
デニス・コジュヒン ピアノ・リサイタル
Denis Kozhukhin Piano Recital 2014
2014年5月20日(火)19:00~ 紀尾井ホール S席 1階 1列 13番 6,000円
ピアノ: デニス・コジュヒン
【曲目】
ハイドン: ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ長調 Hob.XVI/23
フランク: 前奏曲、コラールとフーガ
シューベルト: 4つの即興曲 作品90 D899
ヒンデミット: ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調
ブラームス: 7つの幻想曲 作品116
《アンコール》
グルック/ズガンバーティ編: 歌劇「オルフェ―オとエウリディーチェ」より「メロディ」
J.S.バッハ/フィロティ編: 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 より 前奏曲 第10番 ホ短調 BWV.855a
J.S.バッハ: コラール前奏曲「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV.639
友人に誘われて急遽、デニス・コジュヒンさんのリサイタルを聴くことになった。何でも行く予定だった方が怪我をしてしまったためのピンチヒッターということである。突然のお誘いであったが、私の大好きな最前列の真ん中の席だったので、迷わず譲ってもらうことにした。コジュヒンさんは、先週の5月12日に、読売日本交響楽団の「サントリーホール名曲シリーズ」でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いたばかり。もちろん好印象である。だからリサイタルに誘われたこと自体は大変嬉しかったのだが・・・・曲目を見ると、いささかマニアックな内容ではないか。というか、知っている曲がない・・・・。まあ、ピアノ分野のコアな部分は普段からあまり聴きに行くことはないので、コチラとしては自分の不勉強を恥じるしかないが、それにしても半分くらいは人気曲をプログラムに入れた方が良いのではなかろうか。実際、空席も目立ったし、だいぶ前からチケットのダンピングがあったみたいなので、余計にそう感じた。
さて、登場したコジュヒンさんは、詰め襟の黒い衣装と長い金髪を後ろでまとめている。すっかりお馴染みになったスタイルである。長身を折り曲げるようにピアノの前に腰掛けると、膝のあたりが窮屈そうであった。今日の席はピアノの真正面になり、鍵盤は見えないが、演奏中の様子は手に取るように見える。最前列であっても、ステージ中央に置かれたピアノの音は、余分な残響を含まないナマの音であり、非常のクリアであった。楽器の状態とホールと音響を十分に理解して演奏しているのだ。まずは音のキレイさに驚かされた。

1曲目はハイドンの「ピアノ・ソナタ ヘ長調」。もちろん初めて聴くことになる。そもそもハイドンのピアノ・ソナタ自体、滅多に聴くことがないので当然といえば当然であるが・・・・・これがまた、とてもかわいらしくて素敵な曲なのである。コジュヒンさんのピアノが思いの外、ピュアなサウンドで、古典的な佇まいを清々しく演奏している。第1楽章はModeratoにしては快速なテンポでキラキラと煌めくよう。第2楽章は短調に転じて憂いを秘めた青春の迷い、といったイメージか。第3楽章は快活で上品な演奏で、やはりキラキラと輝いていた。それにしてもハイドンを見直した。モーツァルトよりも好きになりそうだ。これも彼の演奏が素直で、楽曲の魅力を引き出していたに違いない。
2曲目はフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。フランクといえば、ヴァイオリンの世界では誰でもが知っている屈指の名曲として「ヴァイオリン・ソナタ」が有名だが、それ以外には「交響曲 ニ短調」がたまにコンサートのプログラムに載るくらいであろう。主題が各楽章に共通して用いられる循環形式が特徴的である。「前奏曲、コラールとフーガ」は1884年の作で、バッハ風の主題が前奏曲に続いて、コラールとフーガの形式で展開していく。コジュヒンさんの演奏は、ハイドンとは打って変わって、ダイナミックレンジを広く、濃厚な和声を響かせ、現代的な演奏を展開した。強めの重低音と中音域以上の主部はきれの良い打鍵。そして弱音の繊細な美しさ。構築力は的確で、素晴らしい技巧を見せる。揺るぎない自信に満ちているようだ。
3曲目はシューベルトの「4つの即興曲」。若死にしたシューベルトにとっては晩年にあたる1827年の作。第1曲は変奏曲で短調をベースにした主題が変奏されていくが、歌謡的で息の長い旋律がとても美しい。抒情的な部分を弾く時のコジュヒンさんのピアノが角のない丸い音、優しい音色に変わるのが印象的だ。ハ短調の曲がすべての苦悩を取り払ったような天国的なハ長調で終わる。第2曲は3部形式。主部は上に下にめまぐるしく駆け巡る無窮動的な旋律が特徴的だが、その中に見事に歌う要素が盛り込まれている。コジュヒンさんの軽やかなタッチが弾むようで、若々しくて、少しだけ憂いを含んでいるようで、うーん、ロマン派だなぁ、という感じだ。第3曲はアンコール・ピースとしてもよく採り上げられる美しい主題を持つ。分散和音と主旋律という比較的単純な構成の中に、いかにもシューベルトといった魅力に溢れている。技巧的にも素晴らしいものを持ち、ロシア系の豪放で劇的な演奏も良いが、コジュヒンさんの最大の魅力は、このような繊細でロマンティックな曲想を描くときの音色の美しさではないだろうか。感情に流されない冷静な中で、チラチラと甘い感傷が漂う。そんなイメージである。第4曲も有名な曲で分散和音がキラキラと輝くようで、左手低音部の主旋律が抒情的。中間部は主旋律が右手高音部に変わる。よりダイナミックで劇的な要素も持っている。彼の抒情性は、透明感のある高音部の音色とやや力感の込められた低音部によって、バランスよく表現されている。美しい演奏だと思った。
後半は、まずヒンデミットの「ピアノ・ソナタ 第3番」。・・・・・ヒンデミットも滅多に聴かない作曲家であろう。あまり知られた曲がないようである。最近を振り返ってみても、4年ほど前にヴィオラの曲を聴いたことがあるくらいだ(無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”/演奏は深澤麻里さん、2011年9月、場所はここ紀尾井ホール)。この第3番のソナタは、1936年の作で、ぐっと現代寄りになる。比較的有名な曲らしいが、実際に聴くのは今日が初めてである。第1楽章は単純で美しい主題の提示で始まる。それが徐々に複雑化に展開していく。明瞭な音色とタッチがとても爽やかに響く。第2楽章はスケルツォに相当するような早いテンポ。コジュヒンさんの演奏は活き活きとした表情を見せ、弾むようなリズムには力感が溢れ、無窮動的な駆け巡るパッセージはキレの鋭いタッチで、明瞭な音色の使い分けがなされている。第3楽章は曲想が多様で、混沌としてつかみ所がない感じがする楽章だ。よく分からない内に終わってしまった。第4楽章はフーガ。対位法的な異なる声部の描き分けが素敵だ。低音部の力感、高音部の鮮やかさ、そして広いダイナミックレンジから生み出されるエネルギッシュで劇的な効果。会場からもBravo!の声が上がった。確かに、これは素晴らしい演奏だと思う。
最後はブラームスの「7つの幻想曲」。1892年、ブラームス59歳の作。標題は「幻想曲」となっているが、全7曲には「奇想曲」または「間奏曲」の名がつけられている。1番・3番・7番が「奇想曲」で強く激しい曲想を持つのに対して、2番・4番・5番・6番は「間奏曲」で、静かでゆったりとしたテンポの曲になっている。いかにもブラームス、といった内省的で孤独な心象と、古典的ともいえる堅固な構造性を併せ持っている。コジュヒンさんの演奏は、「奇想曲」では深みのある和声を十分に響かせて、厚みのある造形で、ダイナミックかつ劇的な演奏を聴かせた。対して「間奏曲」ではクールな演奏に終始しながらも、さりげなく控え目に抒情性を描き出し、その対比を鮮やかにすることで、曲全体を奥行きの深いものにしていた。それにしてもこの表現力は並のものではない。とくにクセもなく、素直な感じがするのに、しなやかで深みがあり、若さと同時に老成した面も感じさせる。素晴らしいピアニストが現れたものだ。
アンコールは3曲。グルック/ズガンバーティ編の歌劇「オルフェ―オとエウリディーチェ」より「メロディ」は、先日の読響に客演したときもソロ・アンコールで弾いていた。あとのバッハ2曲も合わせて、かなり個性的なプログラムで縦横無尽な演奏を聴かせてくれた後の、鎮静効果を狙ったものであろうか。心落ち着く選曲、そして澄んだ音色が最後に耳に残る演奏であった。
終演後は、サイン会があった。コジュヒンさんはCDを1枚(プロコフィエフのピアノ・ソナタ 第6・7・8番)リリースしている。今日のリサイタルにはプロコフィエフはなかったし、この人いったい何が得意なんだろう?? 今日の演奏はハイドンからヒンデミットまで、まったく隙がなかった・・・・。今日のところはサインはパスして様子を眺めていることにした。気さくにファン・サービスに応じてくれる好青年であった。
今日の演奏は、なかなか強烈な印象を残したといって良い。ただ、もう少しプログラムに知っている曲をまぜて欲しい。そう思ったのは私だけではないと思うが・・・・。
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【お勧めCDのご紹介】
今日お勧めするのはこれしかありません。デニス・コジュヒンさんの「プロコフィエフのピアノ・ソナタ 第6・7・8番」。この3曲がいわゆる「戦争ソナタ」で、アルバム・タイトルにもなっているような、いないような。中身はまだ聴いていませんが、今日のナマの演奏を聴く限り、間違いなく素晴らしいものだと想像できます。私も、近いうちに入手する予定です。2013年2月リリースの輸入盤です。
Denis Kozhukhin Piano Recital 2014
2014年5月20日(火)19:00~ 紀尾井ホール S席 1階 1列 13番 6,000円
ピアノ: デニス・コジュヒン
【曲目】
ハイドン: ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ長調 Hob.XVI/23
フランク: 前奏曲、コラールとフーガ
シューベルト: 4つの即興曲 作品90 D899
ヒンデミット: ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調
ブラームス: 7つの幻想曲 作品116
《アンコール》
グルック/ズガンバーティ編: 歌劇「オルフェ―オとエウリディーチェ」より「メロディ」
J.S.バッハ/フィロティ編: 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 より 前奏曲 第10番 ホ短調 BWV.855a
J.S.バッハ: コラール前奏曲「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV.639
友人に誘われて急遽、デニス・コジュヒンさんのリサイタルを聴くことになった。何でも行く予定だった方が怪我をしてしまったためのピンチヒッターということである。突然のお誘いであったが、私の大好きな最前列の真ん中の席だったので、迷わず譲ってもらうことにした。コジュヒンさんは、先週の5月12日に、読売日本交響楽団の「サントリーホール名曲シリーズ」でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いたばかり。もちろん好印象である。だからリサイタルに誘われたこと自体は大変嬉しかったのだが・・・・曲目を見ると、いささかマニアックな内容ではないか。というか、知っている曲がない・・・・。まあ、ピアノ分野のコアな部分は普段からあまり聴きに行くことはないので、コチラとしては自分の不勉強を恥じるしかないが、それにしても半分くらいは人気曲をプログラムに入れた方が良いのではなかろうか。実際、空席も目立ったし、だいぶ前からチケットのダンピングがあったみたいなので、余計にそう感じた。
さて、登場したコジュヒンさんは、詰め襟の黒い衣装と長い金髪を後ろでまとめている。すっかりお馴染みになったスタイルである。長身を折り曲げるようにピアノの前に腰掛けると、膝のあたりが窮屈そうであった。今日の席はピアノの真正面になり、鍵盤は見えないが、演奏中の様子は手に取るように見える。最前列であっても、ステージ中央に置かれたピアノの音は、余分な残響を含まないナマの音であり、非常のクリアであった。楽器の状態とホールと音響を十分に理解して演奏しているのだ。まずは音のキレイさに驚かされた。

1曲目はハイドンの「ピアノ・ソナタ ヘ長調」。もちろん初めて聴くことになる。そもそもハイドンのピアノ・ソナタ自体、滅多に聴くことがないので当然といえば当然であるが・・・・・これがまた、とてもかわいらしくて素敵な曲なのである。コジュヒンさんのピアノが思いの外、ピュアなサウンドで、古典的な佇まいを清々しく演奏している。第1楽章はModeratoにしては快速なテンポでキラキラと煌めくよう。第2楽章は短調に転じて憂いを秘めた青春の迷い、といったイメージか。第3楽章は快活で上品な演奏で、やはりキラキラと輝いていた。それにしてもハイドンを見直した。モーツァルトよりも好きになりそうだ。これも彼の演奏が素直で、楽曲の魅力を引き出していたに違いない。
2曲目はフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。フランクといえば、ヴァイオリンの世界では誰でもが知っている屈指の名曲として「ヴァイオリン・ソナタ」が有名だが、それ以外には「交響曲 ニ短調」がたまにコンサートのプログラムに載るくらいであろう。主題が各楽章に共通して用いられる循環形式が特徴的である。「前奏曲、コラールとフーガ」は1884年の作で、バッハ風の主題が前奏曲に続いて、コラールとフーガの形式で展開していく。コジュヒンさんの演奏は、ハイドンとは打って変わって、ダイナミックレンジを広く、濃厚な和声を響かせ、現代的な演奏を展開した。強めの重低音と中音域以上の主部はきれの良い打鍵。そして弱音の繊細な美しさ。構築力は的確で、素晴らしい技巧を見せる。揺るぎない自信に満ちているようだ。
3曲目はシューベルトの「4つの即興曲」。若死にしたシューベルトにとっては晩年にあたる1827年の作。第1曲は変奏曲で短調をベースにした主題が変奏されていくが、歌謡的で息の長い旋律がとても美しい。抒情的な部分を弾く時のコジュヒンさんのピアノが角のない丸い音、優しい音色に変わるのが印象的だ。ハ短調の曲がすべての苦悩を取り払ったような天国的なハ長調で終わる。第2曲は3部形式。主部は上に下にめまぐるしく駆け巡る無窮動的な旋律が特徴的だが、その中に見事に歌う要素が盛り込まれている。コジュヒンさんの軽やかなタッチが弾むようで、若々しくて、少しだけ憂いを含んでいるようで、うーん、ロマン派だなぁ、という感じだ。第3曲はアンコール・ピースとしてもよく採り上げられる美しい主題を持つ。分散和音と主旋律という比較的単純な構成の中に、いかにもシューベルトといった魅力に溢れている。技巧的にも素晴らしいものを持ち、ロシア系の豪放で劇的な演奏も良いが、コジュヒンさんの最大の魅力は、このような繊細でロマンティックな曲想を描くときの音色の美しさではないだろうか。感情に流されない冷静な中で、チラチラと甘い感傷が漂う。そんなイメージである。第4曲も有名な曲で分散和音がキラキラと輝くようで、左手低音部の主旋律が抒情的。中間部は主旋律が右手高音部に変わる。よりダイナミックで劇的な要素も持っている。彼の抒情性は、透明感のある高音部の音色とやや力感の込められた低音部によって、バランスよく表現されている。美しい演奏だと思った。
後半は、まずヒンデミットの「ピアノ・ソナタ 第3番」。・・・・・ヒンデミットも滅多に聴かない作曲家であろう。あまり知られた曲がないようである。最近を振り返ってみても、4年ほど前にヴィオラの曲を聴いたことがあるくらいだ(無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”/演奏は深澤麻里さん、2011年9月、場所はここ紀尾井ホール)。この第3番のソナタは、1936年の作で、ぐっと現代寄りになる。比較的有名な曲らしいが、実際に聴くのは今日が初めてである。第1楽章は単純で美しい主題の提示で始まる。それが徐々に複雑化に展開していく。明瞭な音色とタッチがとても爽やかに響く。第2楽章はスケルツォに相当するような早いテンポ。コジュヒンさんの演奏は活き活きとした表情を見せ、弾むようなリズムには力感が溢れ、無窮動的な駆け巡るパッセージはキレの鋭いタッチで、明瞭な音色の使い分けがなされている。第3楽章は曲想が多様で、混沌としてつかみ所がない感じがする楽章だ。よく分からない内に終わってしまった。第4楽章はフーガ。対位法的な異なる声部の描き分けが素敵だ。低音部の力感、高音部の鮮やかさ、そして広いダイナミックレンジから生み出されるエネルギッシュで劇的な効果。会場からもBravo!の声が上がった。確かに、これは素晴らしい演奏だと思う。
最後はブラームスの「7つの幻想曲」。1892年、ブラームス59歳の作。標題は「幻想曲」となっているが、全7曲には「奇想曲」または「間奏曲」の名がつけられている。1番・3番・7番が「奇想曲」で強く激しい曲想を持つのに対して、2番・4番・5番・6番は「間奏曲」で、静かでゆったりとしたテンポの曲になっている。いかにもブラームス、といった内省的で孤独な心象と、古典的ともいえる堅固な構造性を併せ持っている。コジュヒンさんの演奏は、「奇想曲」では深みのある和声を十分に響かせて、厚みのある造形で、ダイナミックかつ劇的な演奏を聴かせた。対して「間奏曲」ではクールな演奏に終始しながらも、さりげなく控え目に抒情性を描き出し、その対比を鮮やかにすることで、曲全体を奥行きの深いものにしていた。それにしてもこの表現力は並のものではない。とくにクセもなく、素直な感じがするのに、しなやかで深みがあり、若さと同時に老成した面も感じさせる。素晴らしいピアニストが現れたものだ。
アンコールは3曲。グルック/ズガンバーティ編の歌劇「オルフェ―オとエウリディーチェ」より「メロディ」は、先日の読響に客演したときもソロ・アンコールで弾いていた。あとのバッハ2曲も合わせて、かなり個性的なプログラムで縦横無尽な演奏を聴かせてくれた後の、鎮静効果を狙ったものであろうか。心落ち着く選曲、そして澄んだ音色が最後に耳に残る演奏であった。
終演後は、サイン会があった。コジュヒンさんはCDを1枚(プロコフィエフのピアノ・ソナタ 第6・7・8番)リリースしている。今日のリサイタルにはプロコフィエフはなかったし、この人いったい何が得意なんだろう?? 今日の演奏はハイドンからヒンデミットまで、まったく隙がなかった・・・・。今日のところはサインはパスして様子を眺めていることにした。気さくにファン・サービスに応じてくれる好青年であった。
今日の演奏は、なかなか強烈な印象を残したといって良い。ただ、もう少しプログラムに知っている曲をまぜて欲しい。そう思ったのは私だけではないと思うが・・・・。

【お勧めCDのご紹介】
今日お勧めするのはこれしかありません。デニス・コジュヒンさんの「プロコフィエフのピアノ・ソナタ 第6・7・8番」。この3曲がいわゆる「戦争ソナタ」で、アルバム・タイトルにもなっているような、いないような。中身はまだ聴いていませんが、今日のナマの演奏を聴く限り、間違いなく素晴らしいものだと想像できます。私も、近いうちに入手する予定です。2013年2月リリースの輸入盤です。
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