松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

佐渡へ

2014年04月03日 22時44分27秒 | 日記
佐渡に向かうジエツトフォイルに乗った。20数年ぶりだ。学生時代、魔王を生んだ佐渡に魅かれ、社会人になってからずっと通った。


両津港がみえてきた。ここが佐渡の玄関口だとこれまで思ってきたが、じつはそうではなかった。両津が栄えるようになったのは日本が開国を迫られて以来、明治以降のことだった。では、以前の玄関口はどこだったのか。小木港だった。


これにはいくつかの理由があろう。地図を開くとわかるとおり、小木は越後に近い。それに湊の形だ。小木は小さな湾になっており、船が休むのに適していた。くわえて、おそらく潮流・風向などの要素が佐渡越後航路ばかりではなく日本海航路の安全にも、適していたのだろう。全国各地に莫大な富を落とした北前船の寄港地は両津港ではなく小木港だった。町は時代の流れによって、栄えたり廃れたりする。

思いをめぐらせているうち、船は両津港に入った。小木と宿根木が目的地なのだが、寄り道をしたくなった。魔王の生家は歩いていける近さなのだ。

古い商家だ。裏手はすぐに海だ。魔王はここに明治16年に生まれた。孤島という独立空間の空気を十分に吸って育ち、若いときからひとりで、ただ言葉だけで国家に立ち向かった。敗れはしたが、いまでも多くの人の記憶に残されている。私は松本健一さんの研究を通じて魔王に出会い、そして魅かれた。何度も佐渡行きのフェリーに乗ったのは、すこしでも魔王の面影にふれたかったからだった。

思い出話はやめて、さて小木に向かおう。