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オープニング・リード初歩の初歩  ‥つくば七不思議⁈ (続)  閑話

2023年05月06日 | 照千楽園
今日はつくばセクショナル。良いブリッジが観られるものと楽しみです。マッチポイントは守備範囲外だから、気楽に鑑賞しましょう。会場で見物したいと思えども、ソウする体力が無いから、結果のネット掲載を待つつもりですが。

不慮の災難で出られなくなった人も居るとか。コロナとあわせて、格調高く引き締まったゲームが少なくなって居るのに、残念でしょう。

🍾今日はまた、学士会館のキャンセル待ちで25才を3日過ぎてしまった仏滅の結婚式以来◯十年の、Xさんの結婚記念日でもあります。果たして完全オンチなマッチポイント戦で、パートナーがどうカバーしてくれるか❓ 興味津々です。

☘ 樋川さん(故人、JCBL事務局長)の度重なる要請に応じて、辻尚史君(当時筑波大学助教授 情報学)を中心に、旧BRIXの全面的な協力の下で、つくばで本格的なブリッジ活動を始めた1970年代後半と、四十余年後の今とを比べてみて、どちらがブリッジとして真っ当なものか、考え込まされる衝撃的な事例が時々起こります。

研究学園都市初期の優秀な若手情報研究者にしてブリッジプレイヤーだった者たちが東京に戻り、当地は、つくばエクスプレスの開通まで陸の孤島、或いは〝楽園〟と化した。そして土浦二高閥が主導する時代が長く続いた。🗡  その間にブリッジ合宿をつくばクラブと共催していたBRIXの主宰者🗡🗡 が早逝されて、解散の已なきに至ったことなども相俟って、現在のつくばのブリッジ情況につながって来ることになります。

さてその80年前後と言えば、OL(オープニング・リード)の約束(=コンベンション)として、日本でもジャーナリスト・リードや、1964にACBLの禁止が解けたルジノウ(Rusinow)が使われ始めていました。私も後者を部分的に採用しましたが、なかなか乙なものでした(内容は記憶の彼方)。

更に幾星霜を経て、〝ジャック・デナイズ〟が発明されて、カンターのディフェンス本(杉野訳有り)と相俟って現代の最有力なOLシステムになった様子。

しかし、私も2、3年間教師会の会員(当時)と組んだ頃に使ってみましたが、頻度が少なかったため、確かに非常に効果的な例も有ったけれども、その後は古典的リードに戻りました。

と言うわけで、在来式のOLの発展形に、話を戻します。

(続く)


🗡 公民館職員が、勘違いして会長さんと呼んでいた某女史曰く。「マネージャーは働けばイイノヨねえ。」 会場は「井戸端会議」顔負けの騒々しさ。
☘ 皆さんはご存知ないでしょうけれども、戦後しばらく迄は棟割り長屋の側に共同水栓が一つ有り、各戸が鍵を持っていたような。で、大空の下だから、思う存分大声で話しをしながら、野菜を洗ったり、洗濯をしたりしていた。
☘これはヨーロッパでも、スペインの田舎町などでは、まだ見掛けられる、それなりにイイ情景です。あっちは井戸時代の名残で、噴水周りのように大きな水盤(プール又は水槽)が付いて居る。娘さんにカメラを向けて、オバさんに注意されたこともあります。

 しかし公民館(後に交流センター)の締め切った小会議室で、ブリッジをしながら同じことをやるから、たまったものではない。苦情を言うと、黒服気取りか、男のマネージャーが「ここは社交的にやってるんだ。」とこちらを追い出しに掛かった。 
これではまともなブリッジが出来るわけでも、ましてや学べるわけでも無い。 その必要も無かったのやも知れぬ。最も婉曲に言って「ブリッジごっこ」。   
🗡 🗡  日本のソフトウェア指導者のエースだった島内剛一(数学基礎論の教授)。尚BRIXにはライバルの和田英一や故米田信夫も入っていた。筆者は京大数理解析研に移るまでの助手時代にその幹事を務めた。

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