松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

良寛とともに沖をみる 新潟県出雲崎

2014年04月02日 19時53分06秒 | 日記

出雲崎は妻入りの町家が軒を並べる海沿いの集落だった。調査についつい時間をとられ、昼時はとうにすぎていた。空腹だ。探すと、よい構えの割烹「まるこ」が目についた。

店内に腰をおろし、何がうまいかたずねると、モゾクだという。
「すこししかとれませんが、おいしいですよ」。
その気になった。小鉢に入ってでてきたのはモズクだった。

シャキシャキして歯ごたえがよろしい。海藻を常食している私だが、たしかにうまい。車なので酒が飲めないのが辛い。他の品もいくつか注文して、満足した。

店を出ると、横に広場があった。坐像が海の彼方、つまり佐渡島を望んでいる。 良寛と記してあった。え、ここが良寛の生家跡なのかと驚いた。

「大愚」良寛は本名を山本栄蔵という。出雲崎の名主の家に長男として生まれた。宝暦8年(1758)のことだ。このころの出雲崎は北前船の寄港地、佐渡金山からの荷着き場、北国街道の宿場という三つの性格をあわせ持ち、越後一の人口密集地だったという。繁栄の出雲崎にあって、山本家は名主を務めていた。相当の財力、名声を持つていたわけだ。家を継げば面白おかしく生きられたのに、良寛はそうしなかった。恵まれた環境をあっさり捨てて、放浪の旅にでたのだ。何物にもとらわれず、寺ももたずに悠然と生きた。良寛の魅力は捨て去ることと愚者のように埋れていくその生き方にある。親鸞が屹立した思想家であるのに対し、良寛は親しみやすい詩人なのだ。

良寛像と一緒になってはるか沖をみつめてみた。島がかすかに浮かぶ。佐渡だ。見えるだけで、うれしくなった。私の原点ともいうべき場所だからだ。いったい出雲崎は佐渡のどの湊と海路でつながっていたのだろうか。ふとそんな思いにとらわれたのは、すでに私の心が海を渡ろうとしていたからだつたろうか。

写真は出雲崎観光協会HPより