎える、という方々だ。
ワイン会では順を追って料理が運ばれ、順を追ってワインが注がれた。
順番には厳として動かしがたいしきたりがあった。
泡 → 白 → (ロゼ) → 赤 → 甘 というお決まりの 「型」 だ。
そのことに、何の不思議も、不合理も感じなかった。
不思議も、不合理も、入り込む余地がなかった。
それが私(達)のワインの飲み方だったし、今でもそうだ。

葡萄舎騎士の会を構成するメンバーには若い世代もいる。
若い世代には自由で柔軟な発想がある。
「型」 、大げさに言えば権威をものともせずに打ち破るパワーがある。
振り返れば私が大学に進んだ頃、「紛争」 と呼ばれた 「闘争」 を繰り返した。
あの頃の学生には権威を打破するという、明確な意思、意識、意図があったが、
今の若者にあるのは 「規範」 にとらわれない自然体の欲求の発露だろう。

昨夜のワイン会で一番若いS嬢は泡から白に移ると、赤だ、甘だ、と所望し始めた。
おじ(い)さん世代からみれば、驚きを通り越して暴挙だ。
内心 「ワリャァ、なにするんじゃァ!」 そう思いながら料理の皿は、とみれば、
前菜だけど、白よりは赤の方が合いそうな料理じゃないか!
こんなことは毎回のワイン会で経験している。
逆もある。 白を飲みつくしてから、運ばれた料理に 「ここで白があればナァ‥‥」

「型」 を呪縛とは思わないが、いつしか自分で 「型」 を呪縛にしていたのだろう。
私のワイン会では、出席者数よりも1~2本多いワインが集まる。
どうせ、全てを飲みつくして、まだ飲み足りない顔つきをする面々だ。
とんでもない高価なグラン・ヴァンなら話は別だが、
なにも、最初はこれ、次はこれ、次は、と厳かにボトルを回すこともあるまい。
次からは持ち寄ったワインを全てテーブルに並べよう。
運ばれた料理に合わせて、飲みたいワインを自由に飲めばいい。
料理とワインの相性を楽しむって、これが原点のはずだ。

昨夜は、一種のカルチャーショックを味わった。
私のワインの飲み方を続けて、いまの段階で軌道修正を加えるには若干の時間を要した。
若い世代の動態を謙虚に眺めて、また一つ、私の世界が広がった、かナ?
私は古い皮袋だけど、その中に新しい酒を入れてみようじゃないか。

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