4月に入って、燈台めぐりのペースが落ちた。
一番の理由は、1・2時間で行ける身近な灯台を全て回ってしまったから、だ。
近場で一つだけ行っていない灯台がある。 正確には、旧灯台の建造物だ。
灯台として機能していない建造物を 「燈台めぐり」 に加えるのは「?」 だが、
ためらいなく 「島の燈台めぐり」に加えた。
彦島の突端だから、下関の最南端に 旧・金ノ弦岬(かねのつるみさき)灯台 はある。
この灯台は数奇な運命をたどった灯台だ。
誕生は明治4年。関門海峡の浅瀬に「俎(まないた)礁標」 として建造された立標だ。
灯塔は荒削りの石造で、古武士の風格を漂わす、いい燈台だ。
設計者は、かの ブラントン。 日本で最初の海上標識だった。
大正9年に陸に移され、灯台として海峡の航行を見守った。
2000年には、海峡の航路幅を示す浮灯標 (ブイ) が設置され、灯台としての役目も終えた。
海上保安庁は、使用しない灯台は撤去する方針で、解体の運命にさらされながら、
「文化的価値が高い」 との地元の保存要請に、市が国から15万円で購入して、存命が決まった。
私が知る限り、下関市が歴史的文化的建造物保存に動いた、数少ない例だ。
灯台を訪れて立ち去るときはいつも、灯塔の壁を叩いてつぶやく。
「達者でナ。がんばれよ」
金ノ弦岬灯台の場合は違った。 「よくがんばったな。 ご苦労さん」
次は、宇部市の理容院に行くついでに、山口市秋穂の 草山埼灯台 だ。
当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。
http://members.jcom.home.ne.jp/budohsha/
一番の理由は、1・2時間で行ける身近な灯台を全て回ってしまったから、だ。
近場で一つだけ行っていない灯台がある。 正確には、旧灯台の建造物だ。
灯台として機能していない建造物を 「燈台めぐり」 に加えるのは「?」 だが、
ためらいなく 「島の燈台めぐり」に加えた。
彦島の突端だから、下関の最南端に 旧・金ノ弦岬(かねのつるみさき)灯台 はある。
この灯台は数奇な運命をたどった灯台だ。
誕生は明治4年。関門海峡の浅瀬に「俎(まないた)礁標」 として建造された立標だ。
灯塔は荒削りの石造で、古武士の風格を漂わす、いい燈台だ。
設計者は、かの ブラントン。 日本で最初の海上標識だった。
大正9年に陸に移され、灯台として海峡の航行を見守った。
2000年には、海峡の航路幅を示す浮灯標 (ブイ) が設置され、灯台としての役目も終えた。
海上保安庁は、使用しない灯台は撤去する方針で、解体の運命にさらされながら、
「文化的価値が高い」 との地元の保存要請に、市が国から15万円で購入して、存命が決まった。
私が知る限り、下関市が歴史的文化的建造物保存に動いた、数少ない例だ。
灯台を訪れて立ち去るときはいつも、灯塔の壁を叩いてつぶやく。
「達者でナ。がんばれよ」
金ノ弦岬灯台の場合は違った。 「よくがんばったな。 ご苦労さん」
次は、宇部市の理容院に行くついでに、山口市秋穂の 草山埼灯台 だ。
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