松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

訃報届く・・・・・ S先生のこと

2014年04月16日 07時09分22秒 | 日記
学生時代に担任だったS先生が亡くなった。

あることで進むべき道がわからなくなり、もう大学をやめようと思ったことがある。S先生に相談すると、黙って聞き続けてくれた。

「よく言われることだが、法律は道具にすぎないよ」

妙に説得力があり、退学は何とか踏みとどまった。

研究室の先輩には検察官が多かったが、公安畑の先輩からはよく冷やかされた。
「おまえのその眼つきは、俺が相手にしている連中と同じだぞ」。
たしかに内心には鋭くとがったものを抱え込んでいた。
価値自体ではない法律よりも、危険と可能性に満ちた近代日本思想に傾斜していったのは必然だったと思う。

卒業後もS先生とはときどきお会いすることがあり、手紙もしばしばいただいた。そのつど考えていたことを話したり書いたりした。竹内好に触れたこともあった。先生からの手紙の最後はいつもきまって「ご自愛なさい」と結んであった。

何年か前、先生の最終講義があった。そのとき、私はふたつのことを知った。ひとつ、先生は最初法律をめざして文一に進んだが、思うところあって、文学部を卒業したことだ。もうひとつ、在外研究のときにカバンに忍ばせていったのが武田泰淳だったことだ。S先生は泰淳の「滅亡について」に好意をもって言い及び、ナチスやドイツロマン主義に批判的に関心をもっていたことを述べたのだった。



そうした最終講義を聴きながら、二十年以上にわたる交流のなかでS先生がずっと伝えようとしてくれたことは何だったのか、あらためて思わずにはいられなかった。


君は絶望的な現実にぶつかり、しかしそれを妖しい手段で克服しようとして、浪漫派やロマン主義的な人に接近していった。弱者の常としてそれはやむを得ない。ただ、健康だろうか。現実をあるがままに受け入れよ。そして自身の生をだいじにしながら、考えよ。どんなに弱々しく見える言葉でも、それこそが健康だ。君が竹内好のことにふれたとき、僕は泰淳との関係からすこし安堵してみることができた。むかし君が僕のところに駆け込んできたときに「法律はあくまでも道具にすぎないのであって、生きる目的そのものでは、まったくない」と話したことを覚えているか。あれは、恥ずかしながら、わが体験でもあった。わかってくれたかい。

S先生が私に伝えようとしたのは、おそらくそうしたことだった。

いい先生だった。つぎは私がだれかの先生になることだ。それをもって供養としたい。