AZClubジュエリーの歴史研究
定例ゼミ『真珠とその時代』(6)
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ZoomによるOnlineゼミ=2023年4月25日(火)19:00〜21:00
定員7名。参加料2500円
*今回のゼミは素材を中心に真珠の歴史を紐解きます。
*AZClubジュエリーの歴史研究ゼミはJewellerystory_0512@yahoo.jo.jp までお申込み下さい。またジュエリーについてご意見、ご質問を承っております。お気軽にお寄せください。
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1990年頃からコンク真珠やアメリカ淡水真珠以外でも、
天然真珠の存在が少しずつ浸透してきましたが、
そのきっかけを作ったのはやはりミキモトでした。
そして2005年には東京上野の科学博物館で「PEARL展」が開催されています。
また2012年には兵庫県立美術館で、
カタール国交40周年の「PEARL展」が開催されています。
こうした展覧会がベースになり、
天然真珠の存在が業界以外にも知られるようになりました。
しかし、業界内においては天然真珠の存在は蚊帳の外でした。
何故なら、素材の調達ルートが小さく、価格は高過ぎ、
それ以上に肝心の真珠業者の勉強不足が挙げられます。
この画像は、以前にもブログでアップしていると思いますが、
左はミキモトが1929年に作ったブローチ、
右はヴァン・クリフが1915年に作ったブローチです。
勿論、ミキモトのモノは養殖真珠、ヴァン・クリフのモノは天然真珠です。
画像では真珠の微妙な色調が出ていませんが、
これをご覧になってどのような感想を持たれるでしょうか。
宝石たちの1000物語[番外編]
深夜12時開店のBAR
フツーの何気ない日常の会話から奥深いジュエリーや宝石の世界に踏み込んでいく。男と女、女と女、そして男と男。舞台は新大久保の裏ぶれた片隅にある一軒の酒場。客が10人も入れば一杯になってしまう小さな酒場。深夜零時きっかりに開店し客がいれば何時までも付き合い、客が帰れば閉店する。そんな店にようこそ、いらっしゃい。今宵もまた・・・・。
第26話
[シロチョウパール]
お世辞にも美人とは言えないが妙に気になる女性だった。
年の頃なら三十ちょっと前か。
グレーのスーツに大粒のパールのイヤリング、襟元には明らかに年代物と判るやはりパールのブローチ。
指には金色のこれも大粒のパールの指輪が収まっている。
まさに掃き溜めに鶴といった表現がピッタリの身のこなしだ。
おおよそこの店には似つかわしくないのだ。
「マスター黒ビールある」
「はいありますよ、銘柄は」
「そうねギネスでいいわ」
「かしこまりました」
「ところでマスター、この店休みはいつ」
「私の気分次第、というやつで基本的には毎日開けていますよ」
「年末年始も?」
「近所の連中が暇を持て余すとここにきますから、正月も休みなしです」
「あらっ、それは大変ね」
「私も暇を持て余しているので同じことです」
「マスター、先週来たら店開いていなかったよ」
と常連の一人が口を挟んだ。
「ちょっと野暮用ができてね、関西まで行ってきたんだ」
「東京駅で一緒だった美人は誰なの」
と今度は連れのもう一人が話に加わった。
「よっ、お安くないね」
「・・・」それを遮るように
「ビールお代わりくださいな」
「はい同じものでいいですか」
「ラガーと半々にするからそちらもね」
「承知しました」
「ところでマスターにちょっとお願いがあるの」
「・・・」
「もう暫くすると男が私を訪ねて来るの。その時は私はここに来なかったと言って欲しいの」
「・・・」
「ただそれだけで良いのよ」
「判りました、そう言っときます」
「有難う、お勘定してくださいな」
それを言うと二杯目のビールをぐっと煽って店を後にした。
「マスター、あの女性は誰だい」
「初めての客なんで私も知りませんよ」
「しかし良い女だね。しかも付けているあの真珠の大きさと色、すごいの一言だね」
「お前宝石のことなんか判るのか」
「よせやい、良いものくらいは俺だって判るよ、ねえマスター」
「宝石もだけれど、こんな店には相応しくないことだけは確かだね。何もンなんだろうか。俄然興味が湧いてきたね」
ひとしきり今までいた女性が酒の肴になっていた。
それから二、三日して先日の女性が入ってきた。
「今晩は」
「いらっしゃい」
「先日はどうも有難う」
「おっしゃる通り男性が訪ねてきましたが寂しそうに帰って行きましたよ」
「これからちょくちょくこの店に伺わせてもらってもいい?」
「そりゃあ構いませんよ。常連客は喜ぶでしょう」
彼女は3丁目でクラブを経営している人とは、後で知る事になる。