◆ 日光街道沿いに鉄道/現伊勢崎線が開通する(1889年)。その後、『らき☆すた』や『クレヨンしんちゃん』でお馴染みの路線となる。 ◆ 1階をスカスカにしてその上に規格化された建材を組み立てた上に屋上に広場を造るという安易さ極まりないモダニズム建築の巨匠として有名なル・コルビュジエが死亡する(1965年)。 ◆ 5か月前にハブに噛まれて死んだ筈の車寅次郎が、突然柴又の団子屋に現れる(1969年)。
◎ ◎ 第4回 世の中のB面にこそテーマがある / Webナショジオ・インタビュー 野口健 ◎ ◎
- - -Webナショジオ Webナショジオ・インタビュー 野口健 / インタビュー・文=高橋盛男/写真=藤谷清美- - -
=1999年、七大陸最高峰の世界最年少登頂記録(当時)を樹立した登山家であり、近年では清掃登山やシェルパ基金の設立、ネパールでの学校建設、戦没者の遺骨収集などに取り組んでいる野口健、再びカメラを手にしたことで、新たな世界が切り開かれたという。=
――野口さんの写真集の中にもありますが、他の著作にも「ものごとにはA面とB面がある」というようなことをよく書かれていますね。
ええ、写真集の構成でもそれを意識しています。「生」と「死」もそうですが、人を寄せつけない厳然としたヒマラヤの山々と、そこで暮らす人々の生活、野生動物の姿を求めて今や世界中から観光客が訪れるケニアのマサイマラ国立公園と、ゴミを漁る人々が集まる首都ナイロビのゴミ捨て場というふうに。
――それは野口さんがものを見るときの視点、心構えのようなものなのですか。 「ものごとにA面とB面がある」というのは、実は子どものころから父に聞かされていた言葉なんです。
父は外交官でしたが、赴任した国ではいろいろなところへ僕を連れて行ってくれました。しかし、楽しいとか、うれしいとか、心地よいとか、そういう場所ばかりではなかったですね。 たとえば、小学3年か4年のころ、エジプトに住んでいたのですが、父がイスラエルへ行こうといったんです。ところが、僕の母はエジプト人で、アラブ系だから絶対に行かないと言い張る。アラブ人がイスラエルに行くのは危険ですからね。父と二人で行きました。
イスラエルへ行くと、ユダヤ人とアラブ人の街が決定的に違うんですよ。ユダヤ人の街はきれいで、アラブ人の街はスラム。タクシーの運転手がユダヤ人で、どこから来たと聞くから、父がエジプトから来たというと「アラブ人なんか、皆ぶっ殺してやる」みたいなことを平気で言う。震えあがりました。
小学4年のときは、ゴラン高原に連れて行かれました。イスラエルとシリアとの国境付近で、道のまわりは中東戦争時代の地雷が残っている地雷原でした。
――子どもを連れて行くようなところじゃないですね。
そうですよね。子ども心に、どうしてこんなところに連れて来るのかと思いました。 中学生のときはベルリンにいて、まだ壁があった時代でしたが、父と地下鉄に乗って東側に出ました。何か街の色が西ベルリンと違うんですよ。車はプラモデルみたいでおもちゃっぽいし、壁の近くに衛兵がたくさんいて、彼らの「カツッ、カツッ」というブーツの音が、今も耳に残っています。空も、何となくドヨンとしているように感じる。
「壁ひとつでこうも違うのか」と、子供ながらかなり強烈な印象を受けました。 高校生のときは、イエメンで暮らしていました。当時のイエメンは国情が不安定で、外国人が出歩くもの危険でしたが、父は自分の車を運転してスラム街を回るんです。銃を持っている人がウヨウヨいる中をですよ。
――どういう意図があったのですか。
父はODAの担当でした。日本が途上国に援助するお金は税金ですから、有効に使われなければなりません。政府や地元の権力者のリクエストに応えれば、外交的にはそれでことは済むのですが、本当に困っている人を助けるかどうかは別の話。例えばアフリカは部族社会で、権力者は国益よりも自分が所属する部族の利益を優先します。
何が本当に必要なのかを見なければいけない。そんな思いが父にはあって、僕を連れて街を見て歩いていたのだと思います。そういうときに、よく僕に言っていたのがA面とB面の話です。 「ものごとにはA面とB面がある。A面は、普段、何もしなくても見える世界。B面は、自分から見ようとしないと見えてこない世界。そして、世の中は往々にして、B面にこそテーマがある」。そこをよく見なさいということです。
――とにかく現場を見なさい。そうしなければ本当のことはわからない。それも今の野口さんのさまざまな活動と重なりますね。
家に戻ってから父は僕に「どう思った?」と聞くんですね。なぜ、そんなことを聞くのかと、僕は逆に尋ねたんです。すると父は「お前のように、まだ世の中がよくわかっていない者が、先入観なく見て感じたことは意外と大事なんだよ」というのです。それでようやく、父が僕を連れまわした意味が少しわかりました。
ただ、今となっては本人は覚えてないんです。「そんなこと言ったかな」と。父は、僕に何かを教えようと、そういう話をしていたのではなかったと思います。自分の考えを、そばにいる息子にそれとはなしに語りかけていただけではないでしょうか。
――それでは、最近通い始めたというアフリカの魅力と、今年の抱負について最後にうかがいましょう。
・・・・・・・明日 ( 第5回 今年始まる標高3800mの森づくり ) に続く・・・・・
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