読売日本交響楽団 第17回読響メトロポリタン・シリーズ
2015年6月24日(水)19:00~ 東京芸術劇場コンサートホール S席 1階 A列 16番 4,312円
指 揮: フランソワ=グザヴィエ・ロト
ヴァイオリン: 神尾真由子*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ベルリオーズ: 歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲
サン=サーンス: ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61*
ベルリオーズ: 幻想交響曲 作品14
先月に引き続き、読売日本交響楽団のメトロポリタン・シリーズを聴く。今期のこのシリーズはゲスト・ソリストとの協奏曲のプログラムが充実しているが、本日のゲストはヴァイオリニストの神尾真由子さん。曲目はサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。比較的激しい曲想の曲だけに、神尾さんの取り組み方に期待を寄せるところだ。もう一つの眼目は、読響初登場の指揮者、フランソワ=グザヴィエ・ロトさんによる「幻想交響曲」。そう、今日はオール・フレンチ・プログラムなのである。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランさんを差し置いて、といったらナンだが、またタイプの異なるフランス音楽を聴かせてくれそうで、今回も外せないコンサートだ。そういうわけで、会場も大入り満員であった。
ロトさんといえば、南西ドイツ放送交響楽団バーデン=バーデン&フライブルクの首席指揮者を2011年のシーズンから務めているが、その前任者がカンブルランさんだというから何やら因縁(?)めいたものを感じる。ロトさんがこのオーケストラを率いて来日したのが2012年2月のことで、その際にツアーに同行したソリストのひとりが神尾さんというつながりもある(曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲だった)。もうひとりのソリストは萩原麻未さんであった(曲目はラヴェルのピアノ協奏曲ト長調)。ドイツのオーケストラのツアーだたので、フランスものはそのラヴェルだけだった。ロトさんはその後2014年12月にNHK交響楽団に客演し「第九演奏会」を指揮しているが、コチラの方は大晦日のテレビで観ただけ。だからロトさんのフランスものを本格的に聴くのは初めてということになる。
1曲目はベルリオーズの歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』から序曲。さすがに聴いたことがない。というか、このオペラの存在そのものも知らなかった。プログラム・ノートによると、1838年、パリ・オペラ座で初演されたものの序曲をのゾして不評に終わり、わずか数回で上演も打ち切られたのだという。この序曲は、オペラ本編の中の主題を様々に組み合わせたものらしく、聴く限りでは親しみやすくドラマティックな曲想の連続で、オペラの世界へと誘う序曲のワクワク感が詰まっていてなかなか素敵な曲である。ベルリオーズは、後半に演奏される「幻想交響曲」以外にどんな曲を書いていたのかあまり知らないせいもあるが、1838年という年代はドニゼッティやベッリーニの活躍したベルカント・オペラの全盛期であり、この『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲も、国は違っていても似たようなイメージを感じ取ることができる。演奏は、ロトさんは指揮棒を持たずに、両手を振り回して細かくニュアンスの指示を出している。とくにリズムのニュアンスを身体で踊るように表現していたのが印象的だった。ロトさんの指揮があまり具体的なイメージを持てずにいるので、読響の馬力のあるところが目立った。この手のワクワク感をかき立てるようなオペラ序曲だと、実に楽しげに活き活きとした演奏を聴かせてくれる読響である。
2曲目はサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲 第3番」。神尾さんの登場である。神尾さんは20日程前の6月3日に、紀尾井ホールで珍しく室内楽のコンサートに出演した。ご結婚以来、どうも低迷しているように感じられた神尾さんだが、この室内楽のコンサートでは、かなり復調しているように思えた。そして今日は協奏曲なので、しかもソリストの真正面の席で聴くので、楽しみにしていた。
第1楽章。短い序奏に続いてヴァイオリンがガツンと主題を打ち出してくる。初めから、おぉこれは!! という感じ。神尾さんのアグレッシブな演奏が戻って来た。協奏曲らしいかなり強めの押し出しで、音量も出している。第2主題になるとロマンティックな旋律を優美な音色に変えて、たっぷりと歌うように弾いていく。高音部の繊細優美な美しさも、低音部のガリガリっとくる力強さも、神尾さんらしい主張の強い演奏だ。装飾的な速いパッセージなどに若干音程の甘いところがあったり、オーケストラとの間にわずかなズレが生じたりと、かつての神尾さんと比べればまだまだ本調子とは癒えないかもしれないが、とにかく、「あの感じ」が戻って来たことは確か。「苦悶するペコちゃん」のような表情もちょっと戻って来ていて、美人が台無しになってしまう「あの表情」も、やはり神尾さんの魅力のうちなのかもしれない。
第2楽章は緩徐楽章。穏やかな6/8拍子の波間に揺られるように、ヴァイオリンの主題がやさしく歌う。ロトさんのリズムの取り方も独特のニュアンスで揺らぐのだが、それに神尾さんのヴァイオリンがうまく乗っているようだ。比較的音量を抑えて、音質を重視しているのに対して、オーケストラ側も抑制的な演奏で、ソロ・ヴァイオリンを下から押し上げてるようであった。木管群が美しく色彩感豊かなのはフランス風の質感である。
第3楽章になると、またまたアグレッシブな演奏が戻ってくる。第1楽章よりは硬さも取れて、伸びやかさと力強さがうまい具合にブレンドされている。躍動的な第1主題、伸びやかな第2主題に続いて技巧的な経過部の後に3つめの主題が大らかに歌う。展開部に入ると曲想が様々に変化していくのはロマン派ならではの自由闊達さを感じさせる。オーケストラ側も音量を上げて、ダイナミックな演奏へと変わっていき、ソロ・ヴァイオリンとの駆け引きがスリリングな展開を見せる。神尾さんの硬軟取り混ぜて鮮やかな変化を見せる演奏は、さすがに世界の一流の証しだ。やはり幾分の荒っぽさはあったが、楽曲に対するアグレッシブな姿勢は神尾さんの最大の魅力。ハードな演奏で美音を響かせ、聴衆をグイグイ引っ張って行く力動的な演奏の姿勢が戻って来ていた。演奏自体には若干問題を残しつつも(とはいってもその辺のヴァイオリニストとは比べものにならないほど巧いが)、精神性において神尾真由子復活である。
後半は、ベルリオーズの「幻想交響曲」。最初に結論を言ってしまうと、良い演奏だとは思うのだが、一風変わった「幻想」に感じた。あるいはこの手の曲は最前列で聴くべきではないのかな、とも感じた。どこが変わっているのかというと、オーケストラの各パートが豊かな色彩感を発揮し、競い合うようにとても質感の高い演奏するのだが、全体がなぜかまとまりを欠く印象で、つまりはキレイな各パーツを組み合わせたによな感じで、一体感が希薄なのである。これがロトさんの目指した演奏なのであれば、それはそれで良いとは思うのだが・・・・。
第1楽章「夢と情熱」は、殺伐とした音楽ではあるが、主題あるいは主旋律を奏でるパートが、ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、フルートなど、それぞれに艶やかで基本的に音色が明るい。ダイナミックレンジも広く、音量も大きいのは、読響ならではである。
第2楽章「舞踏会」は、不気味な序奏とハープの調べに続き、有名なワルツが速めのテンポでキレ味良く演奏された。このワルツの扱いは散文的であまり色気がないように感じられた。要するに標題音楽として捉えたときに、あまり「舞踏会」の映像が浮かんで来ないのである。従ってふいに現れるイデー・フィクスの主題が「舞踏会で恋人を見付けた」というような映像的なイメージを伴わずに、唐突に現れるような印象になってしまう。演奏自体は引き締まっていて、アンサンブルも美しい。
第3楽章「野の情景」は、コールアングレの音色が妙にリアルで、あまり牧歌的な雰囲気が感じられなかったのだが、これは最前列で聴いていたからかもしれない。対話するバンダのオーボエ(ステージ下手側の扉を開けた舞台裏にいた)の音も遠くから聞こえてくるという効果が薄かった。これも最前列にいたために聞こえすぎたのであろう。途中からはオーケストラが厚みを増して来ると、情景描写がだんだんハッキリしてきて、あたかも絵にだんだん色が塗られていくように、色彩感が増してきた。
第4楽章「断頭台への行進」は、ロトさんというよりは、むしろ読響の最も得意とするところだろう。瞬間的に全開の大音量を出せるキレ味の鋭さは格別だ。行進曲の主題を吹くトランペットが妙に明るく鳴り響き、ティンパニが渇いた音でリズムを刻んでいる。全体にメリハリが強烈に効いていて、迫力は凄まじいが、どこかドタバタした感じがしないでもない。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」は、音楽自体が混沌とした曲であるため、それが余計に強調された印象になった。「怒りの日」の主題だけが明瞭に感じられる。金管群と打楽器群が鳴り出すと、いつものことだが会場が爆音で満たされたようになり、音圧が風圧となってぶつかってくる感じがする。
繰り返しになるが、各パートの演奏自体は非常に上手く、明瞭な色彩感を持っている。弦楽も澄んだ美しいアンサンブルを聴かせていた。快演といっても良い。それがどういうわけか全体像がまとまりなく感じられるのである。残響音の長い、従って音がよくミックスされる東京芸術劇場コンサートホールで聴いているにもかかわらず、どこかバラバラしている。たまたま最前列で聴いていたことによる何らかの理由があるのかもしれない。よく分からないのだが、素晴らしい演奏にも聞こえたし、ドタバタした演奏にも聞こえた。たまには。そんなこともあるのかもしれない。
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2015年6月24日(水)19:00~ 東京芸術劇場コンサートホール S席 1階 A列 16番 4,312円
指 揮: フランソワ=グザヴィエ・ロト
ヴァイオリン: 神尾真由子*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ベルリオーズ: 歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲
サン=サーンス: ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61*
ベルリオーズ: 幻想交響曲 作品14
先月に引き続き、読売日本交響楽団のメトロポリタン・シリーズを聴く。今期のこのシリーズはゲスト・ソリストとの協奏曲のプログラムが充実しているが、本日のゲストはヴァイオリニストの神尾真由子さん。曲目はサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番。比較的激しい曲想の曲だけに、神尾さんの取り組み方に期待を寄せるところだ。もう一つの眼目は、読響初登場の指揮者、フランソワ=グザヴィエ・ロトさんによる「幻想交響曲」。そう、今日はオール・フレンチ・プログラムなのである。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランさんを差し置いて、といったらナンだが、またタイプの異なるフランス音楽を聴かせてくれそうで、今回も外せないコンサートだ。そういうわけで、会場も大入り満員であった。
ロトさんといえば、南西ドイツ放送交響楽団バーデン=バーデン&フライブルクの首席指揮者を2011年のシーズンから務めているが、その前任者がカンブルランさんだというから何やら因縁(?)めいたものを感じる。ロトさんがこのオーケストラを率いて来日したのが2012年2月のことで、その際にツアーに同行したソリストのひとりが神尾さんというつながりもある(曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲だった)。もうひとりのソリストは萩原麻未さんであった(曲目はラヴェルのピアノ協奏曲ト長調)。ドイツのオーケストラのツアーだたので、フランスものはそのラヴェルだけだった。ロトさんはその後2014年12月にNHK交響楽団に客演し「第九演奏会」を指揮しているが、コチラの方は大晦日のテレビで観ただけ。だからロトさんのフランスものを本格的に聴くのは初めてということになる。
1曲目はベルリオーズの歌劇『ベンヴェヌート・チェッリーニ』から序曲。さすがに聴いたことがない。というか、このオペラの存在そのものも知らなかった。プログラム・ノートによると、1838年、パリ・オペラ座で初演されたものの序曲をのゾして不評に終わり、わずか数回で上演も打ち切られたのだという。この序曲は、オペラ本編の中の主題を様々に組み合わせたものらしく、聴く限りでは親しみやすくドラマティックな曲想の連続で、オペラの世界へと誘う序曲のワクワク感が詰まっていてなかなか素敵な曲である。ベルリオーズは、後半に演奏される「幻想交響曲」以外にどんな曲を書いていたのかあまり知らないせいもあるが、1838年という年代はドニゼッティやベッリーニの活躍したベルカント・オペラの全盛期であり、この『ベンヴェヌート・チェッリーニ』序曲も、国は違っていても似たようなイメージを感じ取ることができる。演奏は、ロトさんは指揮棒を持たずに、両手を振り回して細かくニュアンスの指示を出している。とくにリズムのニュアンスを身体で踊るように表現していたのが印象的だった。ロトさんの指揮があまり具体的なイメージを持てずにいるので、読響の馬力のあるところが目立った。この手のワクワク感をかき立てるようなオペラ序曲だと、実に楽しげに活き活きとした演奏を聴かせてくれる読響である。
2曲目はサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲 第3番」。神尾さんの登場である。神尾さんは20日程前の6月3日に、紀尾井ホールで珍しく室内楽のコンサートに出演した。ご結婚以来、どうも低迷しているように感じられた神尾さんだが、この室内楽のコンサートでは、かなり復調しているように思えた。そして今日は協奏曲なので、しかもソリストの真正面の席で聴くので、楽しみにしていた。
第1楽章。短い序奏に続いてヴァイオリンがガツンと主題を打ち出してくる。初めから、おぉこれは!! という感じ。神尾さんのアグレッシブな演奏が戻って来た。協奏曲らしいかなり強めの押し出しで、音量も出している。第2主題になるとロマンティックな旋律を優美な音色に変えて、たっぷりと歌うように弾いていく。高音部の繊細優美な美しさも、低音部のガリガリっとくる力強さも、神尾さんらしい主張の強い演奏だ。装飾的な速いパッセージなどに若干音程の甘いところがあったり、オーケストラとの間にわずかなズレが生じたりと、かつての神尾さんと比べればまだまだ本調子とは癒えないかもしれないが、とにかく、「あの感じ」が戻って来たことは確か。「苦悶するペコちゃん」のような表情もちょっと戻って来ていて、美人が台無しになってしまう「あの表情」も、やはり神尾さんの魅力のうちなのかもしれない。
第2楽章は緩徐楽章。穏やかな6/8拍子の波間に揺られるように、ヴァイオリンの主題がやさしく歌う。ロトさんのリズムの取り方も独特のニュアンスで揺らぐのだが、それに神尾さんのヴァイオリンがうまく乗っているようだ。比較的音量を抑えて、音質を重視しているのに対して、オーケストラ側も抑制的な演奏で、ソロ・ヴァイオリンを下から押し上げてるようであった。木管群が美しく色彩感豊かなのはフランス風の質感である。
第3楽章になると、またまたアグレッシブな演奏が戻ってくる。第1楽章よりは硬さも取れて、伸びやかさと力強さがうまい具合にブレンドされている。躍動的な第1主題、伸びやかな第2主題に続いて技巧的な経過部の後に3つめの主題が大らかに歌う。展開部に入ると曲想が様々に変化していくのはロマン派ならではの自由闊達さを感じさせる。オーケストラ側も音量を上げて、ダイナミックな演奏へと変わっていき、ソロ・ヴァイオリンとの駆け引きがスリリングな展開を見せる。神尾さんの硬軟取り混ぜて鮮やかな変化を見せる演奏は、さすがに世界の一流の証しだ。やはり幾分の荒っぽさはあったが、楽曲に対するアグレッシブな姿勢は神尾さんの最大の魅力。ハードな演奏で美音を響かせ、聴衆をグイグイ引っ張って行く力動的な演奏の姿勢が戻って来ていた。演奏自体には若干問題を残しつつも(とはいってもその辺のヴァイオリニストとは比べものにならないほど巧いが)、精神性において神尾真由子復活である。
後半は、ベルリオーズの「幻想交響曲」。最初に結論を言ってしまうと、良い演奏だとは思うのだが、一風変わった「幻想」に感じた。あるいはこの手の曲は最前列で聴くべきではないのかな、とも感じた。どこが変わっているのかというと、オーケストラの各パートが豊かな色彩感を発揮し、競い合うようにとても質感の高い演奏するのだが、全体がなぜかまとまりを欠く印象で、つまりはキレイな各パーツを組み合わせたによな感じで、一体感が希薄なのである。これがロトさんの目指した演奏なのであれば、それはそれで良いとは思うのだが・・・・。
第1楽章「夢と情熱」は、殺伐とした音楽ではあるが、主題あるいは主旋律を奏でるパートが、ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、フルートなど、それぞれに艶やかで基本的に音色が明るい。ダイナミックレンジも広く、音量も大きいのは、読響ならではである。
第2楽章「舞踏会」は、不気味な序奏とハープの調べに続き、有名なワルツが速めのテンポでキレ味良く演奏された。このワルツの扱いは散文的であまり色気がないように感じられた。要するに標題音楽として捉えたときに、あまり「舞踏会」の映像が浮かんで来ないのである。従ってふいに現れるイデー・フィクスの主題が「舞踏会で恋人を見付けた」というような映像的なイメージを伴わずに、唐突に現れるような印象になってしまう。演奏自体は引き締まっていて、アンサンブルも美しい。
第3楽章「野の情景」は、コールアングレの音色が妙にリアルで、あまり牧歌的な雰囲気が感じられなかったのだが、これは最前列で聴いていたからかもしれない。対話するバンダのオーボエ(ステージ下手側の扉を開けた舞台裏にいた)の音も遠くから聞こえてくるという効果が薄かった。これも最前列にいたために聞こえすぎたのであろう。途中からはオーケストラが厚みを増して来ると、情景描写がだんだんハッキリしてきて、あたかも絵にだんだん色が塗られていくように、色彩感が増してきた。
第4楽章「断頭台への行進」は、ロトさんというよりは、むしろ読響の最も得意とするところだろう。瞬間的に全開の大音量を出せるキレ味の鋭さは格別だ。行進曲の主題を吹くトランペットが妙に明るく鳴り響き、ティンパニが渇いた音でリズムを刻んでいる。全体にメリハリが強烈に効いていて、迫力は凄まじいが、どこかドタバタした感じがしないでもない。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」は、音楽自体が混沌とした曲であるため、それが余計に強調された印象になった。「怒りの日」の主題だけが明瞭に感じられる。金管群と打楽器群が鳴り出すと、いつものことだが会場が爆音で満たされたようになり、音圧が風圧となってぶつかってくる感じがする。
繰り返しになるが、各パートの演奏自体は非常に上手く、明瞭な色彩感を持っている。弦楽も澄んだ美しいアンサンブルを聴かせていた。快演といっても良い。それがどういうわけか全体像がまとまりなく感じられるのである。残響音の長い、従って音がよくミックスされる東京芸術劇場コンサートホールで聴いているにもかかわらず、どこかバラバラしている。たまたま最前列で聴いていたことによる何らかの理由があるのかもしれない。よく分からないのだが、素晴らしい演奏にも聞こえたし、ドタバタした演奏にも聞こえた。たまには。そんなこともあるのかもしれない。
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