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Tsukuba Scientific, Bridge Seminar

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閑語  サンドイッチ伯爵はブリッジをしていたのか?(承前)

2008年06月01日 | Weblog
サンドイッチ伯爵がポーカーをしていたという説もあります。これは全くの嘘。

ポーカーが成立したのは19世紀のアメリカで、間もなく52枚のカードでやるように変化して、大流行したのは南北戦争の少し前から。

一方で最初のホイストの本は独立戦争前の1742年に、もちろんイギリスで出版されていて、なんと最初のデュプリケート・ホイスト競技会が南北戦争前夜の1857年にロンドンで行われている。

人によってはホイストはギャンブルではなかった筈だと思うかもしれません。

しかしギャンブルこそイギリス文化の一つの特徴。王室以下、貴族、紳士上げての競馬。あらゆるものを賭けの対象にするのはご存知の通り。

それにサンドイッチ伯爵が海軍関係者であったことも注目すべきかもしれない。それは山本五十六まで通じる。山本五十六はもちろんブリッジを賭けてやっていた。こういう立場の人達はポーカーなどという純粋な賭博ゲームにのめりこむわけには行かぬ。

いやもっと最近でもいろいろブリッジをめぐる賭けの話題はあるのですが、今回はやめて置きましょう。

それはさておき、ポーカーの中にある「はったり」、英語で言う「ブラフ」の要素を、コントラクト・ブリッジの「競り合い」の中に感じることはありませんか?

じつは山本五十六のブリッジはブラフ型だったと伝えられる。事ほど左様に、その気になれば、ブリッジにもギャンブル性はあるのです。

最後にもう一つ、1829年ごろのポーカーは、四人でやる決まりだった!

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