松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

三つの道 千葉県佐原をきっかけにして  

2014年04月06日 23時57分01秒 | 日記
古い町並みを中心に歩きはじめて約4年、130ヶ所ほどを調べた。武家町、宿場町、在郷町、漁港、山村、講中宿。最初はただ懐かしく思うばかりだったが、しだいに共通の視点を感じるようになった。

きっかけは千葉県香取市の佐原だった。佐原は香取街道沿いに見世蔵が連なり小野川沿いには「だし」と呼ばれる荷揚用階段がつくられて大ぶりな商家が建ち並んでいる。一見してカネがかかっているのがわかる。なぜこのような僻遠の地が栄えたのか不思議だった。



答えは「利根川舟運」にあった。大消費地の江戸はさまざまな物資を各地に求めていた。東北の荷を満載した千石船は海岸沿いに南下したが、房総沖の難所をおそれた。そこで、銚子から利根川を上る舟に積み替えた。浅底の帆船は途中の河岸に立ち寄りながら、風や人手を借りて関宿まで上り、そこから折れて江戸川に下った。帰りは、江戸で付加価値の高い製品を仕入れて積み込み、前来た川路を戻った。

そして再び東北に帰っていった。見事な海運と川運とのネットワークだった。

佐原は重要な河岸であったから莫大な富を蓄積できたのだ。

ある地域が繁栄の跡を百年以上たってもなお遺す理由を考えるには、陸運はもとより海運・川運までふくめてみなければいけない。私が佐原を調べて気づいたのは、「三つの道」の視点だった。

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